第27話

 男達が自分を追ってくるのを敏感に感じ取りながら、ドルディノは足早に進んでいく。忙しなく目を動かしていると、ふと、声高らかに叫んで客を呼び寄せようとしている声が耳に入った。なんとなく意識がそちらへ流れ視線を向けると、声を張り上げている女性の露店のそばに探していた路地があるのを見つけ、微笑む。

 ――あった!

 そして、ドルディノは歩くペースを落とした。

 ゆっくりとした足取りで店へ近づいて行くとついには足を止め、露店に並んでいる、人の手に少しだけ似ている形をした、赤く艶々としてぷっくり膨れているパルカの実を覗き込んだ。甘酸っぱく果汁が多い中身を赤い艶々とした薄皮一枚で保持しているのだが、表面を布で優しく拭いているのか、覗き込んだドルディノの顔が少し歪んだ形で映りこんでいる。

 「やっ、優しそうなお兄さん。どうだい? うちのは赤々として美味そうだろう~? 果汁たっぷりだよ!」

 上から声が降って来て、乗り出していた身を起こし顔をあげ、商いをしていた女性に視線を向ける。

 「うん、美味しそうだね。あとで買うよ」

 「何言ってんだい! 今買わなきゃ~あとで後、悔……」

 女性の声音が尻すぼみになっていくと同時に、ドルディノの灰色の瞳に映りこんでいた元気いっぱいの溌剌としていた顔が、徐々に顔色を無くし恐怖に変わっていく。そして、恐怖に象られた女性の顔に影が差した。

 ――来た、か……。

 「よぉ兄ちゃん」

 背後から野太い声が聞こえ、ドルディノは微笑んだまま体ごと振り返る。

 体躯のいい三人の男達が、道を塞ぐように並んで立っていた。

 もう逃がさない、とでもいうように。

 いや、実際逃す気は微塵もないのだろう。

 彼等からは、殺気が漂っていた。

 実際に殺しはしないかもしれないが、叩きのめされるには違いない。

 「……何でしょうか?」

 わざと、にっこり微笑んで対応するとイラっときたのか、中央に立っている男が一歩前に出るとドルディノの胸を鷲掴みし、ぐっと顔を引き寄せる。

 強制的に近くへ引き寄せられ、無精髭が生えている男の顔が間近に迫った。

 「顔かしな!」

 男の口元からぷぅんと漂ってきた酒臭さに一瞬吐きそうになる。

 ――臭い……酔ってるなぁ……。

 咄嗟に鼻をつまみたくなったが、それをすると火に油を注ぐのは明白なので、止めておく。代わりに呼吸を止めた。

 「分かりました。……手、放してくれませんか?」

 そう声を掛けると、胸倉を掴んでいた男の顔が更に凶悪になった。目を細めてドルディノを睨み付け、胸倉を掴みあげている拳は震え出し、男の口元が怒りでゆがむ。

 「て……んめぇっ……! いいから来いやぁ!」

 力任せにぐいっと引っ張られ、男達にとってはお誂え向きに見えたであろう路地へと体を投げ出される。一瞬倒れそうになったが体のバランスを取ってそれを凌ぐと、背後の男達を振り返った。

 「あぁん!?」

 殺気が一層高まり、辺りを支配する。視線を周囲に走らせれば、先程まであった喧騒は収まり、沈黙と恐怖が横たわっていた。遠巻きに様子を窺っている町の人々の視線を、体中に感じる。

 戦々恐々としながらも、興味を隠せない視線。

 ――うわぁ……こんなに注目されちゃうとはなぁ……。

 少し、居たたまれない気持ちになる。

 視線を正面へ戻したドルディノは路地へ向かって歩き出した。その際今まで見ていた店の女主人がか細い声を出した事に気が付いたが、聞こえていない振りをして歩を進める。

 反応すれば、関係ない人まで巻き込むかもしれない。

 それは、望むところではない。

 躊躇せずに薄暗い路地の中へ足を踏み入れ、数歩そのまま前へ進む。奥の方にも大通りがあるのか、出口が燦々と輝いて見えた。

 だいたい中央と思われるところまで進むと、ドルディノは足を止めた。

 ――どこまで歩けばいいのかな……。ここまで来れば、もういいよね……?

