第15話

 リアンの返事を聞いた後もう一度我が子に笑い掛けた母親は、背中を向けて歩いて行った。やがてその姿が裏へ出る扉をくぐり、見えなくなるとリアンは視線を少年に戻す。すると、リアンをじっと見ていたのか、少年とすぐ目が合った。

 少年から向けられてくる柔らかい眼差しに、リアンも微笑み返す。そして、お互いが互いに微笑みかけながらふと思う。

 ――お母さんは裏にいっちゃったし、この子と何しておこうか…………。

 「あっ!」

 突然あることに思い至り、リアンは声を上げた。同時に正面に座っていた少年の体が、驚いたのか軽く、びくっと震えた。

 それを見て、リアンは苦笑しながら謝る。

 「ごめんごめん、驚かしちゃったね」

 ――悪いことしちゃったなぁ。

 少年は最初きょとんとした顔をしていたが、やがて笑顔に変わり頭を振った。

 気にするなと言いたいのだろう。

 リアンはもう一度少年に微笑みかけるとゆっくりとした動作で立ち上がる。

 本当はもっときびきび動きたいのだが、頭の傷に響いて頭痛やめまいに襲われるのが怖く、どうしても慎重になってしまうのだ。

 立ち上がったリアンは母親が消えた裏へ続く扉を見つめた後、正面に視線を戻し足元を見下ろす。

 少年は座ったまま顔を見上げ、見つめてきていた。

 リアンが何をする気なのかを気にしているのが、言葉を聞かなくても表情で解る。

 ――あーそうだ、この子どうしよう……一緒に連れていくわけにも……。とりあえず、お母さんが来ないうちに、外へ出よう!

 リアンがそろそろと玄関の方へ向かい始めると気が付いた少年はすくっと立ち上がり後を付いていく。そんな少年に、玄関の扉の前で背後を振り向いてから気が付いたリアンは戸惑いの表情を浮かべた。

 ――うわわわついてきてた!

 「ご、ごめんね、ちょっと私出かけてくるところが……」

 どう説明していけばいいのかと頭を悩ませていた時。

 奥の方でガチャ、と扉があいたような音がリアンの耳に届いた。その瞬間、少年を見下ろしていた為に俯きがちになっていた顔を勢いよく上げ、緊張からドックンドックンと強く跳ねる心臓の音を感じながら、強張った表情で音のした先を見つめる。

 すると。

 「リアンー、言い忘れたけど外に出かけちゃあ…………」

 扉を開け、顔と体を半分だけ出してそう告げた母親の双眸が、玄関の前に立っているリアンの姿を捉えた時、僅かに細められた。

 ――ひ、ひええええええー!

 母親の途中で途切れた言葉、そしてその後の無言の間。

 それらはリアンを恐怖に陥れるには十分なものだった。

 ――こ、怖い……! この間が怖い!

 固まって体が動かない間で、母親は外から身を滑らせて室内へ入ると、ゆっくりとした動作でリアンに近づいて行った。目前に迫ってきている母親の表情は、柔らかいとはいい難かった。

 「リアン? 何してるの?」

 正面で足を止めた母親が、リアンを見下ろしながら微笑む。

 だが、その笑顔が怖い。

 「い、いえ、あの、それは……」

 しどろもどろになっていると、リアンの前に何かが滑り込んだ。

 それに気が付いて視線を落とすと、少年がリアンの方に背中を向けて立っていた。

 ――え……?

 まるで、母親からリアンを守る様に立ちはだかっている少年の後姿を見ながら、戸惑う。

 ――ど、どうしたらいいのかな……。

 不安になって母親の方へ視線をやると、母親はきょとんとした顔で少年を見下ろしていた。

 やがて、その表情が崩れ、くす、と笑い声が漏れる。

 「そんなにお母さん、顔が怖かったかな」

 そう言いながら、母親は少年に落としていた視線をあげ、リアンの方を見た。

 リアンは心臓をどきどきさせながら、たじろぐ。

 その無言を肯定と取ったのだろうか。

 母親はふぅ、と溜め息を漏らすと「しょうがないわねぇ……」と呟いた。

 「リアン」

 「は、はいっ」

 名を呼ばれ、無意識に背筋をピンっと伸ばす。

 母親から無言でじっと見つめられるという気まずい攻撃に耐えていると、暫くしてから母親が続けて言った。

 「……この子も連れていきなさい」

 その言葉を聞いて、リアンはハッとする。

 「お、お母さん……いい、の?」

 「本当は良くないけど、あなた行きたいんでしょう?」

 「う、うん……」

 ためらいながらも、自分の気持ちを伝えてくるリアンに、母親は苦笑する。

 「だったら……連れがいたほうが、無理しなくていいし」

 そう言うと、母親は視線を少年に落とした。そして身を屈めて目線を合わせると、少年に微笑みかける。

 「ね……あなたには面倒を掛けるけど……この子と一緒に行ってもらえないかしら……?」

 きょとんとした表情で母親の言葉を聞いていた少年だったが、数秒経ちその言葉の意味が解ると、にっこり笑って、力強く頷く。

 その様子を見て、母親は安堵の溜め息を漏らした。

 「ごめんなさいね。宜しくね」

 そう言って立ち上がると、母親はリアンの背後にある扉に手を伸ばし、開けた。

 扉が軋む音を立てながらゆっくりと開かれ、同時に眩しいほどの光が飛び込んでくる。

 今日も、晴天のようだ。

 「さ、行ってらっしゃい。でも、すぐ帰ってくるのよ」

 背後からそう声が掛かり、リアンは母親を振り返った。

 その真剣な表情に、リアンも真剣なそれで、力強く頷く。

 「うん」

 リアンの力強い言葉を聞くと、安心したように母親は笑い、優しい声音で言った。

 「いってらっしゃい」

 「……行ってきます!」

 そう返事を返し、リアンは背を向けて歩き出す。

 その背後には、守る様に少年が付いて行っていた。

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