第38話

 囚われている二人と茶髪男の視線が、部屋に飛び込んで来た男へ注がれる。注目を浴びている中、男は矢継ぎ早に説明した。

 「突然苦しそうにもがいたと思ったら……急に倒れて死んだんだ! 二人もだ! お前達は無事か!?」

 ドルディノは咄嗟にイリヤへ視線を向ける。

 少年は、愕然とした様子で、入って来たばかりの男を見つめていた。その顔は先刻までの血色はなく、青くなっていた。体が小刻みに震えており、唇もわなないている。呼吸が浅く、荒い。

 一目で、動転していることが手に取るように分かる。

 「イリヤ君!」

 ドルディノが名前を呼び、背後を振り向いていた茶髪男が正面に向き直すと、視線をドルディノからイリヤへと移す。同時に二人の男達も無意識にイリヤへと視線を向けた。

 皆の注目を浴びる中、イリヤは体を震わせながら左手で口元を覆い、右手で胸元の裾を握る。

 「死んだ」という言葉を聞いて、どのくらいの衝撃を受けたのか分からない。

 小さかった震えはだんだん大きくなり、今すぐにでも泣き叫んでしまいそうに見えた。

 気丈に、それをぎりぎりの所で抑え込んでいるのだろう。

 「お……おれ…………、し、死ぬ…………の…………?」

 唇をわななかせながら紡いだ言葉も、震えていた。

 訪れるかもしれない恐怖に怯えて。

 沈黙が横たわる。

 その答えを持っている人間は、この場には誰一人としていないのだ。

 それを肯定と受け取ったのだろうか。

 少年の心の限界が来たのか。

 イリヤの双眸から、大きな、一粒の滴が頬を伝って流れた。

 大丈夫だよ、と言えたらどんなにいいだろう。でも、その言葉は言えない。

 だって、大丈夫なんて不確かな言葉は、なんの励みにも慰めにもならないのだ。それで、少年の不安が拭えるわけではないのだから。

 ふと、黙っていた茶髪男が訃報を持って来た男を見上げ、口を開いた。

 「ねぇ、死んだ二人ってもしかして、ヤムセとジャール?」

 その言葉を聞いた途端、男は驚愕の表情を浮かべた。

 「あ、ああ……でも、あんた……何で分かったんだ……? アレを、見てもないのに……」

 そう訊かれたが、茶髪男は答えることはせず、姿勢を元に戻し正面へ向き直した。と、小さな、声にならない声音でぼっそりと呟く。

 「やっぱりな……」

 人が、内緒話をする際に声を極限にまで抑えて喋る、それだ。

 耳元で喋らないと普通の人間では聞き取れないくらいの音量。

 だが、ドルディノにはっきりと聞こえていた。

 ――誰……? 知り合い……? 

 そう思った時。

 ふと、ドルディノ耳に荒い呼吸音が聞こえ、その音の主―――……イリヤの方へと視線を向けた。

 イリヤは右手で格子を握りしめ、顔を俯けたまましゃがみ込んで丸くなっていた。その姿を見て、ドルディノの中で不安が膨れ上がる。

 ドルディノは飛ぶように格子へ駆け寄ると、二人を隔てている鉄の棒を両手で掴んで叫ぶように言った。

 「イリヤ君! 大丈夫!? 苦しいの!?」

 ――まさか、イリヤ君まで……!?

 ドルディノの脳裏に『死』の文字が過り、脈が速くなる。

 皆の視線が注がれる中、イリヤは無言で頭を振った。

 それを見て安堵したものの、荒い呼吸を繰り返しているイリヤを見て、再び不安が胸を巣食う。

 苦しくないならどうして荒い呼吸を繰り返しているのか。

 格子で阻まれている為、近くへは行けない。もちろん自力で出ることは可能だが、出来ればやりたくはない。もし騒ぎが起きて体調が悪そうなイリヤに負担がかかりでもしたらと思うと、躊躇してしまうのだ。

 「ちょっと……放っておいて……」

 苦しそうな声色でそう言うと、イリヤは後ろに下がり壁際の隅の方へ移動して、うずくまる様にしゃがみ込んだ。

 今すぐ側に駆けつけて元気づけたい気持ちにかられたが、掛ける言葉がみつからない。それに、放っておいてと言われているのに、側に行ってもよいものか。

 格子を掴んでいる両手に、無意識に力が入る。

 途端、ぐにゅ、と変な感触が手の平に伝わって、慌てて握っていた格子から手を離して見てみると、僅かに曲がっていた。

 ――わわわっ! またやっちゃった! ば、ばれてないよね……?

