第11話

 「ええっ!?」

 そう叫ぶように言った後ロディは、自分の腕を掴むリアンの手から力が抜けたその一瞬の間をついて、振り切るように身を翻し駆け出した。

 「ちょ、ちょっと待ってロディ!」

 慌てて追い掛けようと足を2,3歩踏み出した瞬間、脳裏に母親の姿が浮かび素早く背後を振り返る。同じ銀色の双眸を持った母親は、リアンと目が合うとにっこり微笑んで片手を軽く挙げ、ゆっくりと左右に振りながら口を開いた。

 「気を付けて。お母さんも、後で探しに行くわ」

 その言葉に安堵し、リアンは母親に満面の笑顔で応える。

 「うん!」

 そう言うと、リアンは今度は振り返ることなく、いつも遊びに行っている森へ向かって駆け出した。

 愛しい我が子の走り去る背中をその目に映さなくなるまで見送ると、残された母親は溜め息を漏らす。

 「さて、と……」

 そう呟いたあと、母親は自身も捜索に加わるための準備に取り掛かった。 



 「ロディー! ロネー!」

 ロディを追って単身、暗闇に支配されて昼間よりも鬱蒼として見える森の中へ入り込んだリアンは、友人の名を叫びながら歩いていた。名を呼んでは応えが返ってくるか数秒間をあけつつ、何も逃すまいと耳を澄まし目を細めて周囲を見渡しながら歩を進めていく。だが、自身が立てる葉擦れの音がいつもより大きく聞こえ、また、そのせいで友人達が立てたそれを掻き消すのではないかと、不安が襲う。

 ――二人とも、どこまで行ったんだろう……。

 「ロディー! ロネー! どこにいるのー!?」

 叫んで足を止め耳を澄ますが、聞こえてくるのは虫の鳴き声だけだった。

 ――カンテラも持ってきてないし……。

 「わっ!」

 止めていた足を一歩踏み出したところで、足のつま先が何かに引っかかり、大きく体が前へ傾いて地面に倒れ込んだ。砂利の擦れる音と重たそうなそれが反響し、反射的にリアンの口から言葉が漏れる。

 「いったぁ……」

 上半身を起こして目を凝らし両手の平を見つめ、怪我していないか調べた後、服を叩いて付着した砂を払い落とした。そうして平同士を擦り合わせ砂を払うとゆっくり立ち上がり、ズボンに付いたそれも払う。

 パンパン、と小気味の良い音が暗闇の中に響き渡った。

 「怪我してないといいけど……」

 ――暗いからわかんないや。

 「あーあ、カンテラくらい持ってくればよかったなぁ……」

 夜空を見上げて悔やむが、あとの祭りだった。

 ――一旦戻ろうか……? ……もう少し探してからにしようか……。

 自分の中でそう結論付けたあと、リアンは再度歩き出した。その瞬間、足に小さな痛みが走り、顔を顰める。

 足を止めて、右足に視線を落とした。

 ――どうやら、怪我したみたいだな……。

 ふぅ、と溜め息を吐き、リアンは顔を上げると足を一歩踏み出した。ピリピリと走る痛みを堪えながら、ゆっくりと歩いていく。血が滲んでいるかが気になり無意識に擦りむいた膝に視線を落としながら、リアンは先刻と同様友人達の名を叫びながら歩を進める。

 「ロディー! ロネー! 聞こえたら返事してー!」

 叫んでも、返ってくるのは静寂と、虫の声、葉のざわめきだけだった。

 暗闇の中、ふと目前に薄らいで見えている大木に気づき、手を伸ばすと体を傾けて体重を預ける。

 「はぁ……」

 ――ちょっと、疲れた……。

 目を閉じて、僅かに吹いてくる風で熱がこもった体を冷やし、耳を澄ませた。乾いた葉擦れの音が聞こえる。

 数秒、その音を聴いていると、突然雑音が混じった。閉じていた瞼を開けると、周囲を見渡しながら気を耳に集中させる。

 すると、再度リズムのよい葉擦れの音に混じり、草むらの中で何かが動いているようなそれがリアンの耳に聞こえた。目を凝らしながらゆっくりとその場を離れ、足音をさせないように慎重に歩きながら音のする方へと近づいて行く。少しずつ少しずつ歩を進めながらもゆっくりと周囲を見渡し、ついに自然に揺れる葉の動きとは異なったそれをしている個所を見つけた。

