第13話

 「流されて……」

 「ええ。……そういうことが、稀にあるのよ」

 母親の言葉が、何故か懐かしんでいるように聞こえ、リアンは不思議に思いじっとその顔を見つめた。

 母親は、どこか、遠くを見ているような……そんな顔をしていた。

 ――おかあ、さん……?

 リアンの心臓が、ドックンドックンと強く跳ねる。

 今にも、どこかへ行ってしまうような、そんな不安がリアンを襲った。それを消したくて、リアンははっきりとした口調で母に声を掛ける。

 「お母さん」

 リアンが呼ぶと、どこか遠くをみていたような母親の視線と正面からぶつかり合う。目が合うと同時に母親は微笑んだ。

 「ん?」

 反応がすぐに返ってきたことに安堵し、リアンは頭を振った。

 「……ううん、なんでもない」

 「そう?」

 そこにあるのは、いつもと同じ母親の笑顔。

 ――よかった。……考え過ぎだったのかもしれない。

 母親の笑顔を見つめながら、そう思う。

 ――お母さんが、どこかへいっちゃいそうだなんて……。

 考え過ぎだ。

 そう、自らを納得させる。


 ぎゅるううううぅぅぅぅ~。


 突然変な音が聞こえ、リアンの表情がきょとんとしたものへと変わった。正面の母親も目を点にさせて自分を見つめていたが、ふい、と顔を音のした方へ向ける。

 リアンもそれに習い、視線を母親から先刻まで横になっていたところへ戻した。

 そこには、まだ微笑んだままこちらを見守っている少年が居る。

 リアンと母親は数秒程少年をじーと見つめていたが、先程の妙な音は聞こえず、気のせいだったかと思い始めた時。


 ぐきゅるるううううぅぅ~。


 微笑む少年の方から再度聞こえ、リアンと母親の視線が、彼のお腹へと注がれる。

 その瞬間。


 きゅるるるる~。


 咄嗟にリアンは自身のお腹を両手の平で覆った。頬が赤くなり、背中を少し丸め、苦虫を噛み潰したような顔をしている。そして無意識に落としていたリアンの視線が、少し離れた正面に座ったままの少年へ向けられ、彼のそれと合った。

 リアンは誤魔化すように照れ笑いをすると、少年はそれに笑顔で返したのだった。

 すると、隣りに立っている母親から笑いがこぼれた。

 少年と母親に笑われて、リアンは恥ずかしく思いながら視線を母へと向ける。母親はリアンを笑顔で見つめながら言った。

 「朝ご飯にしましょうね。リアンはその子と座っていなさい。数日は安静にしないとだめよ。もちろん外出もだめ」

 「はー……」

 その言葉を聞いて一瞬納得しかけたリアンだったが、脳裏にクロの姿がよぎってハッとし、言葉が途切れる。

 ――それじゃあ、あの子のご飯が……!

 慌てて、背を向け台所へと向かって歩いていく母親の背中を見つめる。

 「ね、ねぇお母さん、絶対だめ!? 走ったりとかしないからっ……つっ!! いたっ……」

 つい大声を上げてしまい、その途端額の傷に鋭い痛みが走った。

 頭がずきずきと痛む。

 無意識に右手を額に当てながら顔を顰めていると、心配そうな表情でリアンの顔の下から覗くように見つめてくる灰色の双眸と目が合った。

 少年のその顔をみて、リアンは心配をさせまいと微笑みを向ける。

 「だ、大丈夫だよ……」

 「リアン! 大丈夫!?」

 駆けつけて来た母親がリアンの小さい肩を掴み、顔を覗き込んだ。リアンは顔を少し上げて心配そうに覗き込んでいる母親に視線を合わせると微笑んで答える。

 「大丈夫だよ、お母さん」

 「そう……?でも、横になってなさい」

 そう言うと母親はリアンの背中を優しく押しながら歩き出し、布団が敷いてあるところへと誘導する。

 額の傷がずきずきと痛んでいたリアンは拒否する気もなく促されるがままに床へ移動した後、その身をそっと横たえた。すると側に少年がゆっくりとした動作で正座し、リアンをじっと見つめる。

 その真剣な表情に、リアンはなんだか照れくさくなった。

 「……大丈夫だよ、大丈夫。平気……」

 少年に微笑みかけながらそう言ってやると、彼の強張っていた表情が少しだけ和らぐ。

 ――不思議な子だな……どうしてこんなに心配してくれてるんだろう……。優しい子なんだな……。

 その時、リアンの耳に扉を叩く音が聞こえた。その音が聞こえたのか、朝食の用意をしていた母親がお皿をテーブルへ運んだあと、玄関に向かって真っすぐに歩きだす。

 リアンはゆっくり体を起こすと同時に、玄関がしっかり見えるように位置を変える。視線の先では母親が玄関の扉に手を伸ばしているところだった。

 母親が音を立てて扉を開けると、同時に声が飛んで来る。

 「おはようございます! あの……リアンは……?」

 ――あ、この声……ロディだ。

 「あの子は…………」

 次に聞こえたのは、母親の、いつもとは違う強張ったような声。

 「まだ、休んでるから……ごめんなさいね。後で来てもらえる?」

 「あ、……はい。すみませんでした……。行こうロネ」

 「すみませんでした!」

 そして、遠ざかっていく足音がリアンの耳に聞こえる。

 母親は数秒玄関の扉の前に佇んでいたが、やがて扉を閉じると向きを変えリアンに視線を向けてくる。

 ――お母さん、どうして?

 「……今の、ロディ達だよね?」

 ――なんで、追い返したの?

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