第23話

 「さーて、どいつからいくか?」

 光を背にして立っていた男の背後から、新たに兵士が姿を現しながらそう言った。続いて二、三人扉から兵士達が入って来て開いたままになっている出口を塞ぐ。その隙間から漏れている廊下の明かりが、暗い室内に侵入し、目をくらませた。

 「女達からいくか」

 そう兵士の一人が言うと同時に歩き出し、続いて後ろに控えていた男達もわらわらと薄暗い部屋の中を歩いていく。出口を塞いでいた男達がいなくなったことで、眩しいほどの明かりが室内に侵入してきた。薄暗さで慣れきっていた目には耐えられず、思わずリアンは目を逸らした。その間も男達の動きを、耳が捉えていく。

 キィ、と扉が開く音が聞こえ、同時に女性が叫び声を上げた。

 「いやあああぁぁぁっ!」

 「騒ぐなっ! 殺すぞオラぁ!?」

 脅迫めいた男の怒号が辺りに響き渡り、女性の口から小さい悲鳴が漏れる。

 続いて荒々しい靴音が響き渡り、それは遠のいていった。だが、次の瞬間男の声が再度はっきり聞こえ、遠くに行ったわけではないと分かる。

 「まずはこの女からだ」

 「ほいほいーっと。さ、歩け!」

 「……あっ!」

 ドンっと何かが押された音が響いたと同時に今にも消えそうな女性の声が耳に届いた。

 ――体、押され、たの、かな……。

 心臓が、緊張と不安でドックンドックンと大きく跳ねている。その音が聞こやしないかと胸に巣食った不安を更に煽り立てていた。

 手が震え、怖い、と思った。

 ――やだ……やだ、やだやだやだ……! 怖い……! お母さん、どこ行ったの!? お母さん私すごく怖いよ……!!

 どうなるのか予測できない未来への恐怖に慄き支配され、リアンは目をぎゅっと閉じた。

 その間も繰り返し兵士達の怒号と、女性達の悲鳴らしき声が響き渡っていた。その悲痛な叫び声が、ますますリアンに恐怖を植え付けていく。

 避けられない未来。

 それはもうリアンの足元にまでやってくる。

 「リアン……」

 そっと声が掛けられてきて、リアンはかたく閉じていた目を開いた。そして肩越しに振り返り、涙が滲んだ瞳でロディを見つめた。

 「ロディ……」

 自分がどんな顔をしていたのか分からないが、リアンと目が合ったロディは痛ましそうな表情で見つめてきた。そして突然、腕を引いた。

 重力に逆らえずリアンの体はロディの、同じくらいに幼くて細いそれの中へ包み込まれると同時に、背中に回された手に力が入り、ぎゅっと抱きしめられる。

 「ろ……」

 「絶対……。絶対。生きろよ。絶対。何があっても……必ず、また会おうな。約束だ」

 リアンの言葉を遮るようにロディが真剣な声色で、耳元で囁いた。それからもう一度ぎゅっと強く抱きしめられた後、緩やかにリアンの体を拘束していた腕が離れてゆき圧迫感が消えると同時に寂しさが込み上げて来た。自然に涙が滲んできて、ロディの姿が見えなくなる。

 「……や、……なんで? なんで、そんな……最後みたいな……!」

 ――見えない……ロディが見えないよ……! 涙が邪魔で見えないよ……!

 次から次へと収まることを知らないように涙が湧き、ぼろぼろと落ちては床に染みを作っていく。リアンの声は、震え、もうまともに喋れなくなっていた。

 「っ……や、やぁだっ……!ぁっ……ひっく……ぅやだあああぁぁっ……!」

 もう声を抑えてなどいられなかった。

 泣き叫んだリアンの声が聞こえたのか、男の怒号が飛んでくる。

 「おい! うるせぇぞ! ぴーぴー喚くなこのガキが!」

 ――いやだ、いやだいやだいやだ! どうして!? どうしてこうなるの!? どうして別れなくちゃいけないの!? ずっと、ずっと皆で暮らしていけると思ってた! お母さんと、ロディ達や村の人達、それに、それに……あの子とも! 

