第24話

 砂利を踏みしめる音が少しずつ近づいてくる。

 安心したのも束の間、若干、誰かの足音にずれがあることを敏感に感じ取った。

 不安が募る。

 酷い扱いを受けたのでなければいいのだが。

 足音を聞きながら待っていると、真後ろでぴたりと止まった。

 「お前もだ!」

 背後で兵士が無理矢理誰かを自分と同じように跪かせた気配を感じ取り、不愉快になる。

 でも、今は動けない。

 少年は、ぐっと堪えた。



 砂利の上に跪かされて、擦った膝に痛みが走った。すんでの所で声を抑え、耐える。

 僅かに目線だけ上げると、先に歩かされていった少年が目に映り、力強く感じて安堵する。

 だが、まだまだ気の抜けない状況だ。

 顔を俯いたままでいると、ふと耳が何かの動物の鳴き声を拾った。

 重たい音をガタガタ響かせながら近づいてくる。

 ブルルルル、と聞こえたのを最後に、音が止んで静かになり、僅かに首を傾げた。

 そして、砂利を掻いているような音。

 ――な、に……?

 「おらあ! さっさと入れ!」

 ――入れ、って……どこに……。

 何に入るのか確かめたい衝動に駆られ、顔を上げようとした。が、ガッ! と何の前触れもなく突然再度頭を抑え込まれ、舌を噛みそうになる。

 「余計なことをするな! 静かにしときやがれ! ったく……」

 そう叫ぶように言うと、何かぶつぶつ独り言を言い出し始めた。リアンはこれ以上兵士を刺激し怒らせて酷い目に遭うのは嫌だったため、静かに口を閉じ、俯く。

 湧いた唾をごくりと飲み下し、耳を澄ませて起きている事を想像しながら、刻一刻と過ぎるのを待った。

 そして、ついに。

 「オラぁ! お前の番だぜ小僧!」

 目前で同じように俯かされている少年の傍に立っていた兵士が、そう言い放った。

 無理やり立たされた気配を敏感に肌で感じ取りながら、己の心臓がドクドク鳴っているのを感じる。

 ――やだ……連れていかないで!

 身の引き裂かれるような思い。

 リアンの中で彼は、もう家族だった。

 咄嗟に顔を上げて少年の連行されゆく姿を目に捉える。

 「っ……!」

 叫びたかった。

 名前を呼んで、止めたかった。

 でも。

 ……名前すら、知らなかった。

 その事実に愕然とする。

 そして、なんと言えばいいか一瞬迷った。その隙に傍に立っていた兵士に気づかれ、ガッと頭を押さえつけられる。

 「おらぁ!」

 髪の引っ張られる感触と共に痛みが走る。

 ――どうしよう、どうしよう……! 離れ離れになってしまう……! 何か、何か……!

 「おい! トロトロすんな!」

 そんな兵士の怒鳴る言葉が遠くから聞こえたが、リアンの耳には届かなかった。

 少年に向ける言葉を頭を捻って考えていたから。

 「おい! 今度はお前だ!」

 突然怒鳴り声が真隣から聞こえたと思ったら右腕を引っ張られ、立つことを強要される。

 ――いたっ……!

