第21話

 くっくっくと喉を震わせ、侮蔑を含んだ笑い声が真後ろで聞こえて、少年は顔を顰める。

 「そうだぜぇ……お前らはどうせ終わりなんだよ。せいぜい怪我しないように静かにしときな。オラ! 何してんだ! さっさとそのガキも捕まえろ!」

 男が怒号を飛ばし、最初に襲いかかった三人の内、右端の男を下敷きにして後頭部の打撃を免れた男がよろりと立ち上がる。その場で唾を吐き舌打ちをすると、男の指示に従って大股でリアンの元へ近寄り少年がされていると同様、そのか細い両腕を背中へ回すと両手首を掴み上げ、自由を奪った。

 腕を締め上げられた拍子に痛みが走り、リアンは顔を顰める。

 顔を上げて少年の様子を窺うと、彼は心配そうな表情でじっとこちらを見つめており、それに気が付いたリアンは不安にさせまいと微笑みを向けた。

 それを見た少年が苦しそうな表情をする。

 「さ、とっとと歩け!」

 手首は握りしめられたまま、ドンと前に押しだされ躓きそうになったがなんとか耐え凌ぎ、リアンは自らの意思で歩き出す。同時に少年の方も無理矢理に歩かされており、二人はされるがまま、静かに従ったのだった。



 捕まっている人達に合流させられてリアンは視線を走らせた。

 母親とロディ達の事が頭をよぎったのだ。

 いくら同じ村に住んでいても、やはり心安い人達の傍にいたほうが心強い。

 しかし、パッと見では見つけられなかった。

 不安で心臓の鼓動が早くなり、母は本当に無事なのか、怪我をしていないかが気になってくる。

 先行で連れていかれた少年は、今は目の前におり、心配そうな表情を向けて来ていた。

 ――最初から、話せたのかな……。

 「大丈夫?」

 小声で心配そうに声を掛けてくる少年に、リアンは微笑んで頷いた。

 「うん」

 ――そうだとしても、なにも変わらない。この子は、この人達の仲間じゃないみたいだし、さっきは私を護ってくれようとした。……優しい子なんだ。

 その時、何処からか咳払いする音が聞こえ、リアンと少年の視線が正体を掴むために宙をさまよった。自分達は背が低い為分からないが、生き残っている大人達は皆、同じ方向を見つめている。二人はなんとなくそれに習い、見えない相手がいるであろう方向へと視線を向けた。

 「これから我らの船へ移動する! 速やかに従うように!」

 短い一言が飛び、あちらこちらで村人達から小さい悲鳴が漏れた。

 これから自分達はどうなるのか。

 母親の行方、友人達は無事なのか。

 リアンも不安で胸が一杯になり、小さく体を震わせた。


 男達は、大人達の体に縄を巻き付け両手首を合わせて縛り封じると、そこからまた縄を垂らし真後ろに並べさせた村人の腰に巻き付け、更に両手首を縛る。そしてまた後ろの者へと繋げ、単身では身動きが出来ないようにした。リアンや少年のようなまだ幼い者達は大人達とは別で、個別に手首を後ろで縛られた後一人一人兵士が付き、その監視のもとで歩かされた。

 順々に並ばされ歩かされていく中で、少年の位置も分からなくなってしまい不安が募る中、良く知った森の中を連行される。

 いつもは虫の音や動物たちの鳴き声、心地よい風が吹いて木々が葉擦れの音を立てさせるのだが、不穏な空気を過敏に察知しているのか、辺りは静まり返っていた。聞こえる音といえば村人達の砂利を踏みしめる音、掻き分けて進む際の葉擦れの音、悲鳴、そして兵士達の着ている服の重たそうな音、彼らが発する怒号や指示だけだ。

 緊張で顔をこわばらせながら歩き続け、やがていつも通っていたあの浜辺に出る。

 そして、目を瞠った。

 あった筈の壁が吹き飛ばされ、大き目の穴が開いており、想像だにしなかったその先の広大な海原が見えていたのだ。しかも、船が何隻も浮かんでおりその中の一つと浜辺を繋ぐように、木製の簡易な橋が架けられていた。

 そんな状況ではないのだが、思わず見惚れ感嘆の声がリアンの口から漏れた。そして一瞬で我に返り見惚れてしまった自分が恥ずかしくなった。罪悪感で一杯になり、突然周囲の様子が気になってそっと見渡すと、村人達の誰もが茫然と穴の先を見つめていた。

