第2話

 すっかりと夜も更け、皆がしばしの休息を取る頃。ここ迷子保護施設カンパニュラも今だけは皆休息の時だ。

 しかしスノーはその音でふと目を覚まし、はっきりとしない意識のまま起き上がった。

 ピンポーン……

 眠る前に飲んだミルクのせいだろうかトイレに行きたくなったのだ。スノーは部屋を静かに出て行くと、そのまま自分のいる南角の部屋をでてすぐの廊下にあるトイレへと向かって行った。

 用も早々に済ませ、廊下へと出る。

 さすがに意識も半ば覚醒し始めたスノーはそこで空間の見知らぬ静けさに気が付いた。

 普段は点々と灯るフットランプは軒並み消え、深夜の内に回される轟々と身を揺らす洗濯機の稼働音も今夜は聞こえない。

 (……?)

 些細な疑問であったが階下に降りてみることにしたスノーは壁伝いに階段を下りていく。

 幸い夜目がきき、月明かり程度で周囲が見えたので、階段も難なく降りることができた。

 降りた先、正面玄関ホールへ出る。そこは非常灯特有の緑で照らされていて、別の空間にでも迷い込んでしまったかのようにも錯覚できた。

ピンポーン……

 すると二度目のチャイム、ほんの少しだけ怖じけた心が生まれる。

適当な事を想像してそれを抑え込むスノーはそこでひらめいた。

 ちょうどこのホールの端。正面玄関側には警備を兼ねた外来窓口がある。そしてそこには二十四時間警備員の誰かしらが在中していることをおもいだした。

 窓口の方まで向かい、ガラスが張られているカウンターをのぞき込む。

 「よ、よく見えないぃ」

 スノーは背伸びをして、そこからさらにカウンターに手をかけ体を持ち上げる。

「……?」

 のぞき込んだのはいいものの、そこには誰もいなかった。しかしいたような雰囲気もある。

 この窓口の室内だけ、電球の一つで微かに照らされている。

 そこから見えたものは警備員の制服とよく磨かれた黒い靴。それらがまるで人が器用に服だけを残して消えてしまったかのように一式落ちていた。

「??」

 謎は深まるばかりでそこはかとない不安がスノーの背筋をはいがっていく。

「うん、不思議な事なんて……寝よ」

 スノーの年は十一である。現実と夢見の区別ぐらいつくわけであるが、この時背筋を這う不安はその区別をおざなりにするほど無視できなかった。

 すぐさま体を百八十度向き直り、そそくさ元来た道をたどり帰る。

 心の中の疑念はかなぐり捨てたのに、たどり帰る道は嫌に長く、そして遠く感じた。

 スノーは部屋にたどり着くなり扉も閉めずベッドの中に滑り込んだ。

 「ふぅ」

 たまらず入り込んだベッドの中にはまだ少し、温もりが残っている。

何故だか安堵のため息が少し漏れ出てしまった。

 そして朝を迎えるためにと目をつむりこの現状からの剥離を目指す。

 鼓動の速さも落ち着かせようとした時。

 きぃ……カチ……。  

 突然の開閉音に続き施錠される音。

 今の今まで足音もせず、人の気配も感じられなかった。しかし何かしらの音を聞くとなると話は変わる、先程まで自分しかいない部屋に誰かが今いるのだ。

 その感覚だけで落ち着いてきた鼓動は再度逸り、肌は粟立った。

 鼓動の加速とは裏腹に血の気が引いていく、体温が奪われていく。

 (背筋が凍るってこのことか‼)

と今はどうでも良い事がふと思考に交じる。そんな思考をしていると。

 扉の方からやわらかな足音が聞こえ、その存在は少年へとゆっくりと近づいてくる。

 人生の終わりを覚悟してギュッと目を閉じ、背を丸める。

 バサッ。

 「はぁぁあぁ……」

 次の瞬間、最後の希望の布団も剥がされ、なんとも情けない声にならない声が出てしまう。

「そんなに怖がらなくても」

(へ?)

