第22話

 「おら! ここにはいっておけ!」

 ドンっと背中を押されて躓き、転びそうになったところを咄嗟に出した両手で凌ぐ。両手両膝を床に付いた格好のリアンの背後で、重たそうな音が響いてガシャンと扉が閉まる音がした。

 両膝を床についたまま体を起こして、状況を把握しようと周囲を見渡す。

 室内は薄暗く見えにくい。そっと手を伸ばして自身を閉じ込めている格子に触れると、その冷たさに体が震えた。

 どうやら、自分より先に連れていかれた大人達の一部が、同じ室内にいるようだった。しかし同じ格子の中ではない。少数人数で分けて入れられていた。

 無意識に離れ離れになった母親を目で探すが、姿は見えなかった。

 他の部屋にいるのかもしれない。

 母の安否が気にかかる。

 ――お母さん……。

 「おーい」

 背後から良く知った声が飛んで来て振り向くと、驚きに目を見開いた。

 「ロディ! ここにいたの!?」

 「さっきからいたけど?」

 にやりと笑いながら言うロディに、リアンも微笑み返す。

 気心が知れた友達が傍にいて、とても嬉しい。

 ガチャ、とまた扉が開く音が聞こえ、二人は黙り込んだ。リアンは体ごと背後を振り返り、ロディは目線だけ室内と廊下を繋いでいる一枚の扉へ、視線を投げる。

 少年と、彼の両手を掴みあげている兵士が立っていた。

 「!」

 思わず叫びそうになったリアンだったが、はっと我に返り口を噤む。

 ――……ロディの次に歩いた私が同じ格子の中だから……私のすぐ後に進んだのかな。

 「おら、歩け! お前は特別に別格子の中だ。嬉しいだろう?」

 兵士はそう言いながら少年の頭を小突いた。静まり返っている部屋に男の声はよく響く。

 小突かれたせいで少年の体がふらりと揺れる。倒れるかと思ったリアンは咄嗟に格子の隙間から両手を伸ばしたがその手が少年の体を支えることはなかった。

 倒れそうになった少年はしっかり自分で態勢を立て直し、その際俯いていた顔を上げ両手を差し出しているリアンと目が合うと、微笑んだ。

 それを見た瞬間、リアンの息が止まる。

 見惚れた。

 「おら! ぐずぐずすんなよ!」

 男が怒号と共に少年の背中を、リアンとロディが入っている檻の隣りで扉が開いたまま主を待っている鉄格子の中へ、押し込んだ。

 ――あっ!

 その様子を見てリアンはつい声を上げそうになる。

 力一杯押したのか少年の体が大きく傾き檻の中へ転ぶように入っていき、少年は両手を床について転倒を避けていた。

 リアンは体の向きを変えて空だった隣りの檻に一番近い格子を両手で掴み、閉じ込められた少年を心配そうな表情で見つめた。リアンの目の前で檻の扉が重たい音と共に閉められ、鼻で嗤った兵士が踵を返し、薄暗い中靴音を鳴らしながら、部屋から出ていく。

