第34話

 その瞬間、無意識に耳に意識を集中させて、男達の足音を追っていた。彼らがコツン、コツンと靴音を鳴らしながら遠ざかっていくのを感じていると、身近で動く気配があることに気が付き、男達に向けられていた意識が移る。

 「ドルディノ……大丈夫?」

 心配そうな声が聞こえると同時に、背中に回さ縛られている両手首が軽く揺れだした。縛っている縄を引っ張っているような感触と、背後に立っているイリヤの唇から漏れる舌打ち等から、縄を外そうとしているのではないか、と思い至る。

 「イリヤ君。彼ら……君の縄、ほどいてくれたの?」

 目隠しされたままなので確証はなく、ドルディノは疑問に思ったことをそのまま口にした。

 「あ、うん……なんか、外してくれたんだけどっ……ドルディノの縄、きついっ……!」

薄暗い部屋の中、結ばれている縄の結び目を、なんとか解こうとしているようだったがなかなかすんなりとはいかなかった。それからイリヤは数十分かけて外し、どうにかドルディノの手に自由が戻る。

 「ごめんね、ありがとう。手、大丈夫?」

 ぱらぱら、と縄が床に落ち、ドルディノは無意識に痛くもない左手首を右手で触れながら、視線をイリヤに向けてそう訊いた。

 イリヤは縄と格闘して疲れたのか、はーと溜め息を漏らしながら床にしゃがみこんでいる。そんな少年を見下ろしていたドルディノは目線を合す為自身も腰を折って床に左膝をつき、右足は立てたままでイリヤの顔を覗き込んだ。

 すると、ふぅ、と再度溜め息が聞こえたと思ったらイリヤが顔を上げ、二人の視線が絡み合う。

 一瞬ビクッとした様子のイリヤだったが、目が合うと軽く微笑んだ。

 「大丈夫だよ……ちょっとひりひりするけどね!」

 その笑顔が照れているように見え、ドルディノも自然に微笑んでいた。

 「……ありがとう」



 それから数時間、二人は冷たい壁に並んで背を凭れかけさせていた。話を聞こうにもあれから誰も部屋に訪れないし、閉じ込められた時は薄暗かった程度の部屋が、時が経つにつれ闇が深まっていっていた。自分はまだ動ける程度だが、イリヤは真っ暗で何も見えないらしいので不審がられないよう大人しくしている。

 食事などもいつ普及されるか分からないため、余計な体力を使わないようにじっとしているのだが……長時間座ったままというのもそれなりにきついものだった。

 時折、牢屋をぶち破って出てやろうか、という思いが脳裏をかすめるが、さすがにそれはやめておいている。

 ――はぁ……どうして誰も来ないんだろう……これじゃあ、何の情報も得られない……。もしかして、闇取引が行われるまでこのままなのかな……いや、そうだとしても流石に食事くらいは運んで来る筈……。前だって……。

 「なぁドルディノ」

 過去に思いを馳せそうになった瞬間、隣りから声が掛かり引き戻される。視線を隣りに座っているイリヤに向け、返事を返した。

 「ん?」

 「おれ達……いつまでこのままなのかな? アイツも居ないし……違う部屋にでも閉じ込められてんのかな…………まさかもう売られたとかじゃないよね!?」

 最後はドルディノの両肩を掴み、ブンブン揺さぶりながら叫ぶようにイリヤが言い、ドルディノは前後に体を振られながら両手の平をイリヤに向け、慌てて声を掛けた。

 「おおお落ち着いてイリヤ君! とりあえず落ち着いて、離して、ねっ?」

 目が回りそうになるのに耐えながらそう言うと、両肩から手が離されて揺れが止まり、胸元の服の裾を握りしめ俯きがちになったドルディノは床を見つめながら生唾をごくりと飲み下した。

 ――き、気持ち悪い……。

 胃のむかつきを抑えようと集中していると、頭上からイリヤの声が落ちてきた。

 「……アイツ……どこにいんだよ……」

 苦しそうに呟かれた言葉に、顔を上げてイリヤを見る。

 今にも泣きだしてしまいそうな、顔をしていた。

 慰めたいが、言葉が見つからない。

 黙っていると、ドルディノの耳が誰かの靴音を拾い、視線をイリヤからその肩越しにある扉へと移る。

 音は、徐々に近づいて来ていた。だんだんとはっきり聞こえてきている。

 ――もう、売買が始まる……?

