第32話

 「な……んで……」

 小屋の中に、イリヤの声が響く。

 驚き過ぎて、声が掠れていた。

 助けに来てくれる、と確かに約束はした。

 でも実際は、先刻別れたばかりで、もし自分がいなくなったことに気が付いたとしても、それはかなり先の事だと思っていた。

 なのになぜか、そこにいる。

 助けに来てくれない事を数秒前に呪ったのに、もう側にいる。

 そしてその姿を見た瞬間、安心感を覚え、それに気が付いた自身に嫌悪を抱く。

 あまりにも、身勝手な気がして。


 イリヤの声を聞いて、ドルディノの視線が男の肩越しにこちらへ向けられた。

 二人の視線が絡み合った時、ドルディノは微笑んだ。



 ――よかった。間に合った……。

 心の中でそう呟き、安堵の溜め息を漏らす。

 「貴様っ……! ……どこかで、見たツラだな……?」

 その声で男の存在を思いだしたドルディノの視線が、イリヤから移って男の姿を瞳に映す。

 訝しげに眉根を寄せている男を見ながら、ドルディノも同じことを考えていた。

 ――どこかで見たような……。どこだったっけ……。

 そして突然、思い出した。

 イリヤを捜していた男達に、殴られたことを。

 「あ」

 無意識にドルディノの唇から言葉が漏れ、男のこめかみがピクリ、と動いた。

 「貴様にも覚えがあるか……。ま、いい。お前には用はないんだが」

 そう言うが早いか、男の拳がドスッ! とドルディノの腹に入った。

 「ドルディノ!!」

 イリヤが叫び声を上げ、同時にドルディノの体が崩れ落ちる。

 ドサッ、と思い音を立ててドルディノの体が砂利の上に倒れ込み、砂が舞った。

 「はー……くっそ、めんどくせぇことになった……めんどくせぇ……」

 ガリガリ頭を掻きながら大層面倒くさそうにそう言った男は、倒れたドルディノの背中の裾を掴み、引き摺って小屋の中へ入る。

 そして、パッとその手を離した。

 突然支えを失ったドルディノの上半身が、再度地面に叩きつけられた。ドサッと重たそうな音が響き、同時に砂埃が舞った。

 イリヤは傍でうつぶせに放られたドルディノの元へ咄嗟に近寄ると、その背中に手を当てておそるおそる、ゆすった。

 起きるかと思って。

 だが、ドルディノは身動き一つしない。そんな彼を、イリヤは心配そうな顔で覗き込む。

 瞼は伏せられていて、イリヤからはまるで意識がないように思えた。

 「ドルディノ……! おい、しっかりしろっ……!」

 泣きそうになり、声が震える。

 そんな二人の光景を見ながら、男は不機嫌そうな顔で、吐き捨てるように言った。

 「ちっ……! めんどくせぇ……! 大人しくしてろよ!」

 イリヤの耳に、男の歩き出した靴音が届き、数秒後には扉が閉められた音が聞こえた。

 暗がりの部屋の中、イリヤはドルディノの背中をさすりながら、その名を呼ぶ。

 「ドルディノ……、ドルディノ……?」

 不安が胸を巣食う。

 まさか死んだんじゃないだろうか。

 そう、考え始めた時。

 突然、がばっとドルディノが起き上った。

 「イリヤ君、大丈夫?」

 少し心配そうに覗き込んでくるドルディノの顔をその目に映しながら、イリヤは驚愕で言葉が出ず、口をパクパクさせた。そして、ゆっくりと人差しドルディノに向ける。

 ゴクリと喉を鳴らし息を吞んだイリヤは、口を開いた。

 「お……ど、ドルディノ……お腹……」

 「ああ、お腹は大丈夫」

 ケロっとそう言うドルディノを見ながら、目をぱちくりさせ、瞬きを繰り返す。

 「え……ほんと?」

 「本当、本当」

 「あ、そうなんだ……よかったぁ……。……って、お前までなんで捕まってんだよ!?」

 「え?」

 目をつり上げて叫ぶように言うイリヤの言葉を聞いて、ドルディノが小さく呟く。

 「お前まで捕まっちゃったらどうしようもないじゃん!」

 「ああ……。…………うん、そうだね…………」

 「どうすんだよ!」

 イリヤの焦った声を聞きながら、ドルディノは暫し、頭を巡らせる。

 そしてたっぷり数秒経った後、「うん」と呟いた。

 「まあ、なんとかなるよ」

 「ちょっ……楽観的すぎじゃないの!?」

 「え? そうかなぁ」

 「絶対そうだよ! もう! どうするんだよー!」

 薄暗い中、天井を見上げてそう苦悶の声を上げるイリヤを、苦笑しながら見つめる。

 ――うーん……咄嗟に気絶したふりしちゃったんだよね……。まあ、内側に入り込めたんだし……これはこれで、いいのかもしれない……。けど、まずは、イリヤ君の友達を見つけないと……。

