第17話
夜。
暗闇に満ちた中、狭く長い螺旋状に伸びた階段に、静かな靴音が反響していた。
蝋燭一本の明かりすら持たずに進んでゆくその男の足取りはしかし、躊躇することがなかった。
なぜなら、男は日に幾度も、この闇に支配された螺旋状の長い階段を上がっているのだ。
目を瞑っていても、歩けるだろう。
体が、感覚を覚えているから。
男は、数十分かけ階段を上り切ると、足を止めた。目前には、鉄で作られた強固な扉が一枚ある。
重そうなその扉を、彼は片手で悠々と押していく。
キィ、と、扉は悲鳴のような音を立てて開かれてゆき、無表情で何の感情もこもっていなかった男の双眸に目的の物が映った瞬間、男の顔に初めて表情が表れた。
口元に歪んだ笑みを浮かべ、正面の壁際に置いてある小さいテーブルの上に飾ってある物に向かって両手を伸ばしながら足早に近づくと、手に取った。
カタン、と静かな部屋に乾いた音が響き渡る。
「あぁ……私の可愛い可愛い小鳥ちゃん……寂しかったかい? ごめんね、最近忙しかったんだ……。でも、ほら……私の可愛い可愛い小鳥ちゃんに会うために、頑張って捜してきたんだよ……だから、許してね……? ふっ……ふふふふふ……」
不気味な笑いをこぼしたその男は、手に持った、銀髪の美しい女性が優しく微笑んでいる肖像画を熱っぽく見つめる。やがて左手だけで肖像画を持ち、右手の指先で描かれている女性の頬を、つつつ、と撫でた。
何度も、何度も。
そして男は、肖像画を胸の中へ閉じ込めると目を伏せて天を仰ぐ。
「あぁ…………私の可愛い可愛い小鳥ちゃん…………待っていてね…………もうすぐ…………もうすぐ、会えるから…………! ふ、ふふふふふふふ……ふはははははははははははは!」
男の、渇ききった欲望が生み出した狂気めいた笑い声は、城中に轟いでいた。
一年後。
「リアーン!」
自宅から出て、今まさに玄関の扉を閉めようとしていた時、リアンの耳によく知った声が聞こえた。声がしてきた左の方を振り向くと、ロディが走って向かってきている姿をその双眸に捉えたリアンは、視線を正面に戻し扉をしっかり締めた後で向きを直し、再度友達の方へと体ごと向ける。
「ロディ。どうしたの?」
「よう! どっか行くのか?」
リアンは、右肩から左腰へと斜めに太い紐を掛けていた。その紐は左腰まで続いており、その先には白い麻袋が付いてる。これは、買ったものを入れたりちょっとした道具などを入れたりするのに使われるのが主だったが、リアンは薬草や香辛料などを入れるために使っていた。それを腰にぶら下げている姿を見たため、ロディは外出するのかと訊いたのだった。
「ああ、うん。ちょっと森へ行こうかなって」
その言葉を聞いたロディは押し黙る。数秒後、大袈裟に溜め息をついたあとリアンの右肩に腕を回して口を開いた。
「まさか、まだ捜してるのか?」
その言葉を聞いた瞬間、リアンはドキッとした。
そして、俯く。
「……だって……」
――急にいなくなったし……心配なんだもん。
はぁ、とまた大袈裟な溜息が上から落ちて来て、リアンの心臓がもう一度跳ねた。右肩から左腰にかけて伸びている紐を、胸の前でぎゅ、と握る。
「……まぁ、リアンのそういう優しいとこは、いいところだと思うけどさ……もう一年なんだぜ? それに……そんなんじゃ、変な奴に引っかからないか、逆に不安だな」
「う……うん……」
「あとさ。何かあったんじゃないかって思ってるけど、そんなんじゃなくってただ単に、仲間の所へ帰ったのかもしれないじゃん?そんなに気にするなよ」
「…………」
未だに俯いたままのリアンを見てロディは肩に回していた腕を離した。
解放されたリアンは反射的にロディに視線を向ける。
「……今日は、あの子いないの? ほら、いつもくっついてる奴」
「ああ……うん、お母さんと裏にいるときに私が家を出た」
