第26話

 ――このままだと、ちょっとまずいなぁ……。

 そう思い、何か、男達に対抗する手段などはないかと暗い路地の中を見渡す。と、大きな何かの影を目の端に捉えた。

 目を凝らして見てみると、それは倉庫だった。側にはいい具合の太さの木が生えており、傍にどっしりと構えている民家の屋根まで伸びている。

 それを見た瞬間、ある考えが浮かんで無意識に笑顔になった。

 ――そうだ!

 ドルディノは背後を振り返ると、呼吸は落ち着いてきたが依然として腰を曲げ顔を俯けている子供に視線をやると、改めて罪悪感が湧いてきたが、気持ちを切り替える。

 男達はもうそこまで迫ってきているのだ。のびのびとしてはいられない。

 「ちょっとごめんね」

 「えっ? うわぁっ!?」

 素早く少年を抱き抱えると、ドルディノは背後の倉庫に向かって駆け出した。

 大きく股を開いて一歩一歩踏み出していた為たった数歩で辿り着き、その勢いを殺さぬまま左足で力一杯踏み込むと一気に上空へ跳び上がる。

 ダァン! という音を響かせながら倉庫の屋根に飛び乗っていたドルディノは勢いに乗ったまま、出した右足をまた力一杯踏み込んで跳び上がる。次に着地したのは、どっしり構えている大木の枝にだった。その際枝がぐわぁんとしなって子供が恐怖に慄いたのだが、ドルディノがそれに気が付くことはなかった。

 その視線は次の目標である、民家の屋根の上へと向けられていたのだ。

 次の瞬間、ドルディノの体は再度宙に浮かんでいた。

 風を切りながら落下してゆくドルディノの黒髪が、宙を踊る。

 次の瞬間、ダン! と大きな硬い音を立てて見事着地したドルディノは、そっと立ち上がると視線を先刻まで立っていた暗い路地へと向ける。

 ――あと数秒かな。

 不意に、胸に抱えている子供へ視線を落とした。そこで初めて、彼が体を小刻みに震わせていることに気が付く。額を胸に押し付けて俯いている為、子供の表情は分からない。

 途端、焦りが湧き上がってきた。

 「ご、ごめん! 大丈夫……?」

 小声で囁くように声を掛けたが、胸の中の子供は答えず体を震わせているままだ。

 ――驚かせちゃったかな……。

 そう考えていた時、ドルディノの耳に男達の足音と罵り声が聞こえ視線を路地へと向ける。

 子供の耳にも入ったのか、ほぼ同時に胸の中の小さな体がビクッと大きく震えたのを感じた。

 気遣いを含んだ視線を子供に落とした後、再度路地の粗野な男達を見ると、彼等は怒鳴りながら壁や倉庫を蹴りあげて八つ当たりをしている。

 ――野蛮だなぁ……。

 「くっそ消えやがった! どこへ行きやがったんだ!? まるでお化けみてぇな野郎だ!」

 「お化けなんているかよ! どこへ隠れてやがる! 出てこいくそガキがぁ~!」

 「おいおい、あんまり騒ぐと人が来るぞ! もっと声を落とせ!」

 どうやら会話を聞くに、一人だけまだ冷静さを失ってない男がいるようだった。その彼に少しだけ感心しながら、ドルディノは視線を再度胸の中の子供へ移す。

 ――まだ震えてる。……大丈夫かな……。

 それから数分間、散々悪態をついたあと、男達は諦めたのかぶつぶつ言いながら路地から立ち去って行った。

 しかし、まだ油断は出来ない。

 ドルディノは、たっぷり五分は待ってから未だ俯いたままの子供へ声を掛ける。

 「……行ったみたい。ちょっと下に降りるから、また少し揺れるよ。しっかり掴まってて」

 そう優しい声音で囁いた後、子供を腕に抱いたままドルディノは屋根の上から一気に飛び降りた。切り裂いていく風が強風となってドルディノと子供の髪の毛を激しくなびかせ、耳元は風のうなり声で満たされる。風圧で浮きそうになる子供の体をしっかりと抱き抱え降下すること、僅か数秒の後。

