首吊り事前準備
宮野花
第1話
用意するものは紐。けれど漫画に出てくる細いしめ縄のような茶色いのは見つからなかったので、資源ゴミを出す時に新聞を括る白い細い紐を使うことにした。
これだと途中で切れてしまうのではないかと頼りなさを感じて、重ねて使うことにする。切った3本を三つ編みにする。それを三つ作ってさらに三つ編み。
本当はもっと賢いやり方や頼りになる頑丈な紐もあるのだろうけど、残念ながら僕の頭にはそれ以上の策も紐を探す気力もなかった。
輪っかを作らなければならない。その輪っかに重さがかかるとぎゅっと縮むような輪っか。しかも解けない輪っか。
私は紐の先に小さな輪を作る。その輪にもう片先を通す。すると調整可能な輪っかができた。小さな輪の結び目を出来るだけ頑丈に、解けないように固結びをする。結び目に歪な団子ができて、解けないか確認する。大丈夫そうだ。
ああつぎだ。この紐を吊るして垂らすところの確保。きっと使った時に僕は暴れてしまうので、変なところに吊るすとその際紐が落ちてしまうだろう。
家には丁度いい柱などないので、その柱を物干し竿で作ることにした。
家には雨の日の室内干しのために物干し竿がある。金属製の伸び縮みするヤツ。それを伸ばして、いつもの室内干しの時と同じくかける。
ううん、少し高さが低い。家はそんなに天井が高くないから仕方ないのだけれど低い。
そうなると少し紐の長さを調整して、短くしなければ。うん。これでいいだろう。
輪っかの部分を軽く引く。大丈夫そうだ。紐より物干し竿の方に不安がある。使用中に落ちてしまわないかと少し考えたけれど、大丈夫だと思いたい。使った時に私が暴れても掛けている敷居の上をゴロゴロ転がるくらいで、落ちることは無いはず。それくらいなら目的は果たせるだろう。この方法しかこの紐を垂らすことが今のところ出来ないので、信じるしかない。
最後に椅子だ。軽いものがいい。蹴って倒さなければいけないから。それにはピッタリのものがある。
折りたたみ式の丸椅子。足の部分がスチールなのでとても軽い。
大事な場面で使う道具というのに安っぽいけれどこの際贅沢は言えない。いそいそと私はその椅子を組み立ててセットした。よし、これで。
僕は椅子に乗る。背が高いそれに立ってしまうと紐の輪っかとすれ違ってしまうので、紐に高さを併せて正座する。
首に輪っかを通す。白い三つ編みの紐。少しだけ手が震えている。
何かが胸からこみ上げてくるのを感じて、それが溢れる前に僕は正座の膝を大きく曲げようと力を込めた。ここまで来て恐怖なんていらない。そして。
死ぬ、はずだった。
聞きなれた音楽が耳にはいる。床から聞こえる。僕の好きな音楽。いや、正しくは好きだった、だ。今となってはなんとも思っていない音楽。でも、やはりこの曲のBメロの歌詞はとても素敵だ。
これは携帯の着信音だ。僕は、何故か椅子から降りて。無視をすればいいのに手は床に放った携帯に手が伸びる。
そして暫く見ていなかった名前。最近あまり会っていないが友人の名前だった。いや、最近プライベートでは友人どころか誰とも会っていなかったか。
止めればいいのに、無視すればいいのに僕の手は通話ボタンを押す。だから、止めとけって。
「もしもし。」
携帯越しに、友人の声が聞こえた。
どうした?なんとなく?そう言えば最近話してなかったな。
耳に流れ込んでくる声を、僕は右から左に聞き流す。さっさとこの電話を終わらせなければいけない。簡単だ。切ってしまえばいい。そうだ、早くきれ。
最近?僕はまぁ、相変わらずだよ。あぁ……わかる。仕事辛いよな、俺もだよ。うん……へぇ、その上司理不尽だな。
友人は特に用もないけど僕になんとなく電話したらしい。ダメだ。こういう意味の無い電話はきりどころが大事だ。なんでもいい。ちょっと誰来た、でも。今忙しくて、でもなんでもいいから、切らなければ。でなければ僕は。
あぁ……、あぁ……。でもさ、そんな落ち込むなよ。
「その失敗だってさ、お前がした失敗だったとしても、原因はお前じゃないだろ。」
やめろ。
「上司だって理不尽だしさ、何が悪かったって、タイミングだよな。それと運。」
やめてくれ。
「もっと上手くやれたって………、でもその時のお前にとってはそれがベストだったんだろ?」
もう、早く電話を切らなければ。
「……うん。うん、うん。わかる。居づらいよな。特にその空気、すげぇ嫌だよな。皆なんかちょっとよそよそしくてさ。よくドラマとかマンガとかで、そういう時背中優しく叩いてくれる先輩とかいるじゃん?あれ実際必ずいるとかじゃないし。結局さ、嫌なまま自分で何とかしなきゃいけなくて……。え?僕だってあるよ。そんなことしょっちゅう。はは、わかるわかる。死にたくなるんだよな。」
そうだ。もう死にたいんだ。全部投げ出したい。全部やめてしまいたい。
「……でもさ、生きてくれよ。僕お前がいなくなるの、すげぇ悲しいから。」
……なんで。
なんで、そんなこと言うんだよ。
なんで、そんな言葉持ってるんだよ。
僕の中に、そんな言葉なかっただろ。
だからもう死ぬんだろ?
なんでこの瞬間に、こんな。こんな、電話。
「……何、泣いてるんだよ。」
電話越しに友人の明るい声が聞こえる。鼻声で、泣いている声。
でも泣きたいのはこっちだった。いや、既に泣いていた。
その後の会話は、あまり覚えていない。もう友人の声は言葉として聞こえなくて、適当にまた今度を伝えて切ったような気がする。
僕は上を見る。紐が垂れ下がってる。その下で椅子が待ち構えている。
その椅子を、手で撫でた。頭を抱えた。ダメだ。死ねなくなってしまった。
どうしてあんな電話をしてしまったのだろう。適当にきればよかったのに。適当に返事をして、終わらせればよかったのに。
悲しくて仕方なくて、けれどどこか安心もしてて。
紐も椅子も携帯も全てそのままにして、冷たい布団に潜った。布が肌にあたって、それが妙に柔らかくてまた僕は泣いてしまう。
目が覚めたら朝が来てしまう。それはとても恐ろしいことだと思っていた。
それなのに今は、昨日よりも朝が怖くない。
こうしている間に時計は時を刻み、明日という悪夢は迫り来ているというのに。
睡魔が、襲ってくる。とても心地よい。
微睡みの中思うのは、明日きっと全て片すこととなる事前準備の道具。
もうきっと、使わないだろう。
「……用意、するものは。紙と、ペン。あと、封筒と……。」
明日必要なものを口に出して確認する。あと筆ペンも必要だろうか。辞表を書くのは初めてなので書き方を調べなければ。
必要なのは紐ではなかった。椅子もいらない。物干し竿もいらない。
ただ僕がもう少し僕に優しくして。
明日を迎える準備をすれば良かっただけ。
もし貴方がどうしても辛いのなら
逃げていい
投げ出していい
助けてって言っていい
明日をどう楽に生きるかを一度考えてみて
首吊り事前準備 宮野花 @miyanohana
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