 男達に声を掛けようと、振り返ろうとしたその時。

 ドルディノの耳に、砂利を踏みしめる音が聞こえた。

 そして、気配。

 ――ああ……動く。

 そしてドルディノは、わざと背後を向けたままにして、彼等の足技を背中で受け止めたのだった――。



 「けっ! くそ! あのガキどこへ消えやがった!」

 「まぁ落ち着けって……! こいつはマジで知らないようだし、捜しに行こうぜ」

 「ちっ」

 男が舌打ちをした音が、路地に響く。

 「まぁ……こんだけ殴りゃもういいか」

 「行こうぜ。さっさと見つけないと俺らがボコられる」

 「そうだな」

 砂利を踏みしめて、遠ざかっていく男達の重たそうな足音がドルディノの耳に届いていた。

 頬や口元が少し切れ、血が滲み、仰向けで倒れているドルディノの肌に、地面へ向かって線を走らせていた。

 男達の気配が路地から消えて数分後、ようやくドルディノは体を起こし、暗い路地を見渡したあと、男達の消えた方向を見つめる。

 気配はもうかけらも感じられない。

 ふぅ、とドルディノの口から溜め息が漏れた。

 「あーあ……服が汚れちゃった……」

 切れた頬から血が滲んでいる事には構わず、体中に着いた土埃を手で軽く払う。パンパン、と小気味の良い音が路地の中に響き渡った。

 路地の先の大通りでは、一応まだ市が賑わっているらしく、変わらずに声が届いていた。

 ――いや、少しは静かになったかも……。

 そんなどうでもいいことを考えながら、ドルディノはゆっくりと立ち上がった。

 少し余裕のある薄茶色のズボンも土埃で汚れており、肩をすくめてからそれも払いのけた。

 「……こんなもんかな」

 そうして顔を上げ、再度男達が消えた方向を見つめた。

 くす、と笑いがこぼれる。

 「……マルクスの言う通りだったな……」

 脳裏に彼のニヤリ顔が浮かんで、ドルディノの口元に笑みが浮かんだ。

 ――あの日を思い出す。

 顔を上げ、青い空を見つめた。



 




 あれは、自分に王子としての記憶が戻って一年後だったか。

 帰郷して以来毎日、マルクスに武術を習っていた。

 早朝、昼間、夜間。

 それぞれの時間帯で、当然のことながら太陽の動きが変わり、視界に変化が訪れる。夜目は利く方だが、やはり見えにくくなる。そういう状況にも対処できるよう、一日三度に渡り武術を教わっていた。

 そんなある日、僕達は外へ出た。

 ちょっとした、視察。

 少し足を伸ばして、人間が住まう街へと出かけたのだ。

 懐かしかった。

 とても。

 けれど、そのかわり、あの子の姿が傍にない事が、とても……悲しかったのを覚えている。


 初めは特に何もなかった。マルクスと連れ立って、街の中を歩き回り露店にでていたものを口にして腹を満たした。そうして日が暮れて、そろそろ城へ戻ろうかといったとき。

 今のように男達に絡まれたことがあったのだ。

 僕はその時まだ小さく、マルクスが止めたのもあって手を出さなかった。そして、男達も手は出さなかった。マルクスは別だ。彼らは、マルクスを叩きのめした。

 僕は驚いた。

 あんなに強いマルクスが、人にやられるなんて。

 確かに1対4だったけれど、マルクスならそれくらい……と内心思っていたのだ。

 でも、結果は惨敗で。

 マルクスは傷だらけだった。

 その後急いで城へ戻り傷の手当てをし、部屋に帰らせて謹慎させた。

 子供ながらに心配だった。

 翌日、ケロっとしていたけれど。

 それから数日、変わりない日々がまた続いた。

 その間ずっと、僕はやっぱり納得できなかった。

 マルクスが人に殴られているのを何度も思い返し……その度に浮かぶ疑問。

 武術を習っている時間の、彼の動きに比べ、殴られていた時のそれは緩慢ではなかったか?