 一、二分遅れてイリヤが背後を振り返った。

 恐らく、彼にも靴音が聞こえ出したのだろう。

 それから数秒後に、二人が視線を向ける中、この部屋と廊下を繋げる唯一の扉が軋んだ音を立てながら開かれていった。

 途端、オレンジ色の光が暗闇に支配されている部屋の床を照らし、眩しくてドルディノは目を眇める。

 「おら、飯持ってきてやったぜー?」

 そう野太い声が聞こえると共に食事を持ってきたという男の靴音が真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 普通の人より若干早めに光に順応したドルディノの瞳に、ダークブラウンの肩まで伸びている髪を、幾つかに分けて編んでいるそれが映った。

 鉄格子の真へりで立ち止まった男の、何かが入っていると思われる器を持った両手が二人へと伸ばされて、傍にいたイリヤが受取ろうと手を差しだし―――……その器は少年の手先を掠め、ガラン、と高い音を立てながら床に跳ねて、転がった。

 床に散って染みを作った液体を、茫然と見つめる二人の耳に、突然笑い声が聞こえ、その声の主へゆっくりと視線を向ける。

 格子を挟んで立っている、食事を運んで来た男へと。

 男は、腰を折り、腹をかかえ体を震わせながら大笑いしていた。

 男の嘲笑が、静かな部屋に木霊する。

 黙って見ている二人の前でひとしきり嗤った男はひーひー言いながら顔を上げ、侮蔑のこもった目を向けると口元を歪めた。

 ドルディノは僅かに目を細め、無言で男を見つめた。

 男の侮蔑に満ちた目と、嘲笑で歪められた口元で、疑問が確証に変わった。

 この男は、持ってきた食事を、わざと床に落としたのだ。

 嗤い足りないのか、くっくっく、と声を漏らしながら床にぶちまけたスープの後始末もすることもなく、背を向けて去っていく。

 そして立ち尽くしているままのイリヤと黙って見ているドルディノの瞳から、扉が閉まる音と共に男の姿が消え、ずっと座っていたドルディノは立ち上がると、イリヤの肩をぽんぽん、と軽く叩いた。

 すると、それまで正面を向いていた頭が下がり、俯く。

 どうにも出来ない悔しさや悲しさが漂っているその小さな背中に掛ける言葉は、ドルディノには浮かばなかった。



 コツン、と音が耳に届いてドルディノの伏せられていた瞼が開けられ、瞬きをした。

 壁に背を凭れかけさせたままで寝ていたドルディノだったが、近づいてくる靴音で目が覚めた。目を細めて正面の扉を見つめていたドルディノだったが、真横で床に丸くなって寝息を立てながら眠っているイリヤを確認し、再度視線を扉へ向ける。

 ――誰だ……? まさか、また食事を持ってくるわけでもないだろうし……。……とうとう売買が……?

 この部屋には窓がない為、昼夜も分からなくなってしまった。

 連れて来られて、何時間経ったのかも。

 警戒の意を込めて見守っている中、その靴音は扉の前でピタリと止んだ。ガチャ、と音が響き、扉が軋んだ音を立てながら開かれていく。

 先刻と同様眩しい光が差し込んで来て、ドルディノは再度目を眇めた。

 その時。

 「あっれ……明かりもついてないじゃん……」

 寝ていると思っているのかもともと声の音量が低いのか、囁いたような、小さいそれがドルディノの耳に届いた。途端、暗闇の中に小さな明かりが浮き上がり、僅かに風が吹いているのか、灯されている炎が揺れて影が動く。

 静かに扉が閉められると同時に、ぼんやりと浮かび上がっている炎が動いて、分裂した。

 暗くて分からなかったが、壁際に蝋燭立てが設置してあったらしい。それが僅かに部屋の中を明る照らした。

 侵入してきた男の蝋燭の明かりが更に移動し、扉側の壁に取り付けてある蝋燭から蝋燭へ渡り歩き、徐々に男の姿が暗闇に浮かび上がってきて、ドルディノにはよく見えるようになった。

 そこに居たのは、今まで見たことがない男だった。茶色い髪がぴんぴんはねており、片耳にはピアスをしている。その男が漂わせている雰囲気は、これまでの粗野な男達と違って軽快だ。お調子者を思わせる。