 内心ドキドキしながらそわそわと落ちつかなげに視線を泳がして、周囲の視線が自分に向いてない事を確かめた後、指先に力を入れ、加減をしながらなんとか曲がった鉄を直そうと試みる。

 隠れてそんなことをしていたドルディノには気づかず、ほんの少し距離の離れた所で椅子に座っていた茶髪の男は、顔を上げて、落としていた視線をもう一度訃報を持ってきた男へ向けた。

 いや、正確に言うなら、男が入って来た扉の陰で立っている、ボッツへと。

 ボッツは一度頷くと自分の姿を隠している扉をそっと手で押して動かした。その軋んだ音が室内によく響き、はっと気が付いた男が素早く背後を振り返る。そしてボッツと目が合うと緊張で上げていた肩をそっと落とし気の抜けた声を出した。

 「なんだぁボッツ、お前いたのかぁ。……ああ、そういやメシ運ぶ係りだったなぁ」

 「ああ」

 ボッツはそう一言答えると、一歩足を踏み出して姿を完全に現し、開けっ放しの扉から廊下へ出て歩いて行った。

 それを見送ってから、男は続けて呟く。

 「つか、いつから居たんだ? 気づかなかったなぁ……まぁ」

 そこで一旦言葉が途切れ、男の視線が椅子に座ったままの茶髪の男へと移った。

 「俺も戻るわぁ……アンタも無事みたいだし。報告しないとならねぇんで」

 「あー、そうだな~。ありがとなぁ~」

 にへ、と笑いながらひらひら手を振る茶髪の男を見て苦笑した後、ドルディノとうずくまっているイリヤを一瞥してから男は背を向けて歩き出す。数秒後には、扉の閉じる音と共に静寂が部屋を満たしていた。

 ふぅ、と軽く溜め息を漏らした茶髪の男だったが、ふいに顔を上げ視線を正面へ向けると、ドルディノが格子を何度も上下に撫でている姿が目に映り、首を傾げる。数秒、様子を窺ってみてもただ撫でている様にしか見えない。

 格子フェチか? などと思いつつ、口を開いた。

 「お~い何してんの~?」

 声を荒げた訳でもないのに、ドルディノはビクッと体を大きく震わせた。更に、まるで機械仕掛けのように、ぎぎぎぎ、と聞こえそうな程ゆっくりとした動作で顔を向けて来る。

 何か、見られてはならぬものを見られてしまった、そんな風情だ。

 内心面白おかしく思いながらも顔には出さず、同じ言葉を繰り返した。

 「何してんの?」

 「いっ、いやっ! 何でもないですよ!」

 両手の平を男に向け、ブンブンと勢いよく左右に振って否定するドルディノを見て吹き出しそうになったが、なんとか耐える。

 だが、手の平で覆い隠していた口角は確かに上っていたのだった。



 「……ぁ、は、……はぁっ……」

 誰かの荒い呼吸音と呻き声が耳に入り、それがドルディノの意識を呼び起こした。寝起きでぼーとしていたが無意識に声のする方を探し、視線を走らせる。そしてその双眸に、床の上で仰向けになり苦しそうに呼吸をしているイリヤを映したとき、瞬時に数時間前までの記憶が脳裏を駆け巡り、飛びかかるように両手で格子を握りしめていた。

 「イリヤ君! 大丈夫!?」

 叫ぶように声を掛けるが、返ってくるのは息をするのも苦しいといわんばかりの、荒々しい呼吸音と呻き声だけだった。

 ――いけない、このままじゃ……!

