第16話
森へ向かって歩くリアンの足取りはとても軽かった。銀の髪を弄びながら体を吹き抜けていく風はとても涼しく、太陽から降り注ぐ陽光は暖かい。
数時間家に籠っていただけだったのだが、まるで数日閉じこもっていたようにも思えてくる。
それほどまでに、リアンの気分は解放的になっていた。
無意識に鼻歌交じりに進む中、風が揺らす木の葉のざわめきと自身の軽快な足音に紛れて別の音が重なっていることに気が付いた。
それとほぼ同時に、左腕が何かに引っ張られ体のバランスが崩れて背後に倒れそうになるが、咄嗟に歩くために軽く上げていた左足を地に着けることで避け、態勢を整えると振り向く。
そしてその双眸に不安げな少年の姿を捉えた瞬間、やばっと思った。
――あっちゃー……この子の事つい忘れてたよー……。
左腕を掴んでいる少年の左手を自由に動かせる右手でゆっくり外す。すると、更に不安げな表情になった少年にリアンは微笑みかけ、掴んだ少年の手と自身の右手の平を合わせ、ぎゅっと繋いだ。
繋がれた手を見て驚いたのか、少年は咄嗟に顔を見上げリアンを見つめてくる。そのまんまるにした灰色の双眸を見て、思わずリアンの口から笑い声がこぼれた。
――かわいい。
何故笑われているのか分からないのだろう。少年は笑っているリアンを、首を傾げて見ている。
「ふふっ。ごめんごめん。じゃあ、いこっか」
そう言ってリアンは少年の隣りに並び微笑みかけると、不思議そうに瞬きを繰り返した後、笑って頷いた。
そして、二人はゆっくりと森へと向かって歩き出した。
数日間毎日のように通っていた慣れた道を、リアンと少年は歩いていた。しばらく歩いていると潮の香りが風に混じって漂ってきていることに気づき、自然に笑顔になる。脳裏にクロの姿を思い浮かび、無意識に笑い声が漏れた。
「ふふっ」
それを耳にした少年が不思議な顔をしてリアンを見上げたが、見られている事に気づくことはなく笑みを深める。
少年は視線をリアンから正面へ戻し、岩山に挟まれている道をその双眸に映すと足をピタリと止めた。
「あっ」
それにより手を繋いでいたリアンも、少年より一歩先に進んだ辺りで後ろにガクン、と引っ張られるような形で、足を止める。
「ふわぁ~びっくりした。どうしたの? 何かあった?」
先に行ってクロに会いたいが、少年も気になる。
リアンの視線が正面と少年を幾度か行き来した。
少年は、いつもと違って少し、思いつめたような表情をしていた。それに気が付いたリアンは不安に駆られる。
「……ねぇ、大丈夫?」
リアンは少年と向き合うと身を屈め少年と視線を合わせる。
少年は数秒程困っているような戸惑っているような表情をしていたが、何かを吹っ切るように頭を振るとリアンと視線を合わせ、いつものように微笑んだ。
その微笑みは若干元気がなさそうではあったが、少年が軽く頷いたのを見てそっと溜め息を漏らす。
「……大丈夫なんだね?」
リアンの言葉に少年は頷き、一歩踏み出してリアンの横に並んだ。
その行動を、進もう、と取ったリアンは屈めていた身をまっすぐに伸ばすと向きを変え、再度岩壁の間にある小道へ向かって歩き始めた。
リアンは岩壁からひょこっと身を乗り出しクロを捜す。
しかしその双眸に映ったのは、予想外の者達だった。
――あれは……。
岩壁から離れ、少年と共に砂浜へ出ると足に伝わる感触が硬いものから柔らかいものへと変わる。
さらさらした、柔らかい砂浜に足跡を付けながら進んでいると、気配を感じたのか砂を踏みしめる足音が聞こえたのか、クロがいつも居た隅の方に立っていた二人は振り向き、その瞳にリアンの姿を映す。
「リアンッ!」
その瞬間、声を上げて二人が一斉に駆け出した。
リアンの側に駆け寄って来た二人は、額に巻かれている包帯を見ると痛ましそうな表情になり、肩をおとして口を開いた。
「……ごめん、ボクたちのせいで……」
その言葉に、リアンの視線がロディへ向けられる。
「ごめんね、リアン。痛かったよね……大丈夫? 頭痛かったりする? 平気?」
ぎゅ、と突然両手が握られてリアンは驚き、ロディから視線を隣りに立っている者へ移すと戸惑いながらも口を開いた。
「だ、大丈夫だよ、ロネ。たいしたことないから……」
「僕、心配で心配で……本当に平気?」
「うん、大丈夫……」
そう答えながらも、リアンの視線が握りしめられているロネの手に向けられる。
――だから、離してほしいな……。
ロネが嫌いなわけではない。嫌いではないのだが……なんとなく、あんまり触れられて欲しくなかった。
すると、リアンの手首に新たな感触があり、視線を落とした。それによって今までリアンの目を見て話していたロネも気が付き、リアンの視線を追う。