 聞こえてきたのは若い女性の声。しかも何かをするわけでもない。ただ疑問を投げつけられた。

 力んでいた力を脱力しつつそっと目を開ける。声の主の方を見るとその顔は苦笑いの表情を浮かべていた。

「お姉さん誰?」。

女性は立ち話も手間だと思ったのか、机にある椅子を指差しながら首をかげる。

 スノーはうなずき、同意を得た女性は椅子に腰掛け、またスノーもベッドに腰掛けるよう慎重に姿勢を変えた。

 女性が机においてあるデスクライトの明かりをつけると、部屋全体がほのかに照らされた。

 そこで見える姿は黒く膝先まで伸びるぐっしょりと濡れた深緑のレインコートを纏い、隙間から見えた足には黒いボディースーツ、そしてそれを覆うプレートが見える。

「私の名前はアセナ。あなたは夢月雪華で間違いありませんか?」

 フードをあげるとそこには自分の髪色に似た灰色の長髪を後ろ手に結う、おっとりとしたような、優しげな顔立ちがあった。

「え、どうして私の名前を?」

 アセナと名乗った女性はその質問にわざとらしく思案する。

「んー……私があなたの名前を知っていて。そして此処にいるということにすべての意味があるのですが……ふむ、心当たりは有ります?」

 質問で返され、困惑するスノーは全くそのことに関しては見当がつかない。故にゆるゆると首を横にふることしかできなかった。

「ふむふむ」

 何か思案しているような素振りだが、そうでない。これは大人が表に何かしらの感情を出せない時の反応だとスノーは知っている。

「では結論から言います。私があなたの名前を知っているのは私があなたを必要としていて、かつあなたが命の危険にあるからです」

「私が必要?」

 思わず眉を潜め、首をかしげてしまう。

「こんな外にも出ないような子供がですか?」

 スノーは答えの意図が掴めず困惑する、そしてそのことから少し自虐的に返してしまう。

 目の前の彼女は天井を仰ぎ、足を組みなおすと、ため息をついた。

「あなたはそもそも外の世界を知らなすぎる、子供ですからね? だから不安に思うことはありません、ただ外にはあなたを必要とする人が居ると知ってください」

 その一言を大切に言った後、一呼吸を置き、そしてアセナはスノーを見据えた。

「確かに、事柄を知らないでいることは幸せなことでしょうが、知っていろいろな物を見てから今の自分を見直したら……きっと呆れて声も出ないと思いますよ。いじけるのはその後でもいいでしょう?」

微笑みながらそう続けた。

突然現れて、急に自分を必要だと言い始め、さらには人生観を語って人に押し付け、何なのだとスノーは腹に立った。

 だがしかし。裏腹に、この時スノーには無視することのできない、ワクワクするような、温かい不思議な感覚が沸き上がった。

 スノーの人生において今まで身の回りの人たちはそんな事を言ってはくれなかった。

スノーはただ存在していただけで認めてくれる人たちばかりだった。カンパニュラの人たちは甘えさせてくれた。

それでいて自分は外に広がる世界を怖がって殻に閉じこもる。そして干渉的に惨めな自分に浸る。

そしてまた周りの人に甘える。

 スノーは思考でそう理解できずとも十代の子供なりに、感覚でそれを恐怖だと理解することができた。

「けど私には、ここから出ていく力なんて無いし、そもそも行く宛なんてありません。どうすればいいって言うの?」

 悔しさを伴う声として出たのは切望だった。

 そんなスノーに対しアセナはあっけらかんと、そして立ちあがるとスノーの前に膝をついた。

「だからあなたを迎えに私が来たんですよ?」

 そういってアセナは手を差し伸べる。

「私はあなたに沢山のものを与えられます、けれどもその中には苦しみや痛み、そして悲しみがありますが、いいですよね」

 最後にアセナは申し訳無さそうに言い放つ。

 そんなアセナの手を取りスノーは立ち上がる。

「わかった。ちょっとだけ頑張るよ」

 とスノーはアセナに今日始めての笑顔を見せる。

 すでに少女の心には決意が生まれていた、この施設への後ろめたさは少なからず有る、だが今はこれからへの、誰かの為に生きるという希望が大きく光っていた。

 「そうと決まれば」とアセナは立ち上がりつぶやいた。

 その時、スノーには廊下を何者かが走る音が聞こえた気がした。 

 「私の後ろに」

 静かに立ち上がったアセナは自分の背に隠れることを促す。

スノーの心拍はまたも上昇を始めた。アセナのコート端を握る手は固くなり、瞳孔は自然と開いていく。

 そして扉はゆっくりと開き始めた。

 「死ね」

 刹那、扉の隙間から白銀の剣がアセナの喉元へと素早く延びる。

 アセナはそれをどこからか抜いた短刀でいなすと、そこから両者の鍔迫り合いになった。

「まだまだ、甘いですね」

 その相手はアセナを見て瞠目する。

「アセナ?」

 スノーも見たことのないヘリアスの姿がそこにはあった。

見たこともないほど鋭い瞳に、肩が上下している。剣を握る腕は仕事着の上から滑らかな曲線を描く白い鎧が装着されているのがわかり、部屋の明かりを明るく反射している。

「ヘリアス? ……なに、それ」

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