第29話

 ドルディノの中で急激に焦りが生まれ、膨れ上がった。抑制し難いほどの欲求。

 

 この子を問い詰めて、もっと話を聞きたい。

 

 だが、それを残っていた理性を掻き集め、留める。

 

 この子は、傷ついて泣いているのだ。混乱している。そんな子供に、勢いに任せて問い詰めてはならない。

 ――落ち着け、落ち着け……。焦るな……。

 ドックン、ドックンと心臓が跳ねあがり、極度の緊張から手に汗が滲んでくる。

 ドルディノは、ゆっくりと深く、深呼吸をして己を落ち着かせようと試みた。そうして幾度か深呼吸してくるうちに、だんだんと落ち着いてくるのを感じる。

 ――大丈夫……心臓はまだうるさいけど、もう大丈夫。

 無意識に、爪の後が残るほど強く握っていた拳から力を抜いて、一度だけ瞬きをすると、しっかりと少年を見つめる。

 「君……は、どこに捕まって……いたの?」

 言葉を投げかけながら、ドルディノの声は尻すぼみになっていっていた。

 自身の発言にはっとし、疑問を覚えたからである。

 ――そうだ、捕まっていた筈。それはこの子の話からも、分かる。じゃあ、どうしてこの子は……今こうして、ここにいるの? ……男達に追いかけられていたし……。

 「っ……」

 ドルディノの見ている中、少年は俯きがちになっていた顔を更に伏せると、太腿に置いていた両手で力強く握り拳を作った。

 何とも言えない複雑そうな表情と緊迫した雰囲気を感じたドルディノは、何か事情がありそうだと悟る。

 黙っているままの少年を無言で見つめ見守っていたが、話す気配がなさそうと判断して口を開こうとした、その時。

 「お、おれ……た、たぶん……売られそうに……なってたんだ、と、思う……。そんな話をしてるのが、た……たまたま、聞こえて……怖くなって……おれ……っ」

そこで一旦口を噤んだ少年だったが、ドルディノが黙って見守っていると、数秒後閉ざした口を再度開き、震える唇で言葉を続けた。

 「おれっ……と、…………友達と一緒にいたのに一人で逃げたんだっ!!」

 その言葉を聞き、ドルディノは軽く目を見開いた。

 そして、目を細め、少年を見つめる。

 ――そう、そうなんだ……言い辛そうにしていたのは、そういうことだったんだ……。

 走馬灯のように、自分にも起こった出来事が思い出され、ドルディノはいつの間にか膝の上で握っていた拳に、力を入れる。

 ――いつまで、続くんだろう……奴隷商が蔓延る、世の中が。

 少年を見つめていた灰色の瞳が逸らされ、天を仰いだ、晴れ渡っている青空を映し出す。

 ――無くさなければ、ならない……。

 そっと瞼を伏せたドルディノだったが、再度少年へ視線を向ける。

 その瞳に映しだされた少年は、未だ俯いて体を震わせているままだった。

 「君は……悪くないよ。あの状況なら、逃げることは罪じゃないと思う」

 「何も知らないくせに知ったようなこと言うなよ!」

 突然、少年が怒りを爆発させ、叫ぶように言った。

 「お前なんか……お前なんか!」

 「知ってるよ」

 「えっ……」

 静かに告げられた言葉で、少年の中で膨れ上がっていた友人への罪悪感、自分自身への苛立ち、情けなさが一瞬で消えうせる。

 半信半疑でドルディノと目を合わせた少年だったが、ドルディノが真顔で見つめてきているのを知り、嘘じゃないと悟った。

 けれど、やっぱりどこか信じらず、口を開く。

 「ほ、本当……なの?」

 「本当だよ。僕も……昔、売られそうになったことがあるんだ……」

 そう言った途端、脳裏にリアンの姿が浮かんで思考が埋め尽くされ、想いを馳せる。だが、その様子を見た少年が数秒後、しびれを切らし声を掛けたことで、ドルディノは現実に引き戻された。

 「ねぇ!」

 「あっ……うん」

 そんなドルディノを見た少年は、呆れたように深い溜め息を漏らした。

 「……あんた、よくそんなボーっとしてて、逃げれたよね……」

 少年の言葉にドルディノは苦笑し、「そうかなぁ」と小さく呟いた。

「まぁ、……さっきみたいに、すっげぇ高い所から降りたりできるんだから……逃げれたのもあながち嘘じゃないんだろうけど……うわっ思い出したら鳥肌立ってきたっ」

 「あ。ごめんね、さっき驚かしちゃったみたいで……」

 薄汚れている袖を捲り素肌を晒して覗き込み、立った鳥肌の確認をしているであろう少年を見ながらそう声を掛けると、彼は目線を上げてドルディノと視線を合わせた。

 「……別に……。……じゃあ、おれ行くとこあるから」

 そう言って突然すくっと立ち上がった少年に気が付いたドルディノは、え、と小さく声を漏らした。

 「行くとこってっ……故郷に帰るの?」

 既に歩き始めていた少年の小さい背中にそう問いかけると、足がぴたりと止まる。そうして沈黙が数秒続いたあと、少年は口を開いた。

 ドルディノに背中を向けたままで。

 「友達を、置いて……帰れるかよ……」

 そう、小さく呟かれた声は、誰にも届くことなく消えただろう。

 普通なら。

 だが、耳の良いドルディノには、しっかりと聞こえていた。

 その言葉を聞いた途端、ドルディノは微笑みを浮かべ、目を細めて温かみの含まれた視線を少年に向けた。

 ――いい子だなぁ。でも、一人じゃ危ない……。あんなに大勢の男達に、子供一人の力が敵うわけない……。

 自身がされたことを頭に思い浮かべながらそう思ったドルディノは立ち上がると、再度歩き出していた少年の元へ足早に駆け寄る。距離はそんなに離れていなかったため、ほんの数秒で少年の背中に追いついたドルディノは、足音に気が付いている筈だがそれでも頑なに前へ進んでいる少年の腕を優しく掴んで足を止めさせた。

 歩くのを邪魔された少年はドルディノを振り向くと、強い意志のこもった瞳でじっと見つめる。

 「待って。一人じゃ危ないよ。それに、どこにいるのか分かってるの?」

 「っ分かんねぇよ! でも、捕まってたとこ行きゃ、まだ居るかもしれないじゃないかっ!」

 少年がそう叫ぶように言ったと同時にドルディノの手が掴んでいる腕をぐいっと引っ張った。

 それでドルディノの手が離れると思っていたが外れることはなく、しっかり少年の腕の裾を掴んでいるままで、それが少年の心に苛立ちを生ませる。

 ぐいぐい腕を引っ張ってみても状況は同じで、数秒後には少年は、自由な左手で掴んでいるドルディノの手を逆に掴み、指を外そうと試みていた。

 が、固くて一向に外れる気配がない。

 ドルディノの指と数秒対決した後微動だにしない事に腹が立って、少年は叫ぶように言った。

 「つか、どんだけ力強いんだよっ! 化け物かよ!」

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