第37話
冷たい床に寝転がり、薄暗い部屋の中天井に向かって手を伸ばすと、ジャラ、と重そうな音が鳴った。灰色の双眸に映った自身の両手首には縄ではなく、鉄製の錠がぴったりとはめられており、鎖は両手首から各両足にはめられている錠へ繋がって、足から伸びている鎖は、一人新たに入れられた格子へと伸びていた。
閉じ込められている牢から出てしまったので、厳重に、警戒しているのだろう。
あの時は、気がついたら咄嗟に格子を曲げて出てしまっていたのだ。
考える余裕もなく。
だからこの錠も、仕方がないと思う。
いや、これだけで済んで、幸いなのかもしれない。
「おい……ドルディノ……」
名を呼ぶ声が聞こえ、ドルディノはゆっくりとした動作で上半身を起こし、肩越しに背後を振り返った。
そこには、別の檻に入れられたイリヤの姿があった。
薄暗い室内ではあるが、蝋燭の明かりで照らされてイリヤの顔は良く見える。先刻の自分の行動で怯えてもいい筈なのだが、そんな気配は見せずに心配そうな顔をしていた。
「お前……大丈夫か……?」
「……大丈夫だよ」
不安げに呟かれた言葉に、そっと微笑んで返す。
すると、今度は少し離れた場所から声が掛けられた。
「君達ってほんと、仲いいね~」
横槍を入れられて二人の視線が一斉に、声の主へ移る。
部屋の中央には、一脚の椅子がある。そこに腰を下していたのは茶髪の男だった。声の主は、もちろんこの男。
彼は、ドルディノが逃げないように見守る監視役。
「ねぇねぇ君さ、どうやったらあんな力出るの? 鉄格子曲げちゃってさ~もうみーんな固まってたよ!」
見るからに楽しそうにそう言った茶髪男の顔は、好奇心いっぱいで輝いて見えた。忘れたいことをほじくり返されて、ドルディノは気まずく思い、そしてイリヤの反応が気になって、自然とそちらへ視線が流れる。
イリヤは、怯えた表情もなく、ただ真顔で男を見つめているだけだった。だが、視線に気づいたのかドルディノの方へ顔を向け、目が合う。
「何?」
「いや、何でもないよ」
鎖がはめられている両手を前に出して慌ててそう答えながら頭を振ると、「ふぅん……変なヤツ」とイリヤが呟いて、それを聞いたドルディノが苦笑する。
――変なヤツ、か……。
変人扱いはされるけど、怯えられはしないことに、心底安堵している自分がいた。
彼に怯えられたら、きっと……辛い。
それだけ、情が移ってしまっていた。
――っ……リアンっ……。
先刻、センザと呼ばれていた男が言い放った言葉が、脳裏でぐるぐる回り続け頭から離れない。
――こんな筈じゃ……なかった……! 手掛かりを探しに来たのに…………こんなことなら…………知らなければよかった!!
無意識に俯き、哀愁を漂わせていたドルディノを、じっと見つめる茶髪男とイリヤ。三人の中に沈黙が横たわる。
たっぷり一分は続いた沈黙を破ったのは、茶髪の男だった。
「……それでさ~君はさ~、あの男が言った言葉を信じるの?」
耳にした言葉がすっと頭に入ってこず、意味を理解するのに数秒時間がかかった。それからゆっくり顔を上げると、目を瞬きながら、訊く。
「……え?」
「いやあ~……あの男を、信用するのか、ってことだよ~? ……おいらだったら信じないな~……自分で確かめてないしね~。信じるに足るる男でもないでしょ?」
――仲間、じゃないの?
絶句するドルディノに、茶髪の男は続けて言った。
「まあ、……すぐ分かると思うけど……たぶんね~」
――すぐ分かるって……どういう意味かな……。
「そ、そんなこと言ったらあんたの言葉も信用できないじゃんか!」
横から飛んで来たイリヤの言葉で茶髪の男が黙り込んだ。数秒ほど沈黙が広がった後、ブッと突然吹き出したと思ったら声を出して笑い始める。
男が肩を震わせて笑う姿を、二人は茫然と見つめた。
暫くすると、一頻り笑って気が済んだのか、彼の笑い声がようやく収まった。
そして茶髪の男は改めてドルディノとイリヤに視線を送り―――……二人がきょとんとした表情をしているのを見た途端、何が面白いのかまた吹き出し始めた為、室内は暫く彼の笑い声に満たされることとなった。
乱れた息を整え、軽く喉を鳴らし、声の状態を正常へ戻すと、茶髪の男は再度正面を向いた。
ドルディノは相変わらずきょとんとしていたが、隣の檻に入っているイリヤは訝しげな視線を送って来ていた。それにまた笑いそうになりながらも抑え込み、再度喉を唸らせて調子を整える。
そうして落ち着きを取り戻した茶髪の男は、ようやく口を開いた。
「……ええとね~おいらが言いたかったのは、自分で見たことしか信じない、ってことだよ~。どの人間が信用に足りて、足らないかなんてのはさ~結局自分で見て感じて決めるしかないんだからさ~……それで騙されたらさ~……自分の見る目がなかったんだよ」
そこで一旦言葉が途切れた。
再度静けさに支配される室内。
数秒考えたあと、ドルディノは疑問に思ったことを、訊いてみることにした。
「……ねえ、あなた達は……仲間、なんだよね?」
その言葉を聞いた瞬間、茶髪の男の顔からいつもの表情が消えた。片目を眇め、正面のドルディノを見つめた後視線をそっと逸らす。そして、男はふっと苦笑した。
「……ちーと喋り過ぎちゃったか~」
小さく呟かれていたが、静まり返っている室内には大きく響いて聞こえた。
