第28話
「ちょっとおにいさぁん、寄ってかなぁい?」
その言葉と同時に、歩いていたドルディノの腕をぐいっと引っ張った者がいた。
素早く振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。真っ先に目を引いたのは、鮮やかな色合いの花弁が散っている様。よく見ると服で、薄い生地で出来ているのか素肌が透けて見えている。襟ぐりも深く、姿勢を変えれば胸が見えてしまいそうだった。腰には真紅の布を巻いており、太腿に大きく入ったスリットから素肌が覗き、踝まで伸びているスカートも上着と同様の生地で作られている。
派手。
そんな言葉が脳裏を過る。
女性は掴んだドルディノの腕に胸を寄せぴたりとくっつける。
普通なら、喜ぶところかもしれない。
だが、ドルディノは少しの興味も湧かなかった。
「……今、急いでるので」
やんわりと断ったつもりだった。
しかし女性には伝わらなかったのか、ますます身を寄せぐいぐいと腕を胸に押し付けてくる。
「いいじゃないのぉ……すぐそこだからぁ。ちょっとだけ……ね? ほらぁ」
そう言うと女性は胸元からドルディノの腕を解放した。
ほっとしたのも束の間で、女性はドルディノの腕を求め、改めて手を伸ばしてくる。それを素早く察知したドルディノは持っていた紙袋を、彼女の胸に軽く押し付けることで躱した。
「えっ、ちょ……」
困惑したような、苛ついたような言葉が、艶のあるふっくらとした桃色の唇から漏れた。
その間にドルディノは歩く速度を上げ、女性の真横を颯爽と通り過ぎ距離を空けていく。
見向きもせず背中を向けて去っていくドルディノを見て、女性は押し付けられた紙袋を両手で抱きしめながら、その背中に叫んだ。
「何なのよー! いらないわよこんなのー!」
ドルディノはそんな言葉を耳にしながらも足を止めずに歩き続けた。
――これだけ歩けばもういいかな……?
数分間程止めることなく歩き続けていたが、ようやくドルディノは立ち止まり背後を振り返った。
女性の姿も見えないし声も聞こえない。
おそらく諦めてくれたのだろう。
顔を正面へ戻すと空を仰ぎ、ふぅ、と溜め息を漏らした。
「あーあ、せっかくもらったのに……申し訳ないことをしちゃったなぁ……」
赤く、艶々としたパルカが脳裏に浮かび、無意識に溜め息が漏れた。
女性から逃れる術が、他に思い浮かばなかったのだ。だから、咄嗟に押し付けてしまった。
そして次の瞬間、きゅるるるるという小さな音が聞こえ、ドルディノは視線を落とす。
音の原因は、自分のお腹だった。
「……小腹がすいたなぁ……何か食べようかな……」
右手で腹を押さえながらそう呟いたドルディノは何かお店はないかと周囲を見渡し、手頃そうなお店を探すものの、目につくのは衣服や調理器具などの雑貨品が並べてある店ばかりだった。
がっくり肩を落とし溜め息を漏らしたドルディノは仕方ないかと思い直し、先へ進もうと一歩足を踏み出す。
が。
「このガキがぁ!!」
背後の方から聞こえたその声に、ピタリと足を止めた。
様子を窺おうと、肩越しに振り返って―――目を見開く。
見覚えのある子供が、怒鳴られていたのだ。
――あの子、さっきの!
そこにいたのは、先刻男達に追いかけられていたところを助けた子供だった。
そのあとで怖がらせて、逃げてしまったけれど。
――今度はどうしたのかな……。
そう考えていたドルディノの足は、自然にそちらの方へ進んでいた。
「金を払えや! 食いモンが欲しいならよぉ!」
「っ……!」
怒り任せにそう叫んだ店のおやじは、小さな細い手首を力強く掴んでいた。
おやじの言葉から察するに、あの子供は食べ物を盗もうとしたのかもしれない。
よく見れば、パンみたいなものを売っているようだった。お肉の焼ける匂いも漂い、とても美味しそうに見える。
小さく、僅かにドルディノのお腹が空腹を訴えて、鳴いた。
「ったくよぉ! 親はどこにいやがんだ!? ああ!?」
同時におやじの口から新たな怒声が飛び出し、周囲にこだまする。微妙な雰囲気が、その場に横たわった。
おやじは子供の手首を捕まえたまま腕を引っ張り上げようとし―――……その手を、ドルディノのそれがやんわりと触れて止めた。
「ああ!?」
目を細め、鋭い視線を向けてくるおやじに、ドルディノはにこっと笑う。
その笑顔を見て毒気を抜かれたおやじはたじろぎ、その隙にドルディノは視線を落として子供へと向ける。
少年は、驚いた顔をしてドルディノを見つめていた。
それに対しても微笑むと視線を元に戻し、口を開いた。
「おじさん、その美味しそうなの二つくれるかな? あと」
そこで言葉を切り、少年へと視線を向ける。
「この子が手を付けた分も」
その言葉におやじは一瞬驚いたあと疑わしそうな視線をドルディノへ向けてくる。
だが、先刻までの殺気じみたものではない。
「なんでぇ……このガキと知り合いか?」
「うん、ちょっとね」
「……ちっ」
そう舌打ちをするとおやじは捕まえていた子供の手首をぱっと放し、長い木箸で上手にパンのようなものを取ると、近くにあった紙袋を取り、四つほど無造作に突っ込んでドルディノの胸に押し付けるように寄越す。