 グイッと遠慮なしに引っ張られた腕が痛む。

 そして、はっとした。

 久しぶりに、まともに外の景色を見た。

 とはいえ、日暮れなのか、朝方なのか、辺りは薄暗かった。だが、ほとんど支障はない程度だ。

 目に映ったのは、人の気配が全くない、辺鄙な街角といった風だった。

 とはいえ、リアンは島から一度も外へ出たことがない為、ここがどういう所なのかもさっぱりわからない。

 ただ、乗って来た船が傍に停泊していることと、人通りのない場所に降ろされているのだけは、理解できた。

 同時に目の端で少年の後姿を捉え、意識がそちらへ向かう。

 少年は、怒鳴られながらゆっくりとした足取りで、何か大きく立派な動物と、それが引いている何かの乗り物へ向かっていた。

 「あっ……」

 何かを言い掛けた、その時。

 「お前はこっちだ!」

 「あっ!」

 ぐいっと腕を引っ張られ、つい大きな声が出た。それが気に食わなかったのか、兵士が怒鳴る。

 「うるせぇぞ! まったく、口を切り取ってやろうか……」

 おぞましい言葉が聞こえ、リアンはもともと良くなかった顔色をより一層青くし、口を噤む。

 怖さでがくがくし、もつれそうになる足を叱咤し、腕を引っ張られるまま小走りに兵士についていく。新しく視界に飛び込んで来たのは、少年が先刻連れていかれていた先にいたもの……動物と、それが引いている乗り物と思われるもの、だった。

 ――お、大きい……。こ、これに……乗るの!?

 茶色く、鼻すじの長い大きな動物。目も、黒々として大きい。それが引いている乗り物のような物も、大きかった。

 ――どこか……に、連れて、行かれるの……!? あの子とは……ロディ達とは、別? 一緒だよね!?

 「おら! さっさと乗れ!」

 背中をどんっと押され、それの中へ押し込まれた、その時。

 「こっこいつ!」

 遠くで叫び声が聞こえ、入ろうとしていたリアンは足を止め背後を振り返った。そこに居た兵士も自分を見ておらず、後ろを振り向いている。

 それを確かめた後で視線を更に遠くへやると。

 リアンは驚いて目を見開いた。

 少年が、兵士を振りほどいてこっちに駆け出してきていたのだ。

 が、何人もの兵士に囲まれると同時に、地面に抑えつけられ阻まれる。

 「いい加減にしろやくそガキが! あの坊主を殺したっていいんだぜ!?」

 少年を抑えつけている一人の兵士が顔をあげ、視線が自分に向けられてびくっと体が震える。

 ――えっ……わ、私……!?