「何? あんたあの男の仲間じゃないの? 違うんならここから出してよ」
すかさずイリヤがそう訴えるが、茶髪男はいつものにこにこ顔を張り付けると、一言言い放つ。
「だ~めだよ~」
「え~けち! なんでだよー!」
「おいらにはおいらのすることがあるんだよ。その障害になりそうな事はしない。……まあ、静かにしてなよ~。どうせすぐ出れるんだからさ……」
「すぐって! いつだよ!?」
興奮し、大声で叫ぶように言いながら格子を両手で掴み間髪なく訊いてくるイリヤを見て、再度男から表情が消える。
先刻とは違い、少し苛ついているのがドルディノには分かった。
少し大きめの溜め息を吐きだした茶髪男は、真剣な表情で真っ直ぐイリヤを見つめ、はっきりと言った。
「出たいなら黙ってろ」
その言葉を聞いた瞬間、イリヤが格子から手を離し、背後に後ずさった。
茶髪男の怒気に気圧されたのだろう。
「な、なんだよ……」
少し震える声でそう呟いたイリヤは、男に背中を向けて床に座り込んだ。
たぶん、男に対する不満を態度で示しているのだろう。
確かに、茶髪男の怒りはイリヤからとってみれば不条理なのかもしれない。けれど、ドルディノは彼の苛つく理由も分かる気がした。
茶髪男が奴隷商人達の仲間ではなかった場合、この会話は聞かれてもいいとは言えない。
話の流れからすると、彼は何かの用があってここに居るのだろうから。
――そう、僕がリアンの情報を掴みたかったように……。
だからきっと、ばれたら困るのだ。
そう考えていた時、ドルディノの耳が誰かの足音を拾った。コツン、コツンと床を踏み鳴らしている音が、少しずつこの部屋に近づいてくる。ドルディノの意識が扉の外へと向き、そちらへ自然に流れた視線を茶髪の男が追う。そうして男が背後を振り向いて数秒後、聞こえて来た靴音が扉の前で止まり、それがゆっくり開かれた。
姿を現した新たな奴隷商人は、ぼさぼさの髪の毛と無精ひげを生やしている中肉中背の男だった。
「メシだぞー」
「ああ、ボッツ。ありがと~」
左手に、皿を三つ並ばせたお盆を持って室内へと一歩足を踏み出して後ろ手に扉を閉めると、持ってきた食事を茶髪の男へ渡した。
それを受け取った茶髪男は立ち上がると、ズボンのポケットから鍵を取り出して、ドルディノが入っている檻へ近づいて行く。そして格子の一部分を開けてスープが入っているお皿を差し入れた。
スープを受け取るために、ドルディノは枷が付いている両手を伸ばした。ジャラ、と重たい音が響く。
両手の平にスープ皿が収まり、まだ温かいことに気が付く。
――温めて、くれたのかな……。
スープに落としていた視線を、持ってきた男へ向ける。目が合うと男は素っ気なく目を逸らしたが、スープを温かいうちに持ってきてくれた彼に、少し感謝したい気分になった。
茶髪の男はイリヤが入っている格子を開けようとしているところだった。
ドルディノは、冷めないうちに、と思い両手に持った器をゆっくりと傾ける。
そして中に入っていた茶色い液体を口に含んだ。
「っ!!」
瞬間、スープ皿は宙を舞い、中身の茶色い液体が飛沫をあげながら落下していた。全て撒き散らされ空になった器が、虚しくカラン、と音を立てて床を転がる。
皆の視線が一斉にドルディノへ集まり、それは訝しげなものへと変わった。そんな中ドルディノは口元を拭うと慌てて視線を隣りのイリヤに向け、格子を両手で握りしめると叫ぶように言った。
「飲んじゃダメだ! 何か入ってる!」
「えぇ!?」
それに驚いたのはイリヤで、彼は急いで両手の平に包まれているスープ皿へ視線を落とし、数秒見つめたあと、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。暫くしてから顔を上げると訝しげな視線をドルディノへ向けた。
「何にも匂いしねぇぞ?」
「いいから!」
唇を尖らせたイリヤはしぶしぶ、スープ皿を置いた。
「飲まなかったよね!?」
床に置かれた、スープがなみなみ入っているお皿を見ながらドルディノが問うと、イリヤは少し黙った。その沈黙に嫌な予感を覚え、ゴクリと唾を飲み下した。
「ま、さか……飲んだの……?」
数時間にも感じられた数秒の後、イリヤはしぶしぶといった様子で口を開く。
「……一口」
「っ!」
――そんなっ……! 遅かった! いや、でもっ……どんな類かは分からないし……。
無意識に床に落としていた視線を、イリヤへ向けると眼を細めてじっと観察する。
――とりあえず、今は……元気みたい、だし……大丈夫、なのかな……。
考えを巡らしている側で、茶髪の男は自分のスープ皿をじっと見つめていた。二人に先に配っていた為、自分はまだ一口も飲んでいないのだ。
茶髪の男は、背後に立っている仲間へ視線を向ける。目が合った男は、踵を返し、扉の方へ向かって歩き出した。
男が扉を開けようとノブに手を伸ばしたとき、廊下の方から誰かが急いで走っているような足音がし、それに気が付いた男はそっと扉の脇に避ける。
彼の立っている位置は、扉が開けられた時死角になる場所だった。
間髪入れず勢いよく扉が開けられ、一人の男が姿を見せると同時に「た、大変だ! 死人が出た!」と開口一番そう叫けんだ。
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