第36話

 ――死んだ…………? 誰が…………? 誰が………………あの子が………………? 嘘だよ………………そんな筈ない………………そんなの………………そんな………………。

 男の背中を押さえつけていた両手はふらりと離れ、両膝をついたまま身を起こしたドルディノは、何も映らない瞳で虚空を見つめていた。心臓は早鐘を強く打ち続け、手の平には汗が滲んでいる。

 ふっと腰から力が抜けてドルディノの体が前方へ傾いた。その影響でだらりと垂れ下がった左腕はそのままに、右手の平で顔を覆う。指の隙間から覗いている瞼は、目玉が飛び出さんばかりに開いていた。

 ――嫌だ…………嫌だ!! 信じない! 信じない!! 絶対に信じない!!!

 「信じない――――――!!」

 腹の底から絞り出されたその言葉は、今まで生きて来た彼が初めて上げた慟哭だった。

 「うるせえええぇぇえぇぇ! 邪魔だああああぁぁぁあぁ!」

 束縛の力が緩んだ隙を逃さず床に抑えつけられていた男が、勢いよく上半身を起こすと共に自身の腰を挟むように両膝を付いていたドルディノの体を、右腕で撥ねのけた。体から力が抜けていたドルディノは軽く横に飛ばされ、尻餅をついた。そこに間髪入れず茶髪の男と共に入って来た二人が襲いかかり、ドルディノの体を俯せにして床に抑えつけ、両手首を腰に回すと、縄で締めあげて、自由を奪った。

 そこへ小走りで寄って行った、センザと呼ばれていた男は勢いよくドルディノの横腹をドガッ! と蹴り飛ばす。そして二度目を入れようとしたところで、茶髪の男に横槍を入れられる。

 背後から両脇を通して腕を通され、ガッチリと体を止められたのだ。

 「待ちなさいって~! そんなことしたら上にどやされるぞ~!」

 「ぐっ……くっそおおぉぉぉぉぉ!! っ放せえぇ!!」

 茶髪男の言葉を聞いたセンザは言葉に詰まりながらも、収まりきらない怒りを怒鳴ることで爆発させた。

 これ以上止めてもややこしくなりそうだと思った茶髪男は両腕を退けてセンザを解放する。自由になったセンザは己の自由を奪った茶髪男を軽く睨み付けた後、目下で抑えつけられたままのドルディノを血走った目で見つめた。

 その顔は怒り狂っていて鬼のようになっており、殺れるものなら今すぐにでも殺りたいと大いに語っていた。それを真正面から見てしまった男二人はその気迫と恐怖で圧倒され、僅かな悲鳴を漏らし、体を小刻みに震わせる。やがて舌打ちをしたセンザは憎々しげにもう一睨みした後、当り散らすように床をドスドスと踏み鳴らしながら歩き、勢いよく扉を開け放って、扉を閉めることはせずそのまま姿を消した。

 ドルディノは、冷たい床に頬をつけたまま、その靴音をどこか遠くのように感じながら、そっと瞼を伏せた。




 「くっそ、くっそ! くっそおおぉぉぉぉぉ!!」

 ガン、ガン! と薄暗く狭い廊下で何かを蹴る音が響き渡っていた。ここは地下な為、壁は石でできており、いくら壁を蹴っても誰にもどやされはしない。

 いや、今は側に誰もいないのだから、センザが蹴り上げていてもばれやしないのだ。

 積りに積もった憤怒を足に込めて壁を蹴り上げている内に痛みを伴い始め、やがてセンザは荒い息を繰り返しながら蹴り続けていた足を降ろして止める。

 「くっそぉ…………!!」

 吐き捨てるように言って、今度は手の平を勢いよく、バン! と壁に叩きつけた。

 手の平から、ジンジンと痛みが伝わっている筈なのだが、怒りで支配されているセンザは気付かない。

 ――ヤベェ、ヤベェヤベェヤベェ!!! こんな所でまたアイツに遭うとは運がねぇ!!! 

 怒りの他にセンザの中で渦巻いている感情は、焦燥。

 

 

 実は、数年前。

 

 ドルディノやリアンが住んでいた小島を襲った時、別の奴隷たちも一緒に輸送中だったのだ。意外に島に住んでいた者の人数が多く人が溢れてしまい、仕方なく先に輸送中だった馬車の中に、幾人も紛れ込ませて運んでいたのだ。

 

 運んでいたのだが――。

 

 何故か、肝心なその日だけは、邪魔が入り奴隷にされる予定だった『商品』が、こともあろうか、逃げたのだ。

 

 取り逃がした奴隷商人の幾人かは密かに始末され、運よく生きていたとしても今度は己自身が奴隷に身を落とされている。

 もしかしたら、拷問なども受けた者がいて、挙句の果てにはこの世から消えたかもしれない。

 

 センザは、そうなりたくなった。

 

 だから。


 あの日、ドルディノを担当し取り逃がした自分は、他の『商品』を輸送していた奴隷商人の仲間を殺し、輸送した。


 もともと、自分が運んでいたのだと嘘をついたのだ。


 上を、騙した。


 これがばれたら、自分の運命は――……。


 センザは、無意識に、ギリ、と歯を食いしばる。


 ばれてはならない。


 だから。


 口を封じねばならない。


 あの少年が生きていることは、知られては、ならないのだ。


 殺すしかない。


 あの場にいた、奴は、自分以外。


 全員。







 



 センザがドス黒い感情の奔流に身を任せているその瞬間、陰からこっそり様子を窺っている者がいた。

 「……ふぅん~」

 小さく囁かれたその言葉は、誰の耳に入ることもなく。

 その場を後にした彼自身の靴音で、掻き消されたのだった。

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