第30話

 それは、単なる腹立ち紛れから来る言葉だったのだろう。

 だが、ドルディノの心にはぐさりと突き刺さった。

 ――なぜ……。いや、怒るな……相手はまだ子供なんだ。それも、両親から引き離され奴隷商に売られそうになっていた子供……。怖くて、怯えている子供なんだから……。

 無意識に少年から外していた視線を再度向ける。

 その際一瞬だけ、燦々と降り注いでいる陽光で少年のくすんだ灰色の髪が輝きを放ち、銀色のそれに見え、ドルディノは軽く目を開いた。

 同時に、心臓がドックン、と強く跳ね、再度心の中で「この子は違う」と否定する。

 そうして心が落ち着いた次の瞬間には、少年の銀色に見える髪にリアンが重なって見え、懐かしさを覚えていた。

 ――ああ……君は、今どこにいるんだろう……。

 無意識に、少年を掴んでいる手に力が入り、ぎゅ、と強く握る。その感触に気が付いた少年は、ドルディノから逃れるために駆使していた自身の手から彼のそれに意識が移り、顔を上げて視線を向ける。その瞬間ドルディノと視線が絡んだが、目が合った彼はなんだか寂しそうな表情をしていて、驚きに軽く目を瞠った。

 「なっ、なんだよ……」

 そう呟いた少年の声色は、終わりにかけて尻すぼみになっていっていた。

 思い出に想いを馳せていたドルディノだったが、少年の言葉が聞こえハッと我に返り、灰色の双眸に彼の姿を映し出す。その途端今の状況を思い出し、少年の腕を捕えていた手から力が抜けた。敏感に感じ取った少年は腕を引き抜き自由を奪い返すと、掴まれていた個所をさする。

 肌がこすれる音が聞こえ、自身がしたことに気が付いたドルディノは左の手の平をぱっと少年に向けて開き、謝った。

 「あっ、ごめん……痛かった? 痣になってない……?」

 「別に、このくらい……平気さ! ケド、あんた……なんでそんな寂しそうな顔してるんだ?」

 「寂し……そう? 僕が?」

 「ああ。……してるぜ」

 「……」

 ――今日、二回目だ……。

 突然黙り込んで俯いたドルディノを数秒程じっと見つめていた少年だったが、ふいに視線を逸らし、地面を見た。

そうして、口を開く。

 「その……さっきは、ごめん。言い過ぎた」

 謝罪の言葉が耳に届いて、ドルディノは顔を上げ少年に視線を向けた。

 「え?」

 「だからっ……ごめんって!」

 そう言うと少年はくるりとまわり、ドルディノに背中を向ける。「ったく、二度も言わせんなよな……はずいじゃん」と小さく呟いた声を、ドルディノの耳が拾った。その言葉を聞いて、ふっと笑みがこぼれる。

 ――いい子だなぁ。

 「……じゃあ、行こうか」

 そう言いながら歩き出し、ドルディノは少年のそばを通り過ぎる。しかし、先を行こうとしたドルディノの腕を少年の手が掴んで、足を止めさせられた。背後を振り向いて少年の姿をその双眸に映すと、彼は勢いよく言った。

 「なんで!? ……っ……どこに、だよっ」

 言葉を言い換える少年を見て、再度微笑む。

 「君の、友達を助けにね」

 「えっ……」

 目を瞠り、茫然と呟く少年にドルディノは微笑みながら口を開いた。

 「案内、よろしくね」

 そう言って再度歩き出すドルディノの背中に、我に返った少年は叫ぶように言う。

 「なっ、ちょっと待てよ! 本気なのかよ!?」

 その言葉を聞いてもドルディノは足を止めず、ゆっくりと歩を進めながら静かに答える。

 「うん」

 「ちょっ……!」

 片手をドルディノの背中へ伸ばし、止める仕草をした少年だったが、歩いていく背中を見て口元が綻んだ。

 本当は、一人では心細かったのだ。

 少年は背中を向けて歩いていくドルディノに向かって、笑顔で駆け出した。



 少年に案内を任せ一緒に並んで歩いて来ていたが、彼が足を止め指さした先にあった、どっしりと構えてある建物をその双眸に映した時、ドルディノは目を瞠って立ち尽くし、初めて少年を訝しんだ。