 キィン、と何かの高い音がしたと思った瞬間、長い刃物が己の首元に当てられていたことに気が付く。

 船の中で向けられたのは、刃の短いナイフだった。

 けれど、これは。

 何十センチもあろうかという長さの刃物。

 人を殺す為に、何かを斬るためにある道具。

 ぐっと、胸元の服を握りしめる。そして視線を少年へ向けると、彼と目があった。

 何かに耐えるような、表情をした少年は、悔しそうに口を噤んだ。

 「大人しくなったぞ! 早く連れていこうぜ!」

 兵士が言うなり、一瞬で少年が兵士達により力づくで立たされ、小走りに連行され、乗り物へ押し込まれる。続いてその中へ流れるように兵士達が入り込んで行った。

 「ったく、なんてガキだ……。 おら、お前もぐずぐずしないでさっさと入れよ!」

 それまで少年達を見ていた目前にいる兵士が、刃物をカチャン、と音をさせて仕舞い、リアンを睨みつけながらそう怒鳴る。

 リアンは、背中を押されるままに中へ入り込み、扉がガタン、と音を立てて閉まるのを背後で感じた。

 それから数秒もしないうちに、ガタンガタンと大きく揺れ始め、倒れ込みそうになりながら壁に手を付けて体を支えつつ、床に座り込んだ。

 この中も、薄暗い。

 そして何か、何とも言えない臭いがした。

 ガタン、ガタン、と揺れ動く音を聞きながら、母親や少年、ロディ達の事を想う。

 ――皆……無事かな、これからどうなるんだろう……どこに行くんだろう……。怖い……。

 心細さに、リアンは両足を立てて膝をピタリとくっつけると、顎を乗せて両腕を脚に回し、手を組んだ。そして、目を閉じる。

 怖さに震えながら。



 それからふっと意識を取り戻したとき、リアンの体は横たわっていた。視界は暗く、床はつめたい。

 心が、冷える。

 ――そうだ、私……連れていかれたんだった……。

 冷たい床に手を押し付けながら体を起こし、視線を走らせる。

 そして、目を見開いた。 

 薄暗く見えにくいが、何人か人が居たのだ。

 捕まった時は全く気が付かなかった。

 僅かに息を吞んだ音が聞こえたのか、角に座っているおばあさんが話しかけて来た。

 「あんた……どこから来たのかい?」

 「えっ……」

 どこ、と言ったらいいのか分からなかった。

 ぎゅ、と胸元を握りしめて、口を開く。

 「小さな、島……から、です……」

 「……そうかい。こんなに小さいのにね……あんたも、不運だねぇ……」

 そう言って、老婆は興味を無くした様に視線をリアンから離したが、ふと何かを思いついたように再度見つめて来た。

 リアンもじっと見つめ返していると、老婆は再度口を開いた。

 「……まぁ、そんだけ綺麗な造りしてりゃ、いい買い手がつくだろうさ……」

 ――え……?

 その言葉が、頭の中へ浸透するのに数秒を要した。

 「か、いて……?」 

 小さく呟いた言葉に、老婆のどこかにやっていた視線が再度こちらへ向いてくる。

 茫然と、何を言っているか分からない、といった風のリアンに、老婆は溜め息を吐くと、言う。

 「何を言ってるんだい。……まさか、何も知らないで連れて来られたのかい?」

 しわがれた言葉に、何も考えられない頭で、こくん、と頷く。

 すると老婆は憐れみを含んだ目で見つめて来た。

 「……可哀想な子だねぇ。自分が売られたとも知らないで……。ここに居る子達は、わたしも含め、売られるんだよ。……奴隷としてねぇ」

 ――ど、れい……? どれいって……何……?

 真っ白になった頭に浮かんでいたのは、それだけだった。



 






 



 少年は、前後左右に座っている兵士達を睨みつけながら、考えていた。

 どうやって逃げ出したらいいのかと。

 今からリアンの救出に行っても、間に合うだろうかと。

 だが、それは現実的ではなかった。

 背後に回された両手は固い縄で縛られて自由が利かず、この状態で逃げだせたとしても四人いる大の男達を倒せるとは思えない。

 焦りばかりが増していく。


 そうやって、どのくらい時間が経っただろうか。

 ふと、揺れ動いていた乗り物の動きがピタリと止まった。そしてぴたりと閉まれていた扉が音を立てながら開き、一人の兵士が姿を現した。

 「おい、休憩にしようぜ。一人一緒に来い。そのあと交代だ」

 その声に、一番扉から遠い場所に座っていた兵士が立ち、身を屈めながら移動して少年の前を通り過ぎると扉から外へ出て行った。

 残された兵士の一人がぼそりと呟く。 

 「あ~あ、早く俺も休憩してぇな……肩が凝るわ。腹も減ったし」

 「まぁそう焦るな。すぐさ」

 その言葉を聞きながら、少年は目を閉じた。

 脱出する際のシミュレーションを、脳裏に描くために。


 「っとぉ! はー疲れたわー。おーいオヤジー! 飯だ飯ー!」

 大の大人三人で囲うには小さめなテーブルについた三人の兵士の内一人が、店の奥のカウンターにいる亭主に声を飛ばした。

 「あー……マジで肩こるわぁ……鎧脱ぎてー」

 「さっさと帰りてぇなぁ……」

 そして静かになった間を、溜め息が埋める。その後は周囲の、ガラスがぶつかり合う音や、食事をしに来ている者達の声で満たされた。同時に美味しそうな匂いが漂って来て、唾が湧く。