 視界が悪いその瞳で、少年が入っている筈の檻の方へと視線を向ける。僅かに歪んで見える、見覚えのある姿を見つけようとして、リアンは力強く目を閉じて溜まった涙を流し落とすと、しっかり目を見開いた。

 今にも泣きそうな少年の顔がリアンの瞳に映りこみ、そしてまた涙で滲んで歪んでいく。

 一瞬だけ垣間見えた少年は、ひどく心配げな顔をしていた。

 リアンは目尻に溜まっていた涙を手の甲で拭うと両手を伸ばしてロディの手を掴んだ。

 「ろ……」

 「今度はお前達だ!」

 名前を呼び掛けていた言葉が兵士の怒号で遮られ、ビクッと体を震わせたリアンの口の中へ消える。恐ろしさで身を震わせながら、血の気を失った顔でそろりと背後を振り返った。

 檻の扉の前に並んで立って見下ろしている兵士達の顔が、まるで鬼のように映りこむ。

 「う……っ…………」

 「どいつから?」

 「こいつからでいいんじゃね」

 一人の兵士がそう言うと進み出て、リアンとロディが入っている檻の鍵を外し、キィ、と高い音を立てながら扉をゆっくりと開けていった。

 それが、リアンの目には地獄への招待に思えた。

 ――やだ……行きたくないっ……! でもっ……。

 恐ろしげな顔で見下ろしてくる背の高い男達。彼らが発している威圧感。

 そして、何の力も持たないひ弱な自分。

 抵抗する術など、何もなかった。

 手が伸びて、リアンの腕を掴みあげる。

 その時。

 ガシャン! と隣りで大きな音が立った。

 自然と視線がそちらへ向き、少年の瞳とぶつかり合う。

 「ああ~? またこのクソガキか……!」

 腕を掴んでいる男が不機嫌そうな声音で叫ぶように言い、音量に驚いたリアンの体が震える。

 「ああ、こいつが例の……」

 兵士達の視線が、格子を両手で掴み、威嚇している少年へと注がれている。そんな少年を茶化すように、別の兵士が言った。

 「おっほぉ~そんな怖い目で見るなよぉ坊主~。おじちゃんちびっちゃうぜぇ? ひゃははははははは!」

 「はははははっ」

 「きったねぇなぁ~」

 男達だけにしか通じない冗談で、彼等は腹を抱えて笑い出す。

 一体何がそんなに楽しいのか、リアンには理解できなかった。

 一頻り笑うと、リアンの腕を掴んでいた男は中断していた行動を、ついに起こした。

 腕を引っ張ったのだ。

 引力に逆らえず、リアンの体は強制的に立たされ、檻から一歩前に出た。その瞬間止まっていた抗議の音が、再度室内に響き渡った。

 「ああん……?」

 男達の視線がまたもや少年に向かう。

 リアンはまた男達が笑い出すと思った。

 が。

 「いい加減にしろよこのガキが! うるせぇぞ!」

 リアンの腕を掴んでいる兵士が少年へ怒鳴り散らし、それに驚いた心臓が大きく跳ねる。心配になり肩越しに振り返って見た少年の顔は、今にも檻を壊して出てしまいそうな勢いだった。

 「っ……」

 リアンは口を開く。

 だが、言葉がその口から紡がれることはなかった。

 出す勇気が、なかったのだ。

 恐怖と、己の不甲斐なさに呆れ、ぐっと歯を食いしばる。

 「おい。こいつガキにしちゃあ手こずる相手って聞いたぜ」

 「こいつから先に連れていこうぜ」

 「そりゃあいいなぁ~。だがどうする?」

 静まり返った室内に、男達の声はよく響いて聞こえた。その声を最後に会話がぷつりと途切れる。

 数秒後、リアンの真上から声が降るのと何か冷たい感触を首元に感じたのは、同時だった。

 ――な、に……? つめた、い……?

 リアンの瞳に、威嚇していた少年の顔がみるみる血の気を失い、驚愕に変わる様子が映る。そしてまた、少年は更に目つきを鋭くして顔を上げ、リアンの腕を掴んでいる兵士を睨み付けた。

 無意識に、首元にある冷たい感触の原因を突き止めようとして、手が伸びる。

 だが。

 「逆らえば、こいつを切る」

 冷たく、吐き捨てるように言われたその言葉を理解するのに、数秒を要した。

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 ――き、る……? 切る……!?