突然言葉を遮るように、ガチャリ、と音がした。二人の視線が一斉に玄関の扉へ移り、それがゆっくりと開いていく様子を見守っていると、姿を現したのはたった今話をしていた少年。
「おっ。おっす」
ちゃ、と少年に片手を挙げて声を掛けたロディに、少年は微笑んだ後お辞儀をして応える。
「丁寧な奴だな~……しかしリアン。こいつさ」
「ん? 何ロディ」
話を振られたリアンはロディへ視線を向けた。
「……背、伸びたな。一年前は、リアンより頭一個分下だったろ? 今じゃお前より数センチ上だしな……伸びるのはえぇ……」
言われ、リアンは視線を少年へ戻した。そして、数秒程じっと見つめる。
「……うん、そうだね」
リアンがそう言うと、少年はほんの少し頬を赤らめ、嬉しそうに笑った。
「なんかこいつ急に得意気そうになったな?」
そう言いながらも、ロディは気分を害した様子もなくにやにや笑っている。リアンはその様子を見て、ふっと笑った。
そして、そのリアンをまた優し気に見つめる少年。
彼を見て、ロディは口を開く。
「なんかもう、リアンの兄ちゃんみたいだな」
きゃらきゃらと笑いながらそう言うロディには何も答えず、リアンは微笑んだまま少年を見つめた。
そして数秒後、リアンはロディの方へ視線を向ける。
「じゃあロディ、私行くね。お母さんがらシルケ採ってきてって頼まれてるから」
「あーシルケかぁ。ボクあれすっげぇ苦いから嫌い! 邪魔して悪かったな。気を付けてな!」
「うん、ありがとう」
さっと片手を挙げて来た道を戻って行くロディを見届けた後、リアンは視線を背後の少年へ向ける。目が合うと少年は、にっこりと笑った。
その様子をみて小さく笑った後、リアンは言った。
「いこっか?」
その言葉に少年は頷き、二人は肩を並べて森に向かって歩き出した。
砂利が踏みしめられる音が響き、時折枝が折れるそれが混じる。葉擦れの音を立てさせながら歩き続けて数十分。
以前、クロと呼んでいた動物が居た場所へ、リアンと少年は来ていた。
しかし、そこにあるのは以前と変わらぬ潮の香り、響き渡る波打つ音。
そして、寂寞。
分かっていたことではあったが、リアンはやはりクロのいない寂しさを拭いきれなかった。
少し冷たい風が吹き抜けていき、リアンの銀髪が揺れた。
――クロちゃん……せっかく、仲良くなれたばっかりだったのに……。
「……どこ、いったのかなぁ……」
俯いてぼっそりと呟くリアンの言葉を、一歩後ろに下がって見守っていた少年ははっきりと耳にした。ついで、リアンが海へ近づいて行くのを視線で追い、自分も後に続く。
リアンは、打ち寄せる波が足元にかからない程度の距離まで近づくと足を止め、陽光で反射し、きらきらと輝いている水面を静かに見つめた。
「……仲間のところに帰った……か。……ロディの、言う通りなのかもしれないなぁ……」
――うん。どこかで怪我して動けない、とか……そんなのより、無事でいてくれてるって思うほうが、よっぽどいいよね。
「……元気で、いてくれてるよね……クロちゃん……」
そう呟いて、リアンは空を見上げた。
そこには、まるで宝石のように澄んだ青空が広がっていた。
少年はそんなリアンを複雑そうな表情で見守っていた。
が。
突然、少年は眉を顰めた。そして、島を護るように囲んでいる自然の要塞の役目をした岩壁をじっと見つめる。
そうしていれば、まるで透かして見えるとでもいうように。
その姿は、まるで、なにかに警戒している野生の動物のようだった。
少年は数歩前に出てリアンの腕を引き、意識を自分に向かせる。
それは見事に成功し、リアンは視線を少年へ向けた。
「な……」
に、と言おうとしたリアンの言葉が途切れた。
少年は、今まで見た事のない、怖い顔をしていたのだった。
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