 それを飲み下した兵士が、口を開いた。

 「にしてもあのガキ、ただもんじゃねーなぁ」

 その時、亭主がやって来て「何になさいますか?」と訊いてきたのを、適当に注文し追い払う。視線を仲間に戻した兵士が、口を開いた。

 「どこで習ったんだが、あの武術。しかもガキとは思えないくらい力も強い。子供の皮を被った化け物じゃねぇだろうな?」

 半ば本気で呟かれた言葉に、呆気にとられた仲間たちは次の瞬間、腹を抱えて笑った。

 「んなわけあるかよ! 夢みすぎだってんだ!」

 「それそれ! ただの力が強いクソガキだろ!」

 「そう……だよなぁ! はははははっ! ……でもまだ、十過ぎたばかりの子供なんだがなぁ……」

 そう小さく呟かれた言葉は、仲間たちの笑い声によって掻き消された。

 しかし、その言葉を聞き逃さなかった二人の男が、二席離れたテーブルから兵士達をじっと観察していたことに、彼等は気が付いていなかった。


 食事を済ませた兵士達は腹を満たせた満足感と開放感から、満足げな笑顔で店を後にした。

 その後ろを支払いを済ませた二人の男達が距離をあけて、店を出る。

 様子を見られていることに気が付かなかった兵士達は店から出て馬車に近づいて行った。二人の兵士が御者席へ向かい、中に入っていた一人の兵士は交代をするために馬車の扉を開けた。


 少年の耳に、兵士達の笑い声と馬車へ向かって来ている足音がしっかりと聞こえていた。別れた二人の兵士が前側へ向かって行き、残った一人が近づいてくる。

 そして、足を止める音。

 手を、ドアに掛ける音。

 その音を耳が捉えた瞬間、少年は閉じていた目をカッと見開き、馬車の扉に向かって体当たりをした。


 扉を開けた瞬間転がるように飛び込んで来た少年の体を受け止めることもできず、兵士は叫び声を上げながら背中から倒れ込んだ。

 「かはっ!」

 少年の体重が体にのしかかっていた為、その分痛さが増している。

 すぐには動けない筈。

 少年は立ち上がろうとしたが両腕が使えないため時間がかかり、その間に急いで馬車の中から降りて来た兵士達に頭を殴打された。

 ガッ! と頭部に衝撃が走り、目が眩む。両腕も使えないままだったため、少年の体は倒れている兵士と距離をほとんど空けてない所で、倒れ込んだ。

 頭が痛く、クラクラする。

 立ち上がれない。

 「ったくこのガキは! 殺してやろうか!」

 頭を押さえつけているであろう男からそう脅されると同時に、突然背中に衝撃が走り、口から空気が漏れ、顔を顰める。

 背中にある、硬い感触から、おそらく踏まれているのだと思った。ぎりぎりと踵で踏みつけられている。

 ――っ……! 早く、助けに行かなくちゃいけないのに……!

 殴られた個所が、酷く痛む。おまけに目がくらくらしていて、悔しいが立てそうにもなかった。

 自分の情けなさに泣きそうになった、その時。

 「うごあああっ!」

 「っ貴様ら何者だ!」

 誰かの叫び声と倒れ込んだような重たい音、そして兵士の焦った声が聞こえた。そして、ふっと背中から圧を掛けていた足が遠のき、体が軽くなると同時に再度鈍い音と叫び声が聞こえる。

 くらくらする頭で状況を見極めようと頭を振り、しっかりさせようと試みる。だがそれは逆効果で、ますます酷く眩んでしまう結果となった。

 もう、気を失う寸前だったが耳だけは健在で、誰かが兵士と争っているような音だけは聞こえるため、決めつけてはならないが、助かるのではないかと淡い希望が湧いてくる。

 薄れゆく意識の中、誰かの駆け寄って来る足音が微かに聞こえ、恩人達を見ようと必死に目を閉じぬようにしていた。

 が。

 「王子!」

 「ドルディノ王子!」

 そう声が聞こえ。

 ――ああ……そう、だ……僕は…………竜、族の…………。

 そう思い出したところで、完全に彼の意識は闇に落ちた。

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