 ――なに……僕、もしかして騙されてるのかな……。

 だが、少年が奴隷商に捕まっていた話をしていた時の表情からして、嘘とは思えなかった。

 だが、目の前に広がっている光景も……信じがたい。

 ――この、建物……。

 「どう、みても…………普通の、料亭…………なんだ、けど…………」

 そう力なく呟いたドルディノは、隣りに並んで足を止め、自分と同様に建物を見上げていた少年に視線を落とした。

 二人は、料亭みたいな建物から数メートル離れたところにある、民家の物陰に隠れていた。まだ少年を捕まえようとするかもしれないからだ。

 ドルディノの言葉で、自分を疑っていることに気が付いた少年は、勢いよくドルディノを見上げると眉間に皴を寄せ眉をつり上げて叫ぶように言う。

 「嘘じゃねぇよっ!」

 「わっ! わかったから、もうちょっと声のトーンを下げてっ……!」

 ドルディノが慌ててそう言った瞬間、少年の表情が「やべっ」と言いたげなものへと変わり、咄嗟に背後を振り向いて誰かに気付かれていないか確認をする。それにつられたドルディノも料亭にしか見えない建物へ視線を送り、神経を研ぎ澄ませつつ無言で見つめた。

 研ぎ澄まされた両耳が拾う音は、カチャン、と食器のようなものが立てる音、客と思われる者達の声に、頼まれた料理を告げる店員のそれが加わわって、ざわついており、騒がしい。

 どうやら繁盛しているようだった。

 会話も拾えるが、どれもたわいない世間話や愚痴が多いようだった。中には下ネタも話しているおやじが居るようだったが、それには聞こえないふりをする。

 数秒程経ってからドルディノは無意識に伏せていた瞼を開け、少年の状態と周囲の確認をするとともに研ぎ澄ましていた神経を正常へ戻す。

 目の前の少年は、相変わらずじっと料亭のような建物を見つめていた。

 ――大丈夫かな……。

 そんな少年をじっと見ていたドルディノだったが、ふとある事に気が付いた。

 少年の、育ちきっていない細い肩が、僅かに震えていたのだ。両手は拳を握っており、そちらも肩と同様だった。

 ドルディノの瞳が和らぎ、温かみのこもった視線を少年の背中に向ける。

 ――そうだよね……やっぱり怖いよね。怖くない筈がないよね……さっきまで捕まっていた場所なんだから……。彼等にとっては一応この子は『商品』だし、酷い目には遭わされてないとは思うけど……。

 何を考えているのか。

 料亭のような建物を、身動きせずじっと見つめている少年に、ドルディノは声を掛けた。

 「……怖いなら……やめてもいいんだよ?」

 その言葉を聞いた途端少年はまたも突然振り返ると、ドルディノに掴みかかんばかりに勢いよく叫んできた。

 「やめないっ! お前こそ怖いんだろ!?」

 言われた言葉にきょとんとしていたドルディノだったが、天を仰ぐと小さく唸った。

 「ん~……。そう、だねぇ……」

 ドルディノの呟きで一瞬言葉が詰まった少年だったが、開き直ると更に言葉を重ねる。

 「なっ、なんだよっ……! お、お前だって……怖いんじゃないか……」

 後者に成る程尻すぼみになると同時に、少年は視線をドルディノから逸らす。

 その様子をちゃんと見ていたドルディノは目を細め、少年を見つめた。

 ――うん、だって……何が起こるか、分からない世界だから。……僕に、君が護れると良いけど……。あの子は……護れなかった、から……。今度は、護りたい。

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