ロディ含め三人の視線の先には、リアンと共に来た少年がいた。
少年がリアンの手首を掴んでいたのだ。
リアンはロネの手から自身のそれを抜くとしゃがんで少年と視線を合わせる。
「どうしたの?」
訊かれ、少年は数秒じっとリアンを見つめていたが、明るく微笑んだ後そのまま手を引いて海の方へと引っ張る。
「あっ、ちょっと待って……」
逆に少年の手を引き足を止めさせると、自らの意思で肩を並べて、海の方へと歩いていく。その二人の様子を背後でロネは静かにじっと見つめていた。そんなロネをロディは見つめたあと、視線をリアン達へと向けた。
海水が足元に来る位置まで歩いてくると、リアンは陽光をキラキラと反射させる水面を見て、ふぅ、と静かに溜め息を漏らした。
「……やっぱり海はいいなぁ……」
しみじみと呟やかれた言葉に、少年は顔を上げてリアンを見る。
リアンは微笑んで、燦々と輝く海を見つめていた。潮を含んだ優しい風が、リアンの銀髪を揺らし、陽光が当たって輝いている。
少年は、リアンのその姿をじっと見つめていた。
少年がリアンをずっと見つめている事に気が付いたロネが、小さく言葉を漏らす。
「あいつ……誰だよ……」
それを隣りで聞いていたロディは小走りでロネの横を通り過ぎ、リアンの所まで走る。
二人の側までくると、話し掛けた。
「な、リアン。あの子捜すんだろ? 実はボクもパンを持ってきたんだけど、いなくてさ」
ロディの言葉に頷いたリアンは歩き出し、少年もその後についていく。
「でもどうしてロディが?」
歩きながら、不思議に思ったことをロディに訊くと、ロディは苦笑して答える。
「いやぁ、だってさ……ボク達のせいだし。リアンがあの動物にご飯あげてたの思い出して、代わりに持って行かなくちゃって思って来たんだけど……まぁ、結局姿が見えなかったんだけど。怖がられてるのかな、ボク」
「いなかったの? ……どこいったんだろう……」
歩きながら唇に指先を当てて考えるリアンを見ながら、ロディも視線を横に逸らし一点を見つめながら唸り声を上げる。
「うーん……」
二人して歩きながら考えに更けている間にロネの側を通り過ぎたところで、リアンははっと我に返った。足を止めると、辺りを見渡し、丘を見上げて木々の間にも姿があるかどうかを確かめていないと知ると口を開いた。
「クロちゃーん!」
そして、叫ぶのを止めてじっと待つ。
――前はこれで出て来てくれたから、近くにいるなら姿を見せてくれるはず……。
固唾を吞んでたっぷり二分は待ったが、一向に姿を見せる気配はない。
「どこにいったのかな……もしかして」
――怪我して動けない、とか……!
「捜しに行かなくちゃ!」
駆け出そうとした瞬間、その腕を誰かに掴まれた。
素早く振り返ると、そこには少年が立っていた。少年の手が、自分の腕に伸びている。
「あ……」
少年は、ふるふると真摯な眼差しで頭を振った。
行くな、と言いたいのだろう。
その様子を見た時、脳裏に母親の姿が浮かんだ。
リアンの顔が、俯きがちになる。
「分かったよ……行かない。大丈夫だよ」
その言葉を聞いて、少年は複雑そうな表情を浮かべ、じっとリアンを見つめる。
そこで突然肩を優しく叩かれたリアンは顔をあげた。そこには今まで成り行きを見守っていたロディが立っていて、微かな笑みを浮かべていた。
「ロディ……」
「リアンはさ、怪我治ってないんだし無理すんな! ボクが捜しとくよ!」
「ロディ……ありがとう」
微笑んで感謝を伝えてくるリアンに、ロディは頭を振る。
「いや、だってさ、お前が怪我したのボク達のせいだし、な……」
「そろそろ帰ろう。リアンは、お母さんが心配してると思うよ」
黙っていたロネがそう口を挟み、ロディは頷く。
「そうだな、それがいい。リアン、お前は帰っときな。ボクが少し捜してみる」
「う、うん……でも……」
「いいからいいから。ほら!」
そう言って、トン、と軽くロディはリアンの背中を押した。少しよろけ、態勢を整えてから肩越しにロディを見つめた。
リアンと視線が合ったロディは、手の甲を上下に軽く振り、早く行けとジェスチャーで伝えてくる。それを見たリアンは苦笑し、頷いた。
「わかった。じゃあ、ごめんけど、よろしくねロディ。ロネも、またね」
「うん!」
リアンが声を掛けるとロネは元気がいい返事をし、手を挙げて応える。それに対し、リアンもまた二人に小さく手を挙げて振ってから、少年と共にその場を後にした。
しかしその後、リアンがクロに会うことは、なかった。
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