 ドルディノは綺麗な姿勢を保ったまま、地面に足を着けて立っていた。

 髪がくしゃくしゃになって所々はねているが、本人は気付いた様子もなく胸の中の子供へ視線を落とすと、微笑んだ。

 「ほら、もう大丈夫だよ。下に降りたからね」

 そう声を掛けると、少年の俯いていた顔が、そっと動いた。ドルディノの方へ視線を向けるわけではなく、周囲を見渡し、状況確認をしているかのような動きで。

 そして。

 ドンッ! っとドルディノは突然胸を押された。体が背後へと傾いていくが、ドルディノは両足に力を入れて転倒を防ぎつつ、その灰色の双眸に、子供が急いで背中を向けて路地から去っていく姿を映していた。その時、初めて気が付く。

 ――ああ、あの子……僕も怖かったんだ……。

 倒れそうになった時やや後ろに下げていた左足にぐっと力を入れ、態勢を整えながらも、視線は子供が消えた方向に向けられていた。

 暴漢に襲われ助けてもらったまではよかったが、高い所へ上ったり飛び降りたりすれば、小さい子供であれば恐怖に支配されても当然の事。だが、ドルディノは子供が逃げ出すまで気が付かなかった。

 助けるつもりが、逆に怖がらせてしまったことにショックを受け、顔を俯ける。

 「そんなつもりじゃ……なかったのに……」

 湧きあがってくる罪悪感。

 また衝動的に動いてしまった。

 「ダメだなぁ……僕」

 大きな溜め息が、ドルディノの口から漏れた。

 しかし数秒後には顔を上げ、正面を見つめていた。

 自分も、ここでずっと罪悪感に浸っているわけにもいかないのだ。それでは何をするために城から飛び出してきたのか分からない。

 気を取り直して、一歩足を踏み出す。

 暗がりの路地の中に、砂利を踏みしめる音が響きだした。


 路地から身を乗り出し、そっと辺りを見渡す。半分出たドルディノの体には、光と影の境目が斜めに走っていた。

 ――特に、異常はない、と……。

 確認した後、路地裏から少しずつ出ていく。同時に、ドルディノの体に差していた影が全て光に取って代わった。

 「さ、行こう」

 そう独り言ちると、止めていた足を動かし始めた。


 宿屋から出た時と変わらない喧騒の中を、ドルディノは真っ直ぐ前を見つめて歩いていた。だがその歩みも数分の後、ぴたりと止まる。 

 先刻から、背中に視線を感じていた。

 殺意と共に。

 無意識に耳を澄ませ、『何か』を探る。

 周囲の喧騒がより大きく頭に響き、風の唸り声、葉のざわめく音や人々の声が鮮明に聞こえ出す。その中で、自分に向けて発している敵意、正体を見極める。

 意識を大気にとかし、一体とさせ、自然に身を預けた。

 そして。

 「っぱりあいつだろう! あの後姿間違いねぇ!」

 ふと耳元ではっきり聞こえた声に、目を細める。

 「だがなー、目の前で見たわけじゃねぇしな……」

 「そんなこと言っててめぇ、あのガキの責は誰がとんだよ! お前が取るのか!?」

 「っ……そ、そんなことは、言ってねぇだろ……」

 「捕まえてみりゃわかんだろ! 俺はいくぜ!」

 「おっおい!」

 歩く速度を上げた音と、仲間らしき者達の慌てた声が響き、ドルディノは集中していた意識を大気から切り離し顔を上げる。

 ――来る。子供を追いかけて来ていた男達かな……。

 顔を僅かに動かして、肩越しに背後の様子を見ようとするが、やはりそれだけでは掴めない。しかし大きく動かすと相手にばれるので、そこでやめた。

 ドルディノは止めていた足を動かし始め、普段より速度を上げて歩く。そうしながら、目は忙しなく動かしていた。

 路地を探して。

 あの興奮している様子だと、行きつく先は一つだろう。

 例え捜している相手が自分じゃなかったとしても、何もなく済むとは思えない。

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