 その葉の動きを見据えながら足を止め、小声で囁くように話しかけた。

 「……ロディ? ……ロネ?」

 声を掛けた途端、突然大きな葉擦れの音と揺れを残しながら、リアンから逃げるように素早く移動していくのを見て、リアンは反射的にその軌跡を追いかけるべく駆け出した。

 「ま、まって!」

 暗闇の中を砂利を踏む音、虫の鳴き声と共に大きな葉擦れの音が二重に響き始める。

 「待ってよ! 逃げないで!」

 追いかけているのが何なのか、誰なのか。

 追いかけることに必死で、リアンはそこまで考える余裕がなかった。

 「ロネなの!? ロディ!?」

 追いかけながら叫ぶように言うが、答えは返ってこず、ずっと移動し続ける。数分走り続けていた所で、リアンは違和感を感じ始めた。

 ――もしかして、人じゃ……ない? ああ、そうだよね……動物の可能性もあるんだった! ばかだな、私!

 先刻覚ましたはずの体の熱は再度こもり、額に汗が浮き出て来ていた。やがて肩を上下に揺らして荒い呼吸を繰り返しするようになっていく。限界はすぐに来て、リアンは追いかけ続けることが出来ず、足を止めた。

 するとそれを敏感に察知したのか、追いかけていた相手も動くのを止め、ピタリと葉擦れの音も止まった。涼しい風が吹いてふんわりとリアンの髪を弄び、リズムのよい揺れと共に葉擦れの音が辺りに響き渡り、それが止むと虫の声だけが辺りを包み込む。

 リアンは荒い呼吸を繰り返しながらその場から一歩も動かず、ただじっと、追いかけていた相手がいるはずの、草むらを見据えていた。

 数秒が数十分にも感じられた。 

 やがて、カサカサと葉擦れの音が響き、追いかけていた相手が姿を見せる。

 三角に数センチ長く伸びている耳に、同じような長さの毛が垂れ下がり、小さく黒い目と鼻、小ぶりの顎。ビシックだった。

 追いかけていたのがビシックだったと解った瞬間、リアンの体から突然力が抜け落ちた。

 一気にしゃがみこんで、大きなため息を漏らす。

 「なんだよ~、君かよぉ~」

 リアンががっくり肩を落とす傍らで、ビシックは何事もなかったかのように短い足で耳を掻き、気持ちよさそうに目を細めていたのだが、俯いているリアンには知る由もなかった。

 そのうち、リアンの耳にガサッと葉擦れの音が届いて、俯いていた顔を上げビシックが居た筈の場所へ視線をやると、すでに影も形もない。

 どうやら逃げたようだ。

 「はう……。まあしょうがない……。よいしょ」

 掛け声をかけつつ立ち上がると、追いかけるのに夢中で忘れていた足の傷が疼いて痛みが走った。

 瞬間、顔を顰める。

 「痛っ。……戻ろうかなぁ」

 夜空を見上げ、ぼっそりと呟いた。

 ここがどこだかさっぱり分からないが、まっすぐ歩いていれば、島の端には着くのだ。

 慌てることなどない。

 深呼吸を一度したあと、リアンは歩き出すために何の気なしに一歩足を踏み出した。

 途端、ガクン、と体が後ろに傾き始め、浮遊感が襲い、体が土の上をゴロゴロと勢いよく転がり落ちていく。体中を打ち付けられているような衝撃を受け、落ちている枝や小石等で体中に擦り傷が出来る。


 暗闇のせいで、気づかなかったのだ。


 急な斜面があったことに。


 あまりの突然の出来事で、リアンは成す術もなく体中を叩きつけながら転がり落ちていき、最後に一メートルの高さを落下し、柔らかい砂の上にドサリと背中から倒れ、強かに背中を打ち付ける。

 やがて、気を失って身じろぎもしないリアンの体中に出来た傷から、じんわりと鮮血が滲みだし始めた。

 そんな、力なく倒れこんでいるリアンの体に、黒い影が差し込んだ。



 そして、波音に包まれている砂浜に、何かの動物の鳴き声が響き渡った。



 それは、慟哭のようにも聞こえた。

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