 危険を感じたドルディノは助けを求めるためにイリヤから視線を外し、室内の中央で椅子に座っているであろう男の方を向きながら口早に叫んだ。

 「ねぇ! イリヤ君の様子がおかしい―――……っていないし! ちょ、こんな大変な時にどこいったのあの人!」

 無意識に格子を握りしめたままの両手に力が入り、ぐにゅ、平の中で違和感を感じて「あ」と呟きながら手を離す。

 指の触れた個所がへこみ、まるで波の様に映った。

 「またやっちゃった…………。あ、でも、もうこれしかないか」

 そう言った瞬間、ドルディノは肩幅に開いたカ所の格子を掴んでいた手を離すと、自身の中心となる目先の方へ両手を移動させる。目前にある、二本の格子を左右の手でそれぞれ掴み、力を入れて、何かを引き裂くように一気に広げた。ぐにゃりと大きく曲がって広がった空洞は大人一人余裕で通れる程。

 ドルディノは急いで一歩足を踏み出すと、二歩目でイリヤの檻まで辿り着き、同時に先刻と同様に掴んだ格子を勢いよく開いて格子を大きく曲げ、苦しそうに床の上で呻き声を上げているイリヤの側に足をついてしゃがみ、顔を覗き込んだ。

 薄暗く見えにくいが、額に汗が浮かんでいるし、ほんのり顔も赤みがかっている気がする。

 ドルディノは素早く指先をイリヤの額に当て、伝わった熱に驚愕し、反射的に勢いよく手を引いた。

 ――いけない……! すごい熱だ!! どうにかしないと……!!

 ドルディノは焦燥に駆られながら、茶髪男が戻って来やしないかと耳を澄ませる。だが、別の事に気が付いた。

 騒々しい。

 「なんだ……? なんだか、凄くうるさい……」

 不意に、顔を天井へ向ける。

 地上で何かが起こっているようだ。もう一度耳を澄ませ、上の音を拾う。

 ガキィン、と鉄のぶつかり合う音、猛々しい声や、断末魔のようなそれも耳に届き、徐々にドルディノの眉根が顰められた。

 ――なんだ……? 一体何が起きてるんだ……?

 そう思った所で、はぁ、はぁとイリヤの荒い呼吸が聞こえ、ドルディノの意識が再度少年へ向けられる。

 ――そうだ、今は上のことはどうでもいい……なんとかしないと!

 ドルディノは、イリヤの膝窩に右腕を差し込み、左腕を少年の右肩から首後ろを通し左肩まで支えて掴むと、素早く立ち上がると同時に自身の胸に少年の体を寄せ、バランスを取る。

 途中で、落とさないように。

 ――よし、行こう!

 イリヤをお姫様抱っこしたドルディノは、先刻開けた格子の空洞から出て、自身が入っていた檻とイリヤの入っていたそれとの狭い間を、横歩きで通ると、小走りで室内を走り、扉の前で立ち止まる。それから耳をそばだてて、外界の音を聴いた。

 上は相変わらず騒がしく、不穏だが、すぐ手前の廊下は何もなさそうだ。行ける、と判断したドルディノは左手でドアノブに手を伸ばしぐっと握ると、思い切って回してみる。と、鍵がかかって開かないかも、と思った扉は呆気なく、簡単にカチャ、と音がすると共に軋んだ音を立てながら開いていき、静かな室内に木霊した。

 ――なんで……。 いや、いいか。急ごう。

 扉に鍵がかかっていなかったことを不思議に思いながらも、そんな時ではないからと思い直す。

 ドルディノは開けた扉の隙間から廊下の様子を確認した後、身を滑らすようにそっと廊下へ出た。

 暗く、窓もない為、状況が分からない。

 しかし、ここに居ても始まらない。

 ドルディノは抱いているイリヤに視線を落とした後、再度顔を上げて廊下の先を見つめる。

 数秒後、覚悟を決めて、一歩足を踏み込み駆け出した。

 ドルディノの足音が暗い廊下に鳴り響き初めて数十秒後、ドルディノの双眸に廊下の終わりを告げる壁と、階段が見えた。 

 上へ続く階段だ。どうやら一番奥に来たらしい。

 ドルディノは上へ続いている階段の先を見つめていたが、思い切って足を踏み出した。

 一歩一歩、確実に段を上がっていく。数段上がったところで踊り場について、数歩足を進めてから上を覗き込んだ。

 確実に、何の喧騒かは知らないが、それに近づいて行っている。

 これ以上行くのは危険かもしれない。

 かもしれないが……。

 ドルディノの視線が、胸の中のイリヤに落ちる。少年の呻き声を聴いていると、なんだか不意に、先違和感を覚えた。

 ――なんだろう……さっきと、様子が違う気がする……。急がないと!

