第15話 懐事情
そうして話している間に、家具を販売している店にたどり着いた。そのまま中に入ってしまえばよかったのかもしれないけど、できなかった。
「あら、クラリス様ではありませんか」
見知った、というほどではないが、知っている人に話しかけられたからだ。
声のしたほうを見れば、上品なドレスに身を包んだ女性が三人。年の頃は、私と同じくらいだろう。話したことはほとんどない。
それなのに何故知っているのかというと、アニエスと一緒にいるのを何度か見かけたことがあるからだ。
「クラリス様の不幸をお聞きして、私たち心配していましたの」
くすり、と微笑みながら言うのは、伯爵家の息女アイリーン。
「ええ、でも……いずれはこうなると思っていましたから……早いうちでよかったのかもしれませんね?」
そう言って小首を傾げるのは子爵家の息女バーバラ。
「あのような方がお側にいたら、気が休まらなかったのではありませんか?」
興味深そうに言うのは、侯爵家の息女カミラ。
それぞれ家格は違うが、生家が同じ事業に携わっている。その縁で、よく三人で行動していて――アニエスはそこに声をかけにいっていたりした。
「それで、そちらの方は……」
ちらりとアイリーンさんの目がノエルに向く。頭からつま先までを一瞬で見て、品定めを終えたのだろう。同情に満ちた眼差しが私に向けられた。
「アニエス様から傷心中だとお聞きしていたのですが、確かにその通りのようですね」
「どういう意味でしょうか?」
「……だって、ねえ? もしもお困りでしたら、いつでもおっしゃってくださいね」
カミラさんがちらりと、私たちが入ろうとしていた――安価な家具を取り扱う店を見る。
「伯爵夫人になるはずだった身では、とうてい耐えられないこともあるでしょうし」
付け加えられた言葉には、貴族階級から転落するであろう私に対する嘲りがこめられている。
魔術師は、役職ではあるが称号ではない。だからノエルと結婚すれば当然、身分としては平民になる。
だが、それでもいいとノエルを選んだのは私だ。傷心による乱心とかではなく、彼を好ましいと思って、求婚した。
それにとやかく言われる筋合いはない。
「あなたには親切な友人が多いようで、妬ましくなりますね」
一言物申そうと意気込んでいた私だが、ノエルが話しはじめたことで勢いが一気に削がれた。
いやだって、そこは普通、嬉しい、とかではないのだろうか、と思ってしまったから。
「ご親切にありがとうございます。僕の趣味に彼女を付き合わせてしまったので、いらない心配をかけてしまいましたね。ご安心ください。彼女には、それ相応にふさわしいものを用意するつもりなので――そう、彼女の妹にもお伝えください」
淡々と、にこりともせずに、見下ろすように言われたせいか、三人の顔が若干引きつっている。
箱入りで育てられた貴族令嬢からしてみたら、ノエルは未知の生き物だろう。だって彼女たちは、笑顔の奥に本心を隠すことを教え込まれている。
笑顔のまま牽制したり攻撃したり褒め合ったり。本心を曝け出すのは、親しい者の前でだけ。それが、貴族のあり方だ。
「え、ええ、それなら、そうですわね」
そして民からも、本心はどうあれ好意的な態度を向けられる。ノエルのような、表情も声色も変えず話しかけてくる相手は初めてなのだろう。
「少々気になっただけですので……心配いらないのでしたら、それに越したことはありませんね」
そう言うと、三人はそれぞれ別れの言葉を口にして、去っていく。
気を悪くしていないだろうかとノエルをうかがい見るが、去っていく背中を見送る目にはなんの感情も見られない。
私を見る目も似たようなものなので、彼の顔色を読むのは一生無理かもしれない。
見ていることに気づいたのか、ノエルの顔がこちらを向く。
相変わらずの顔をじっと見つめていると、小さく首を傾げられた。
「どうかしましたか?」
わずかな動作と言動。それ以外は何も変わらない。彼女たちの言葉に不快感を抱いたのかどうかすらわからない。
削がれたはずの感情が、ぶり返してくる。
「ノエルは……あのように言われて気にならないのですか?」
「あのような?」
「お門違いの同情についてです」
私はそれなりに苛立った。もしもまた同じことがあったら、一言ぐらいは言い返すと思う。だけどノエルが何も思っていないのなら、言い返す時は私の感情だけに終始すべきだろう。
言葉を選ぶためにも、ノエルが何を嫌って、何を不快に思うのか、彼の口からしっかりと聞いておきたい。
「……まあ、薄給なのは事実ですから」
「そういうところではなく……って薄給? 魔術師なのに、ですか?」
ノエルの口から出てきた予想外の回答に、思わず目を瞬かせる。
魔術師は研究費を国から貰えるが、割り当てられる予算は決まっている。その枠を超えたら自腹になるので高級取りとは言えないけど、薄給だと言うほどではないはず。
「依頼を受けて派遣されれば特別手当が出ますが、僕はあまり塔を出ないので……ジルに比べると薄給ですよ」
それは比べる対象がおかしいと思う。
ジルは緊急性の高い依頼――危険度の高い依頼を受ける。だから特別手当も他の人と比べると多い。
ただ、依頼と関係ないところで呪ったりの賠償金の一部をジルも払っているから、手元にはあまり残っていないと思うけど。
「ですが、たまには依頼を受けるのもいいかもしれませんね。あなたに不便な思いをさせたくはありませんし」
「……いえ、私は……その心遣いだけでじゅうぶんです」
膨れていた怒りが一気にしぼんでいく。
依頼を受けて派遣された先で待っているのは――兵士では対処しきれない魔物だ。当然そこには危険がつきものなわけで。
「私のためにと無理をさせたくはありません」
「無理な依頼は受けませんよ」
「ですが、怪我をするかもしれないでしょう? 私は、傷ついたノエルを見たくはありません」
傷を負っても、彼の顔色は変わらない気がする。眉ひとつひそめずに血を流す姿を想像して、胸が苦しくなる。
「そうですか……ところで、どうしてそんなことを聞いてきたんですか?」
「それは……ノエルが何をされたら嫌なのかを知りたくて……」
口にしてみると、もっと違う聞き方があったのでは、と思ってしまう。
最初から、何が嫌いかを聞いておけばよかった。それなら、彼の中に依頼を受けるという選択肢は生まれなかったはずだ。
「僕が嫌なこと、ですか。そうですね……僕の大切な人を貶められれば、さすがに怒りますよ」
「……怒るんですか?」
聞いておきながら、怒ったノエルが想像できなくて聞き返してしまう。
「はい。誰でも、自分の大切なものを馬鹿にされたら怒るものでしょう?」
「それは、そうですけど」
「だから僕は今、嬉しく思っているんですよ」
話に脈略がなくて、首を傾げる。
今の会話の流れのどこに、嬉しく思うところがあったのだろう。
「僕が馬鹿にされたと思って怒っていたんですよね? 少しは大切に思ってくれているのだとわかって、嬉しくなりました」
風で靡いた銀髪を、ノエルの手が撫でるように整える。
その柔らかな手つきに、ここで笑顔のひとつでも向けられたら、きっと胸が高鳴るのだろうと思ってしまう。
だけど見下ろすノエルの顔はあいかわらずで、眉ひとつ動いていない。高鳴る要素は見つからない。
それなのに何故か、少しだけ、鼓動が早くなった。
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