 一度その考えが浮かぶと気になり、答えを求めずにはいられなかった。

 そうして僕は、彼に尋ねた。

 「もしかして、わざと負けたの?」

 と。

 すると彼はきょとんとした顔をしていたが、次の瞬間目を細め、口元に笑みを浮かべた。

 それが、すごく嬉しそうだったのを覚えている。

 そうして、彼は告げた。

 「特別、緊急でない時。武力が必要でない時。相手との力の差が歴然としている時。それぞれ状況はありますが、あの時俺はその全てに当たると思いました。彼等を叩きのめすことは簡単でしょう。ですが、彼等は柔い。俺達とは違うんです。彼等は、俺を負かせるまで襲い掛かって来たことでしょう。それならいっそ、俺が負けてしまえばいい。そう思いました。彼等は、ドルディノ王子……あなたには手を出さなかった。ならば、俺が手を出す必要はない。護らなければならないあなたには、被害が及ばないのだから。それならば俺はむやみに戦いは挑まない。……時にはね、負けた振りも必要な時があるんですよ……俺はそう思いますね」

 そう言った彼の横顔が忘れられない。

 マルクスはニヤニヤ面白がるだけの人じゃなかった。

 僕はその時初めて、彼を凄いと思ったのだ―――……。






 「マルクスの言った意味が、今はよく分かるよ……」

 そう静かに呟くと、見上げていた顔を戻し、正面へ視線を向けた。

 「さて……」

 そう小さく独り言ちて、ドルディノは足を一歩踏み出した。


 眩しい光に迎えられ、再度大通りに出たドルディノの姿に気が付いたのか、先刻声をかけてきた女性が心配げな表情で足早に近寄って来た。

 「あんた、大丈夫? 血が出てるよ! 大変な目にあったね……。ほら、こっち来な。手当してあげるから」

 「え、いや……大丈夫ですよこのくらい」

 ――自分でつけた傷だし……。

 「何言ってるんだい! いいからほら!」

 そう言うと女性はドルディノの腕を引っ張り露店の方へと連れていく。

 「あ、ちょっ……」

 ――大丈夫なのに……。

 ぐいぐい引っ張っていく女性について行きながら、こっそり苦笑する。

 女性は店の中に引っ張っていくと、小さな椅子にドルディノを座らせると、背中を向けてそばにある小さな木箱を開け何かを取り出す仕草をした後、再度ドルディノの方へ振り向いた。彼の灰色の瞳の中に映るのは、平たく小さな瓶だった。透明であるため、中身の緑色が全面的に見えていて、緑色の瓶と勘違いする人も多いのではないだろうか。

 ――薬草……。

 脳裏に、一瞬であの子の姿が思い浮かぶ。

 「これはね……腕のいい子が時々売りに来るんだ。その子が作ってるみたいなんだけど、本当によく効いてね……って、あんた……。どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだい?」

 薬を見ていた筈の女性の視線がいつの間にか自分に向けられていた。その言葉で初めて自分の表情に気が付く。

 「僕……そんな顔を?」

 「ああ。してるよ。今にも泣きそうな……そんなに痛いのかい?」

 「…………」

 ――すこし、痛い……。ここが……。

 ぐっと、胸元を握りしめて俯く。

 そんなドルディノを心配そうな目で見つめた後、女性はそれ以上喋らず黙々と手当てをし始めた。数分後、ポン、と腕を軽く叩かれて、はっと顔を上げると女性が微笑んでいた。

 「終わったよ」

 「あ、……りがとう、ございます……」

 「いいさ」

 そう言うと女性は背を向け、治療に使ったものを木箱の中に片付け始める。女性の手が、使った塗り薬の入っている瓶を中へ仕舞おうとして、ピタリと止まった。そしてそのままドルディノの方を振り向き、じっと見つめてくる。

 「……?」

 数秒ほど視線が絡み合った後、女性は手に握りしめている薬の入った瓶を、ドルディノの胸に押し付けた。突然のことでよくわからぬままとりあえずそれを受け止めたドルディノだったが、意味が分からず、瞳で問う。

 「あんたにあげるよ」

 「え……でも……」

 「いいから。もっていきな。それと、これも」

 そう言いながら女性は店に置いてある売り物のパルカを三つ掴むと小さな紙袋にそれを入れ、ドルディノに押し付けた。

 「え……と、どうして……」

 「いいからいいから、ほら! さっさと行きなよ」

 そう言うと女性はドルディノの腕を軽く引くことで立たせると、背中を押して店から外へ押し出す。

 よく分からぬまま背後を振り向き、女性の方を見つめるが、彼女はまるでドルディノがそこにはいないように振る舞っていた。

 ――よく、分からないけど……。

 「ありがとう、ございます」

 そう告げて、ドルディノは軽くお辞儀をすると、その場を離れた。



 


