第9話

 翌朝、朝食を済ませた一時間後母親がリアンに紙袋を差し出してきた。それを前に、首を傾げる。

 疑問が浮かんで、思ったことを口にした。

 「お母さん……それはなに?」

 すると、母親は微笑みながら答える。

 「何って、お友達のとこ行くんでしょ? ここ数日いつもじゃない」

 ――あ。

 言われて心臓が強く跳ねあがった。一瞬血の気が引き、汗をかきそうになる。

 「あ、あはははは……。ありがとう……」

 苦笑して誤魔化しながら差し出された紙袋を、そっと受け取った。作り立てなのか、小麦のような香りと、ほんのりとした温もりが指を通して伝わってくる。

 気分が良くなって、リアンは微笑みながら視線を母親に向ける。

 「それじゃ、行ってきます!」

 「暗くならないうちに戻るのよ」

 「はーい!」

 暖かい紙袋を胸に抱いて、リアンは外へと飛び出した。


 早歩きで森へ向かっていると、背後から声が飛んで来た。

 「おーいっ! リアン!」

 名を呼ばれ、心臓と体が同時に跳びあがった。

 ――こ、この声は……。

 ぎこちない動作で声がした方へ顔を動かすと、同族の子が一人リアンの方へ向かって走ってきていた。

 「や、やぁ……ロディ」

 「おっはよーん! なあなあ、どこ行くの?」

 リアンの肩をポンっと軽く叩いて、ニヤニヤしながら訊いてくるロディに、内心焦りながら顔には出さないように努めつつ、答える。

 「いや、ちょ、ちょっと森に行こうかなと……」

 ――あ~まずい! ロディには言葉つっかえちゃいけないのに……!突然すぎて……!

 「ふぅん? 実はさぁ、昨日の夜見ちゃったんだよね!」

 その言葉を耳にした途端、ドクン!と心臓が強く打った。背中に嫌な汗が流れ、抱えている紙袋を持つ手が僅かに震える。

 「え、な、何を?」

 「またまたぁ……誤魔化しはできないって! 森の前に立ってたろ? 何してたんだよ!」

 「や、薬草を探しに行ったんだ!」

 「へぇー夜に?」

 ――あー!失敗したぁ!!

 相変わらずニヤニヤして面白がっているロディに、リアンは数秒息を詰まらせなんと言ってその場を凌ごうか言葉を探していたが、諦めて溜め息をつくことで負けを認めた。

 「ふっふーん」

 ニヤニヤしたまま腰に手を当てて胸を張るロディにリアンは意気消沈した表情で片手を挙げる。

 するとロディはリアンの肩をポンポンと二度叩き、満面の笑みを浮かべた。

 「ま、次頑張りなさいって!」

 ――騙せる気がしないんだけど……。

 そう思って二度目の溜め息をつくリアンに、満面の笑みを浮かべたまま問う。

 「で、何してたんだ?」

 「ああ……最近友達になった子がいて……」

 「森に?」

 「うん……」

 なるほどねー、とロディが呟く。

 「じゃ、ボクもついて行こうかな」

 「ええっ!?」

 「なんだよ。ついていくとまずいことがあるのか?」

 突然、ロディの瞳の輝きが増した。

 ――う、うわぁ……。ロディの天邪鬼な所が……!

 「いや、い、いいよ……でも、驚かしちゃだめだからね!」

 「ふぅん?」

 ニヤニヤしだしたロディにさらに念を押すように声を掛ける。

 「絶対だよ!!」 

 「わかーったって!」

 変わらずニヤニヤしながらそう答えるロディを見て、リアンはがっくりと肩を落とした。

 ――だめだ……絶対だめだ……。信用できない……。

 「ほら、いこーぜ!」

 軽い足取りでリアンを越し、歩き出すロディの背中を見ながら溜め息を漏らしたリアンは、肩を落としたまま後を追う形でついて行った。



 森に入って数分後、草木を掻き分けて進む中、ロディの面倒くさそうな声が聞こえた。

 「なぁーまだぁ?」

 「まだだよー」

 「遠いのかー?」

 「そんなことないけど……」

 「ふーん」

 そこで一旦会話が途絶え、暫くは虫や動物の鳴き声、乾いた砂と枝を踏む音、葉を掻き分けて進んでいる為に生じる葉擦れの音だけが響き渡る。しかしそれも長くは続かなかった。