 そう考えて、ドルディノは周囲を見渡す。

 気配で分かってはいたが、この薄暗い空間には自分達以外に、人はいないようだ。

 ――んー……捕まえている人を閉じ込めておく、別の場所があるのかな……。

 「ねぇイリヤ君」

 「あ?」

 改めて視線をイリヤに向ければ、彼は肩を落として地にしゃがみこんでいた。肩越しに振り向いているその姿は、見る人が見ればいじけているようにも思えそうだ。

 ――あらら……。

 「……イリヤ君が捕まってた場所って、こことは違うんだよね?」

 するとイリヤは、「んー」と唸り声を上げながら周囲を見渡し始める。

 そうして数秒経った後、イリヤは改めてドルディノに向き直ると口を開いた。

 「うん……ここじゃないと思う。……アイツもいないし……」

 友達の事を思い出しているのか、後半は僅かに声が震えている。

 それに気が付いたドルディノは、イリヤの側へ近寄るとそのまだ小さい肩をそっと抱いて、胸の中で両肩を震わせているイリヤの頭を、軽く、優しくポンポンと叩いた。

 ほんの少しでもいいから、イリヤの悲しみが癒えるように願いながら。



 昼間は明るく、そこら中から食欲を刺激する香りを漂わせ客の呼び込みをする者、される者とで賑わっていた街も、夜になると一転する。

 辺りは闇に包まれ歩を進めることにさえ気を遣い、同時に周囲への警戒を怠ってはならない状況に陥る。陽光で暖かかった大気はなりを潜め、肌を刺すような寒さへ変わる。

 そんな中、狭い路地の壁に背を凭れかけさせ、頭上数メートル先に見える隙間から、夜空を眺めている男がいた。その路地は直線で、尚且つ片方は壁に阻まれ行き止まりになっている為、出入口は一つしかない。

 じっと夜空を眺めていた男だったが、じゃり、と靴を踏みしめる音が聞こえて視線を己が先刻通った路地の先へと向ける。

 そこに立っていたのは、仲間の一人。

 ここで、待ち合わせをした相手だった。

 だが。

 「……ど」

 名前を呼ぼうとした瞬間、殺気が男を貫いて咄嗟に口を噤む。

 男は、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み下すと、誤魔化すように笑ってから、仲間の愛称を口にした。

 「シャリー……が、来たんだねぇ」

 愛称で呼んでやると、それまで放たれていた殺気が一瞬で消えうせた。同時に薄暗い路地の中に、コツン、コツンと靴音が響く。

 自分に近づいてくるシャリーの姿を、ぼんやりと視界に捉えながら、男は待ち人が話しかけてくるのを待つ。

 「そうよぉ……なぁに? アタシが来たら、まずいってワケ?」

 靴音を踏み鳴らしながらそう言ってくるシャリーに、男はとんでもないとばかりに忙しく頭を振る。

 「違うって! ちょっと言ってみただけさ……」

 「ふぅん……? で、首尾は?」

 それまでなかった緊張感が二人の間を一瞬で支配し、同時に男の表情に真摯さが表れた。だがそれも一瞬のことで、すぐ相好を崩す。

 「やー上々よ? バレてもないし~。ま、また二人増えるみたいだけど……。一人は脱走した坊主、もう一人はその坊主の関係者、って話だ」

 「ふぅん……。ま、頭に伝えておくわぁ。引き続き、頑張ってねぇ。……決行は、明後日よぉ」

 「了」

 「ばぁい」

 シャリーは身を翻しながら、ひら、と片手を上げる。影が、靴音と同時に遠のいていくその様子をじっと見つめながら、無意識に溜めていた息を吐いた。

 「ふぅ……。さぁて、おいらももう少ししたら戻りますか……」

 一人残った男は再度壁に背を凭れかけさせると瞼を伏せる。そうやって数分やり過ごしてから、頭を包んでいるバンダナの位置を直す。

 そして、彼はその場を後にした。



 ガラガラガラ、と何かの音が聞こえ、ドルディノは目を開いた。

 まだ夜中なのか、辺りは闇に包まれている。

 が、目を閉じて暗闇に慣れさせていたことと、自身の目がいいことから特に問題はないくらいにはよく見えていた。

 壁に背を凭れかけさせたままで、正面にあるたった一つの出入り口の扉を見つめた。

 己の体に身を寄せて安らかな寝息を立てているイリヤの、細い肩を抱いている腕に、自然と力が入る。

 ――何だろう……何かが近づいて来る……。この音……蹄の音? ……馬車か!

 脳裏に過去の事が浮かび、ドルディノの目が細められた。

 その時。

 「っ……てっ……」

 隣から聞こえて来た声に我に返って、イリヤの肩に回していた腕から力を抜いた。

 無意識に力が入っていたらしい。

 視線を扉から少年へと移すと、イリヤは目が覚めたらしく姿勢を正すところだった。

 体を起こしたイリヤは痛みが走った肩を一瞥し、顔を見上げて視線をドルディノへと移す。

 真っ直ぐに見つめてくる瞳に、何と言い訳しようかと思っていた時、ガタン、という音と共に馬の嘶き声が外から聞こえて来て、二人の意識が一瞬でそちらへ向く。

 「ドルディノ……もしかして……」

 いつ、扉が開かれるのかをじっと見守りながら、イリヤに応える。

 「うん……多分、僕達を連れて行く気だ」

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