 ドルディノが数メートル離れると、それを見ていた女性に声が掛かった。

 「なぁ、あの薬あげちまっていいのかい? よく効くやつだろ? たまにしか来ねーのに」

 左隣りで露店を開いているオヤジに視線を向けると、少し微笑む。

 「ああ……いいんだよ……」

 「なんであげちまったのかい?」

 「……なんでだろうねぇ……」

 そう言って遠くを見つめる女性を見て、オヤジは肩をすくめると店番に戻った。次の瞬間には声を張り上げて商いをし始める声が、女性の耳に届く。

 「寂しそうに、見えたからかねぇ……」

 そう独り言ちた時。

 砂利を踏みしめる音がすると同時に店に影が差し、女性ははっと気が付いて正面へ視線を向けた。

 その顔にはもう笑みが浮かんでいる。

 「いらっしゃ――……ああ、あんた!」

 そこに立っていたのは、目元が隠れるか隠れないかくらいまでフードをおろし、体全体を覆う外套を着ている、少年とも少女とも言えぬ綺麗な風貌をした子だった。

 「こんにちは」

 「久しぶりだねぇ! 元気だったかい?」

 「はい。気にしていただいてありがとうございます」

 「丁度良かった! たった今あんたがこしらえてくれる薬、なくなっちまったんだよー! またひとつ……いや、二つ売ってくれるかい?」

 「もちろんですよ。どうぞ」

 そう言って差し出される緑色の中身が入った瓶を、女性はお金と引き換えに受け取る。

 「ありがとう! 今度はいつ来るんだい?」

 「どうでしょうか……それは、頭に訊いてみないと」

 「そろそろ行くぞー」

 声がすると同時に、女性の視線の先に若い男が現れた。その姿を見て一瞬驚きに目を見開くが、女性はなんでもない風をすぐに装い、誤魔化す。

 「ヤル兄さん」

 「もういいか?」

 「……はい」

 「じゃあ行くよ」

 そう言って背を向けたヤルが歩き出すと、薬を売りに来た子はぺこりと女性にお辞儀をしてから歩いていく。

 二人の背中を見送っていると、またもや隣りから声がしてきた。

 「聖職者でもなかろうに、なぜ丸坊主にしてるんだろうな」

 同じことを思った女性だったが、違う言葉を無意識に告げていた。

 「あたしらには関係ないさ」



 無言が二人の間に流れている中、周りの喧騒がそれを調和させ、気にならなくなる。

 ヤルの後について歩いていくと、その先には暗い路地があった。

 躊躇なくそこに足を踏み入れて行くヤルについていき、数歩歩いた先で立ち止まった彼は、くるりと体ごと振り向いて、見つめてきた。

 「一人で消えるなといつも言っているよね?」

 「すみません」

 はぁ、と大きく溜め息を吐くと、ヤルは目を細めて見つめた。

 「……俺は信用してよ。同郷でしょう。……リアン」

 その言葉を聞いて、外套を着ている者の動きがぴたりと止まった。

 数秒そのままだったが、やがて静かな口調でリアンと呼ばれた者は口を開いた。

 「……ヤル兄さん」

 それは、警告を含んでいる声音だった。

 「分かった、分かったよリン。……もう、寂しいなぁー同郷のよしみでもうちょっと信じてくれてもいいのになぁ……」

 「……あなたは、わた……ぼくを売買から救ってくれた人ですから」

 その言葉でヤルは振り向くと、リンをじーと見つめる。

 胡乱な目で。

 「…………」

 「戻るんですよね? 行きましょう、ヤル兄さん」

 そう言うと、踵を返し来た道を戻って行く。

 その背中が路地から消える瞬間、ヤルは小さく呟いた。

 「……いつまでも、そのままじゃいけないよ……リアン」

 そして、ヤルは先に行ったリンを追いかけるために暗い路地の中を駆け出した。

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