 緊張と焦りが急速に湧きあがってきてリアンの心臓が暴れはじめた。

 解りたくなかった。

 首に当てられているのは、鋭い刃を持った、ナイフで。

 いつでも、男の気が向くままにリアンの首元の肉を切り裂き、命を絶たせることが可能だとは。

 聞きたくなかった。

 カタカタと、リアンの体が震え始める。

 ナイフに触れようとしていた手を引っ込めて、胸の前でもう片方の手の平で包む。

 そうすれば、震えを止めることができるとでもいうように。

 いや、震えが止まるようにと願って。

 ぎゅっと力を入れて、拳を包んだ。

 しかし、それを嘲笑うかのように、震えは酷くなる一方だった。

 少年が、抵抗を諦め歯を食いしばる。

 別の兵士がにやにやしながら檻の扉を開けた。促されるままに檻から出た瞬間、逆らう手段を奪う為に両手を拘束された少年の姿がリアンの瞳に映る。

 申し訳ない気持ちで一杯になり、泣きそうになる。

 そんなリアンに気づいた少年は、視線がぶつかると優しく微笑んだ。

 その笑顔をみて、息が止まる。

 ――っ……どうして……? どうして、こんな時まで……っ!

 苦しい感情に翻弄され、リアンの目尻から、止められぬ涙が一筋頬を伝って流れ落ちた。

 「おーっし。おら、もたもたすんな! いくぞ!」

 ガッ! と男は鬱憤でも晴らすかのように力を込めて少年の頭を殴った。その反動で少年の体が前にぐらりと揺れる。

 倒れるかと焦り手を伸ばしたリアンの目の前で、転倒を凌いだ少年が何事もなかったかのように背筋を伸ばして歩き出した。

 凛々しいその後姿に、そんな状況ではないのに、感銘に似た思いを感じた。

 そして少年は兵士に促されるまま、一度もリアンを振り返る事もなく部屋から出ていった。


 「おら、次はお前らだ! そこのガキも早く出ろ!」

 怒声が飛び、黙って見ていたロディがすくっと立ち上がる。視線が自然にそちらへ向き、ロディの顔色の悪い姿がリアンの目に映った。

 ――ロディ……。

 脳裏に、先刻真剣な声色で言われた言葉が甦る。

 思いを馳せていると突然背中をドン! と押され、リアンの体がぐらりと前へ傾いた。誰にも支えられることもなく、軽々と床に転がって膝を擦り、痛みが走って顔を顰める。

 ――った……!

 「ぼーっとすんな! 早く立てよ!」

 急き立てる怒鳴り声に恐怖し、手に力を入れて握る。

 このまま走って、逃げたら。

 そんな妄想に一瞬だけ浸る。

 握った拳に更に力を入れた後、リアンはふらりと立ち上がった。

 「ったくトロトロしやがって……おら、行くぜ!」

 再度背中をどつかれたが、今度は警戒していた為倒れこまずに済む。そして兵士に促されるまま、リアンとロディは閉じ込められていた部屋を後にした。



 「おら!」

 その声と同時にガッと頭を押され、強制的に跪かされた少年は俯き、視線を砂に落としたままじっと耐えていた。

 一秒一秒が数分にも感じられる。

 抵抗するのは諦めた。

 今反撃に出れば、皆が危険にさらされる。

 特に、命の恩人が。

 脳裏にリアンの姿が思い浮かんで、ぐっと歯を噛みしめる。

 「おら! 早く歩け!」

 その時、兵士の声が聞こえて、彼は耳に気を集中させた。


 彼の耳は、よく音を拾うことが出来た。

 とても鮮明に。

 しかし、見ているとリアン達はそうでもなさそうだった。

 自分なら数十メートル離れていても声が聞こえるのに。

 何故だろう。

 どうやら力も強いようで、加減を覚えるのに苦労した。少し強く握っただけで、コップが壊れたりするのだ。

 だが、食器などを割って壊したとき、リアン達は笑って許してくれた。

 名前も、どうして一人であの浜辺に居たのかも分からないまま、お腹を空かせて不安と悲しみに暮れていた時に、獣の姿であっても、優しく手を差し伸べてくれたリアン。

 突然現れたのにも関わらず、優しく接してくれたリアン母。

 そして、リアンの友人達、村の人達。

 記憶がない自分にとっては、今、一番大切な人達だった。

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