 ――こんな、人もいるんだ……。

 点々と明かりをつけて回った男の視線がついにドルディノの方へ向いて来て、目が合うと、男はぎょっとした顔で見つめて来た。

 まるで、予想外だった、とでもいうように。

 「え、あ……お、起きてたんだ……」

 その言葉と頭を掻いている仕草から、男が動揺していることはまる分かりで、ドルディノはなんだか肩の力が抜けてしまった。

 ――なんか、調子狂うなこの人……。

 「あ。あ~あ、やっぱりなぁ」

 そう言って突然近づいて来た為、牽制のつもりで男を睨み付ける。が、男は気が付いていないのか意に介した風もなく鉄格子の前でしゃがみ込むと、床に視線を落とす。

 「さっきあいつが食事持って行くって言ってたから……様子見に来てみれば、やっぱりこうなったか……まぁ」

 そこで言葉を切ると、突然目線を上げてドルディノと目を合わせる。警戒し、体に力を入れるドルディノを見ながら、男は続けて言った。

 「……君が起きているのは予想外だったけど~」

 そう呟いてから男はじっとドルディノを見つめた後、視線を床で丸くなっているイリヤに移した。

 沈黙が横たわり、何時間にも感じられる数秒の後、男が静かに立ち上がった。

 なんとなく感じていた息苦しさから解放され、ドルディノは無意識に止めていた息を吐く。

 男は靴音を響かせながら背中を向けて扉へ向かって歩いていっていた。その姿を見ながら、ふと頭に疑問が浮かぶ。

 ――何しに来たのかなぁ、この人……。

 見守っていると男は扉の前でピタリと足を止めると肩越しに振り返ってドルディノを見た。二人の視線が絡み合い、そのまま数秒時が過ぎた時。

 「……なにか訊きたいこと、ある?」

 何の前触れもなく、突然男はそう言った。

 その言葉を聞いた途端、ドルディノは息を吞んだ。

 情報を得たかったことを思い出したのだ。

 すっかり頭から抜け落ちていた。

 心の中で自身を罵った後、ドルディノの反応を待っている男へ視線を移し、同時に音をたてないよう気を付けながらゆっくり立ち上がり、じっと見つめる。

 お互いの視線が絡み合い、沈黙が流れた。

 そしてドルディノは、口を開いた。

 ずっと、訊きたかったこと。

 それは、あの子の事だった。

 緊張で生唾がわき、喉を鳴らして飲み下す。心臓はドックン、ドックンと早鐘を打ち、手には汗が滲んでいた。

 ――これで、分かるかもしれない……捜せるかもしれない!

 無意識に握りしめていた拳に、更に力がこもる。

 もう一度、ゴクリと唾を飲み込んでからドルディノは、今度こそ質問を口に乗せた。

 「今から、八年前……この、闇取引で……行方の分からなくなった子を、捜したい……」

 ついに、知りたかった質問を口にした。その答えを待ちわびて心臓は爆発寸前にまで暴れている。

 緊張のせいで、額に汗が浮かんだ。

 短くも長い数秒、ドルディノは歯を噛みしめて、答えを待つ。

 そして、ついに、男の唇が、質問に答えるために開き―――……。

 「あ、ごめんそれ知らないや~」

 ははははは、と軽く笑いながらそう言った。

 「いやぁ、っていうか、これから僕達どうなるのーとか、そういうこと訊かれると思ってたからさぁ~ちょっとびっくりしたわ~はははは。ってかそこは気になんないの?」

 にこやかに微笑みながら訊いてくる男の言葉は、ドルディノの耳に、遠くで囁いている程度のものにしか聞こえていなかった。

 ショックだった。

 勇気を振り絞って訊いた答えが、「知らない」のたった一言で終わった。

 わざとでも捕まえられて、商人の誰かに訊けば、少しでも情報が得られると思っていたのだ。

 ……軽く、考え過ぎていた。

 そんな自分自身に、嫌悪する。

 情けなくて、泣きそうになる。

 どうすればいいのか、もう分からない。

 「……っ…………」

 俯き、拳を握りしめてただ立ち尽くしているドルディノを微笑みながら見つめていた男だったが、数秒経っても数分経っても身動きすらしないのを見て、ついに笑顔が消えた。

 「う~ん……」 

 唸り声を上げながら、左の手の平を後頭部へ回し、とんとん、と軽く叩く。

 このまま黙っていれば永遠にでも続きそうな沈黙が性に合わず、男は悩んだ末、ドルディノに呼びかける。

 「なぁ…………」

 数秒反応を待っていたけれども、返ってくるのは沈黙だけ。

 男はついに溜め息を漏らし、後頭部を叩きながら「あのさぁ……」と言葉を紡いだ。

 「……おいらは知らねーけど、大抵の商人達は入れ替わり立ち代わりであっちこっちを行き来するらし……するんだ。だからさぁ、あんたのその捜してる子の事も、知ってる奴が居るかもしんねぇし……そう、落ち込むなって~……。なぁ?」

 端から見れば、落ち込んでいる『商品』を励ます悪徳商人、という変な構図なのだが、突っ込める人間は誰もこの場にいなかった。

 数秒経って男の言葉を理解した途端、ドルディノはかばっと顔を上げ身を乗り出さんばかりに鉄格子を掴みながら叫ぶように言う。

 「本当!?」

 その勢いに気圧され、たじたじになりつつも、「お、おう……」と言葉を返す。

 「ん~……んん…………でぃ…………」

 床に丸まっているイリヤが呟いて、ドルディノはビクッとし、焦って視線を向ける。そのまま数秒見ていたが、起きる気配はなく、ほーっと、溜め息を漏らした。

 ――危ない危ない……イリヤ君が寝てること忘れてた……気を付けよう……。

 「ま、そういうことなんで……。あ、たまーに様子見に来てやるよ~。じゃあな~」

 「あ! ……ありがとう」

 自分を売りさばこうとしている人間に感謝の言葉を伝えるのは変な気もして、抵抗があったが、それでもやはり言葉を舌に乗せた。

 丁寧に教えてくれたのだ。

 根は、悪くないのかもしれない。

 ……助けては、くれないけれども。

 ありがとう、と言われた男はきょとんとした表情をしていたが、暫くした後、苦笑した。

 そして、呆れたような声色で、呟くように言う。

 「……悪徳商人に感謝してどうするよ~……」

 そして男は今度こそ、扉を開けて部屋を後にしたのだった。

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