 その事実に多少の慰めを得ながら、リアンは小さな溜め息を漏らして俯く。

 ――これから、どうなるんだろう……。

 「よーし、これから数人ずつ、この橋を渡って船へ移動してもらう! さあ、一番はお前だ! さっさといけ!」

 そういう男の声だけが、リアンの耳に届く。

 不安で心臓がバクバク鳴り、顔が強張った。

 思わずもう一度周囲を見渡し、傍に誰もいない事実を再確認し、肩を落とした。

 ――誰もいない……怖い……。どうなるんだろう……お母さん……。

 俯いて、じっと白く細かい砂を見つめた。

 そうしてどのくらい時間が経ったのか。

 ふいに顔を上げて周囲を見渡すと、浜にぎゅうぎゅう詰になっていた村の大人達がほとんど居なくなっていた。その為、まだ船に移動できていない子供達の姿がすぐに目に入り、リアンの表情が明るくなる。

 ――いつの間に……あ! ロディ達! あんなところにいたんだ!

 兵士に両手を捕まえられたままではあったが、見知った顔が点々と立っており、顔を見れて安堵する。

 不安で一杯だったのだが、急に心強くなってきた。

 リアンに気が付いたロディが視線を向けてきて、ニヤリと笑う。

 しかしやはりいつもの軽快な笑みではなく、どこか力なさげだった。

 ――ロディ……元気がない。……そりゃそうだよね……この状況なら誰だって……。

 ふいに視線を感じ、リアンは肩越しに背後を振り返った。

 すると灰色の双眸と視線がぶつかり合い、最も近距離に少年が立っていたことを知る。リアンは安堵し、微笑んだ。

 少年は心配そうな表情をしていたが、リアンが微笑んだのを見て、ふっと笑顔を見せる。

 もう一度優しく微笑んだ後正面に視線を戻したリアンは、そっと瞼を伏せた。

 ――大丈夫、一人じゃない……皆いるんだ。大丈夫……。

 呪文のように、心の中で繰り返し『大丈夫』と唱える。

 ほんの少し、力が湧いた気がして。

 リアンは僅かに微笑んだ。

 「よし! あとは残ったガキ共! こっちに歩いてこい! 順番に渡れ!」

 野太い声が静まり返った浜辺によく反響して聞こえ、リアンはハッと顔を上げた。

 「おら、もたもたすんな!」

 すぐに誰も動かなかったのに腹が立ったのか、再度兵が声を上げた。

 雰囲気がピリピリしている。

 湧いた唾をごくりとのみ込んだリアンは、一歩足を踏み出した。同時に背後で動く気配がし、肩越しに素早く覗くと真っ直ぐ顔を上げた少年がいた。

 少年のその表情には、怖がっている様子など一片すら見えず、ただ、前を見据えていた。

 それが、凄く頼もしそうに見えて。

 一瞬、どくん、とリアンの心臓が強く跳ねた。

 慌てて正面を向き直したリアンは、とりあえず前に進むことに気を集中させることにした。

 歩きながら視線を走らせると、村の捕まった子供達がそれぞれゆっくりと橋に向かっている。もちろん、ロディ達も。

 声を掛けたいのを我慢しつつ、歩き続ける。砂を踏むたびに靴が食い込み、さくさくと乾いた音を立てていた。そうして橋の前まで行ったとき、足を止めた。穏やかに波打っている海水がリアンの靴の下に潜り込む。

 手が届く距離にロディ達が並んでいる。

 傍に佇んでいた兵士が、厳かに口を開いた。

 「一人ずつだ、さっさと行け!」

 怒号が飛び、驚愕と恐怖で跳びあがりそうになる。だが、それは他の子達も同じようだった。

 行こうか一瞬迷った時、一人が前に出て橋の上に足を掛けた。

 橋に向けていた視線が無意識に上がり、その瞳に勇敢な子供の姿を映し出す。

 ロディだった。

 一歩足を踏み出すごとに木の軋む音が立ち、同時に僅かに橋が揺れたが、立ち止まることはしても後退はせず、ゆっくりと前へ進んでいく。その後姿に勇気を貰ったリアンは意を決し、続いて橋に足を掛けた。

 瞬間、ぐらりと橋が僅かに揺れて挫けそうになる。

 だが、顔を上げて先行くロディの姿を見て、ぐっと手を握りしめた。

 ――大丈夫。大丈夫……。

 橋に掛けた足に、体重を少しずつ乗せてもう片方のそれも上げ、橋の上に立つ。と、足場がまた揺れてビクッと体を震わせた。

 でも、負けたくない。

 その気持ちから、リアンはロディの背中を追い掛けるように、歩を進めたのだった。

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