それを微笑みながら受け取ったドルディノは、ごつごつして太い指の、肉の漬けタレで汚れているおやじの手の平に通貨を数枚落とし、少年へ視線を向けた。
「さ、行こう」
今度は少年がたじろぐ番だった。
すっと伸ばされたドルディノの手と顔を眉を顰め交互に見つめた後、このままではらちがあかないと思ったのか、ゆっくりと小さく細い手を伸ばし、少し大きめの手の平に、ちょこんと指を重ねた。
ドルディノは重ねられた手をしっかり握りなおすと、「さ、行こう」と同じ言葉を繰り返し、歩き出した。
店から少し歩いた先に噴水があり、その周りには手を加えていない自然な姿のままの、岩が並んでいた。とはいっても、少しは選んでいるらしく、若干傾いていたりはするものの、上が平たくなっており一応大人一人くらいなら座ることが出来る。それが、噴水を囲む様に並んでいるのだ。
他にも何人かが座っていた為、それに習いドルディノは少年と共に腰を下すことにした。
お腹も空いているし、丁度いい。
背後からザーと水音がすると同時に水飛沫が風に乗って僅かに運ばれてくる。それが涼しく感じられ、好ましく思いながらドルディノは隣りの岩に腰を下した子供に視線を向けた。
岩に座ってからずっと視線を地面に落としていた子供だったが、ドルディノの視線を感じたのか、ふと顔を上げ目を合わせてきた。二人の視線がぶつかり合うと、慌てたように目を逸らした少年を見てドルディノは静かに微笑むと胸に抱いていた紙袋を開けた。途端美味しそうな匂いが漂って来て、食欲を刺激される。
挟まれているものがこぼれない様にゆっくりと中身を取り出すと、改めてじっくり観察した。
薄く、長方形の白いパンに、ちょっとした野菜とタレ漬けされているお肉が挟まっているという、簡単なものだ。しかし挟まれている焼けたお肉の香りが美味しそうで、皆それに惹かれて買うに違いない。
先刻のいい匂いはこれだったのかと思いながら、ドルディノは、いつの間にか隣で物欲しげな視線をパンに注いでいた子供に、「はい」と持っていたそれを差し出した。
瞬間、しまったというような顔をした少年は再度目を逸らしたが、それでもドルディノがそのまま差し出した姿で待っていると、お肉の匂いに惹かれたのか限界だったのか、ついに両手を伸ばしてパンを受け取った。
おそるおそるといった様子で、小さく一口齧った子供だったが、それを飲み込んだ途端速度を上げ、まるで何日も食べ物を手にしていなかったと思わせるように勢いよく食べ始める。
それを好ましく思いながらドルディノは、紙袋から新たに自分用のパンを取り出すと、それを眺めた。
――パン……。
脳裏に、今は霞んでしまい完全には思い出せなくなってきた、あの子の姿を思い描く。
――年月というものは、なんて……。もう、君の姿をおぼろげにしか思い出せないよ……。元気にしてるのかな……一目だけでも……君に、会いたい。
「お前、食べないのか?」
隣から幼い声が聞こえ、はっと我に返ったドルディノは視線を向ける。
子供が、しっかりとした瞳で自分を見ていた。
腹を満たしたからだろうか。先刻までの弱々しさは、どこにもない。
「……ううん、食べるよ。もう一つ、いる?」
膝に置いていた紙袋を子供に差し出すと、少年はドルディノを一瞥した後で手を伸ばし紙袋を受け取った。そうして中に手を入れるとパンを取り出し、おもむろに齧り付く。
そんな子供を見ながら微笑むと、ドルディノも己が手にしたまま口をつけずにいたパンを食べ始めた。
ドルディノは自分が食べ終わると子供が食べ終えるのを見守ってから、話を切り出した。
「手は……痛くない? 大丈夫?」
そう言うと、子供はチラッとドルディノを一瞥してから視線を地面に落とし、両足をぷらぷらさせる。
よく見ると、子供の着ている服は所々擦り切れていて素肌が見えていた。全体的に黒く染みが付いていて汚れているし、履いているズボンも同様。
まるで……使いまわしているかのよう。
その時、ふと先刻のおやじの声が脳裏に響いた。「親はどこにいやがんだ!? ああ!?」と。
確かに、その疑問が湧くのは当然の事ではないだろうか。現にいま、自分もそう考えている。
――訊いてみようかな……。
「ご両親……は?」
その言葉で、子供の揺れていた足が、ぴたりと止まった。
「……わからないよ」
え、と小さくドルディノの口から言葉が漏れる。
それに反応した子供は、続けて言った。
「分からないんだ! なんか、急に連れて来られてっ……父さんと母さんと、離されたんだっ! おれだって何が何だかわかんないよ! 父さんたちどこに行ったんだよー! と、友達だって一緒にいたのにっ……! お、おれっ……おれっ……!」
――え、ちょ、ちょっと……それって……!
「まっ、まって! 君……もしかして、攫われた……の?」
話しながら感情が爆発した少年は半泣きで、目尻から涙を流しながら鼻をすする。ドルディノに訊かれ、目元を手の甲で拭った少年は、無言で俯いた後、僅かに頷いた。
――それ、は……。
ドルディノの脳裏に過去の出来事が走馬灯のように迸る。
心臓が、ドックンドックンと鳴って、うるさい。
――奴隷商……!
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