 新たに焦燥感が生まれ、ドルディノはそれ以上深く考えることをやめて一歩足を踏み出した。

 一段飛ばしで飛ぶように上階へ向かう。そうして辿り着くと、目の前またもや廊下が広がっていた。

 しかしそれだけではない。廊下の壁に並んでいる窓の外から、揺らついている、幾つものオレンジ色の明かりと、鋭い鉄のぶつかり合う音、荒々しい男達の雄々しい声が、同時にドルディノの元へ飛び込んできたのだ。

 「なっ……」

 まるで、戦争の真っ最中ように、男達が剣や拳を使い、戦っているのだ。

 茫然とそれらを見ていた時、不意にグイッと背中を引っ張られ暗がりに引き込まれ、心臓がドクン! と強く飛び跳ねた。焦燥感と早鐘を打つ心臓を感じながら倒れそうになるのをなんとか耐え、両手に抱いているイリヤを落とさないように注意しつつ、自分を引っ張っている人間にも意識を向ける。

 ――誰っ……!? 場合によっては……。

 「もう! なんでこんなとこにいるんだよ~!」

 昏倒させようか逡巡していた時、聞き覚えがある声が耳に入って来て、一瞬思考が止まる。

 ――……え? この声……。

 背後を振り向いたドルディノの双眸に、はねている髪と、見慣れた顔が映り込む。

 間延びした喋り方の声の主は、茶髪の男だった。

 「あ、……」 

 「まあ手間省けたけどさ~、もう少し遅かったらはぐれるところだったよ~。それにしても、ほんとじっとしてないね君は~」

 茶髪男に引きずられるように暗がりの中を進んでいきながら、ドルディノは口を開いた。

 「な、なんで……」 

 「まぁそれは置いといて~先にここから出ないとね~」

 確かに、今は余計な事を話す場合ではないかもしれない。

 ドルディノは男の言葉に口を噤んだ。

 男が引っ張って行くのに任せ、無言で先を急ぐ。しかし数秒後、茶髪男は足を止めてドルディノはぶつかりそうになった。

 ――え、もうついたの?

 「あの……」

 「ほい、出て~」

 茶髪男がそう言うと、扉が軋む音と共に薄暗かった所に突如微かな光が差して目を逸らした。そうしながらも目を眇めて見てみると、そこは、外だった。

 まだ夜明け前なのか、それとも日が暮れたばかりなのか。

 久しぶりに見た気がする外界は、薄暗かった。

 一瞬のことで反応が遅れ、突っ立っているドルディノの背中を、茶髪男が押して外へ追い出される。同時に男自身も外へ出ると、開けていた扉をガチャリと閉めた。

 「こ、ここは……」

 「外だよ~。まあいいからついて来て~。やばいよその子」

 最後の付け加えられた言葉で、ドルディノははっと我に返った。

 素早く視線をイリヤへ向けると、先刻よりぐったりとしているように感じ、血の気が引く。

 「っ……! っあ……」

 どうしたらいいか分からず、焦燥に駆られながら顔を上げると、目の前に居た筈の茶髪の男は距離が空いた先を小走りで行っていた。それに驚愕し置いて行かれないように急いで駆け出す。

 足が地につく度に、イリヤの体が大きく揺れて、ドルディノの中に焦りと不安が膨れ上がった。

 ――っ……ごめん、ごめんねイリヤ君……もう少しだからっ! お願いだから、頑張って……! どうか、この子を守って……!

 そう心の中で願いながら、ドルディノは先行く茶髪男の背中を追って、一心に走り続けた。

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