 「なーまだ?」

 「……まだだよ」

 「あとどれくらい?」

 「……わかんない」

 そう答えると、背後からブーイングが聞こえ出し、リアンはついに足を止めて振り返るとロディを見た。

 「だったら帰る?」

 多少苛ついていたが表には出さずに抑え、感情のこもらない声でそう問う。そんなリアンを見たロディはきょとんとした様子を見せた後、慌てた様に両手を左右に振りながら答える。

 「い、いや、いい」

 「そう」

 返事を聞いたリアンはロディに向けていた視線を正面に戻し、止めていた足を動かし始めた。その背後でロディは静かに溜め息をつく。

 いつもはほわほわな雰囲気をだしているリアンだが、怒ると一変し、空気が凍るような雰囲気を醸し出す。それを感じ取ったロディは慌てて誤魔化したのだった。



 それからはロディが静かになり集中して歩を進めることが出来、いつもの場所に着いたリアンは浜辺に入る道の手前で足を止めると、姿がないか確認するために、周囲を見渡した。

 ――浜辺の方かな。

 「ここ?」

 静かだったロディが背後から声を掛けて来て、リアンは振り向き視線を合わせると頷いた。

 「ここか、その奥の方」

 すっと腕を正面に伸ばし、人差し指で岩に挟まれた小道を指し示すとロディは感嘆の溜め息を漏らす。

 「こんなところがあったとはねぇーよく見つけたな」

 「歩き回ってたら見つけただけだよ。もう一度言うけど、あの子怖がりだから、大声だしたり飛びついたり絶対しないでね」

 目を細め真剣な表情でそう言うリアンを見て、ロディは先刻の怒りを身に纏ったリアンを思い出し、こくこくと頷いた。

 「じゃあ、行こう」

 そう言ってリアンが小道の方へ歩いていくのを見て、ロディは軽く溜め息をつくと、その後を追う。

 さくさく進む二人の耳に心地よい波音が聞こえきだし、潮を含み湿気を帯びている風が吹いてきて鼻孔をくすぐり始めた。同時に、踏む度に乾いた音と感触があった砂が、柔らかいものへと変わっていく。

 やがて、二人の双眸に静かに波打っている海と白い砂浜が映り込む。

 初めてこの場所を見たロディは、茫然とサファイア色の海を見つめた。その間でリアンはさくさくと足を進め、端の方へ歩いていきながら、ロディに言葉を投げる。

 「そこにいて」

 「……ああ……」

 海に気を取られているのだろう。うわ言のような返事が聞こえ、歩きながらリアンは僅かに微笑んだ。そして数秒後、クロがいた場所まで来ると周囲に視線を走らせ姿を探す。

 「……いない……。ロディがいるからかな……」

 そう静かに呟いたあと、リアンは少し声に力を入れて叫ぶように言った。

 「クロちゃーん?」

 その声に反応し、頭上の方から葉擦れの音が聞こえ、リアンは疑問に思いながらも顔を上げる。

 一メートルくらい上に段差があって、木々が生えていた。今まで見上げたことがなかったため、気づかなかったようだ。

 ――違う場所からでもここに来れるんだぁ……ただ、飛び降りなくちゃいけないみたいだけど。

 そう考えながら、リアンは口を開く。

 「クロちゃん? 出ておいで。ご飯持ってきたよ」

 すると、その声に合わせて黒い頭と灰色の瞳がひょっこり姿を見せた。

 ――どうやってあそこまで行ったんだろう……。

 「クロちゃん、降りれる?」

 もう一度声を掛けると、クロは完全に草から出て来て姿を現した後、リアンにやっていた視線を、顔を上げて海の方へ向けた。それに気が付いたリアンは背後を振り返り、クロの視線の先を調べる。そしてどうやらそれは、ついてきたロディに向いているようだった。

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