 その姿を最後まで見届けた後視線を正面の少年に戻すと、小さな声で話し掛けた。

 「大丈夫……?」

 両手両膝を床について顔を俯けていた少年だったが、リアンの声で顔を上げ視線を合すと体を起こし背筋を伸ばして頷き、静かに微笑む。

 安心したリアンは、軽く溜め息を漏らした。

 ――よかった。

 「よぉ少年」

 背後からロディの声が飛んで来て、リアンは振り返ったあと視線をまた少年に戻す。

 彼はロディに微笑みながら会釈をした。

 ――なんで喋らないんだろう。話せるのに……。

 そう思い、じっと少年を見たが、彼は言わんとすることを読み取ったのか再度リアンに微笑んで応えた。

 ――まあ、この子が話さないのを、私がわざわざ言うことじゃないよね……。

 肩越しにロディを振り返る。

 ――黙っておこう。

 「なんだ? リアン」

 笑いながらそう言うロディに、笑顔を返しながら頭を振る。

 「なんでもないよ」

 「ふぅん? ……はぁ……」

 ロディは大きな溜め息を漏らした後、薄暗い周囲を見渡した。そして格子に背中を預け両足を伸ばして、足首で交差させると、両手を後頭部で組み天井を見上げる。

 「……これから、どうなんのかなー……ボク達」

 小さく漏れたその言葉は、薄暗い静まり返っていた室内に大きく反響した。

 湿気が高いのか、少しじめっとしている室内の中に響いたロディの言葉は、捕まっている人達を深い絶望に落としたのだった。



 捕まって数日、あるいは数週間経ったのだろうか。

 太陽の姿を拝めることがない為、時間の感覚が麻痺していた。ただ時折数人の兵士達が食事を持ってくる時だけ、開けられた扉の隙間から光の線が室内の床を走る。

 それが、垣間見える唯一の明かりだった。

 ずっと海原を漂っているのだろう。船が始終揺れており、精神的なものもあるのか吐き気が収まらず、食欲も湧いてこなくなっていた。

 極めつけは食事だった。出されたものは、湿ったパンと、野菜の欠片をスプーン一杯だけ入れたような、お粗末なものだった。塩気もほとんどなく、味がない。

 申し訳ない程度に染まっている茶色いスープが、船が揺れる度に跳ね返って波打つその様子を、器を両手で抱えたリアンは、じっと眺めていた。

 飲み込もうと器を両手で抱えたままそうやって、何分経ったか知れない。

 ついにリアンは諦め、一口もつけることがなかったスープ皿を、静かに床にコトリと置いた。

 「食べないのか?」

 すると背後から声が掛かって、リアンは静かに振り向いた。

 ロディは両手でスープ皿を抱えていた。しかし次の瞬間口をつけ、残り少なかったのだろうか、天井を仰いでいると言って良いほど斜めに傾けて喉を鳴らしながら飲むと、「ぷはー」と一息ついた後で音を立てて器を床に置いた。

 ――わぁ……いい飲みっぷり……。

 その姿を見て思わず感動しかけたリアンに、一瞥をくれたロディは口を開いた。

 「時間の感覚もないけど、お前二回くらい食事抜いてるだろう? そんなんじゃ、何かあった時困るぜ。今日は食べろ。な?」

 諭すようにそう言われたリアンは、黙り込んだ。

 ――確かに、その通りだけど……食欲が……。

 リアンの視線が無意識になみなみ入ったままのスープに注がれる。

 どうも、手が出ない。

 じっと見つめたままのリアンを見かねたロディが、再度口を開いた。

 「……今日のは美味かったぞ。塩気があって」

 「え、ほんとに?」

 反射的についそう答えていたリアンだったが、はっと我に返り口を噤む。その様子を見たロディは、にやりと笑った。

 「ほーんとほーんと。騙されたと思って飲んでみろよ」

 「う~ん……」

 ロディに向けていた視線を再度スープに落とした。が、ふいに視線を感じて顔を上げると、隣の檻に入っている少年が、じっとこちらを見ていた。

 目が合った少年は微笑んで、軽く頷いた。

 それが後押しとなり、リアンは意を決して床に置いていたスープ皿に手を伸ばし両手で抱えると、ぐいっと一口あおったが次の瞬間吹き出しそうになる。その衝撃に耐えどうにか飲み下すと同時に口を開け、叫ぶように言った。

 「ロディ! いつもと変わらないじゃない!」

 ぷっと吹き出したロディは、声を出して笑った。けれど数秒して笑いを収めると真剣な表情でリアンを見つめる。

 「うん、嘘ついた。それは悪かった。でも、解るだろう?」

 言わんとすることが伝わり、リアンは俯く。

 「……」

 スープ皿を持っている両手に、力が入った。

 覚悟を決めて、ゴクゴクと喉を鳴らしながら、一気にスープを飲み干す。小さなその音すら、静まっている部屋には大きく響いて聞こえていた。

 空になった器を音を立てて床に置き、はぁ、と溜め息を漏らす。

 「よく飲んだな」

 そう声がしたと同時に、頭をポンポンと叩かれた。

 顔を上げると、微笑んでいるロディが目に映る。

 その笑顔を見たリアンはつられて微笑んだ。

 ふんわりとした、穏やかな雰囲気が流れた時、突然、それは破られた。

 扉が勢いよく開いたと同時に、大きく野太い声が辺りに響いたのだ。

 「喜べ、着いたぞ! ……いいところへな」

 逆光で、光を背にして立っている兵士の姿は見えど、表情は分からなかった。

 が。


 ただ、付け加えられた最後の言葉がとてつもない不安を感じさせた。

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