第13話 兄弟子と弟弟子

 私が真剣な顔で「恋愛相談」という結論を出している間、自由人なジルは空中でリボンを巻いたり解いたりして遊んでいた。

 そしてノエルが少しだけ首を傾げ、「恋愛相談、ですか?」と言っている時も、リボンが蛇のように空中でうねっている。


「はい。百戦錬磨かもしれない師匠に相談に乗ってもらっていました」


 自称なうえに確証もない百戦錬磨だけど。


「……どうしてまた、そんな相談を?」

「ノエルに何かお返しできないかと思いまして」

「僕に?」

「はい。ノエルに」


 どうにも要領を得ない。いつものノエルなら、こんな風に質問を重ねたりはしない。

 何かしら結論付けて、そのうえで残った疑問を投げかけてくることはあっても、わかりきった質問をすることはなかった。


「……僕にお返し、ですか。それでしたらジルではなく僕に聞いたほうがいいと思いますよ」

「それは、そうなんですけど……」


 当事者に聞くのが一番確実なのは、私にもわかっている。だけど、何かが違うと思ってしまう。

 聞いて、指定されたものを用意するのは、何かが違う。なんというかこう、説明できないけど、違うんだ。


「それを言うのは野暮というものだよ。結果のわかっているものは楽しくないだろう? 喜んでもらえるか、もらえないか。そうして悩むのを楽しむ者もいたりするんだよ。私の可愛い弟子が恋愛に対してどういう姿勢なのかを私は知らないけどね」


 悩むのを楽しんでいるわけではないけど。

 そもそも、お返しできないことを心苦しく思っていただけで、何をあげたら喜んでくれるんだろうドキドキ、みたいな甘酸っぱいものではなかったような。


「まあ、話はわかりました。それでしたら、ジルをフロランのところに連れて行くのを手伝ってもらえたら助かります」


 しかもお返しとして要求されたのが、ものすごく実務的なものだったのだから、どういう顔をすればいいのかわからなくなる。

 いやでも、ノエルだけではジルを連行するのは荷が重いというのなら、手伝うのもやぶさかでない。


「わかりました。……それではジル。いい加減観念してフロラン様のところに行きましょう」


 ジルの膝から降りて、リボンを宙に浮かせるために動かしていた手を掴む。ちなみに、この手を動かすことに意味はない。ただの気分、演出だ。

 最初の頃の魔術師が、何をしているのかよくわからん、本当に何かしているのか、詐欺なのでは、という苦情を受けてから、魔術師は演出を大切にするようになった。


「これはまいったね。私の可愛い弟子は、師匠を逃がしてくれはしないのかい?」

「自業自得ですので」


 フロラン様がジルを呼んでいるのは、ジルの被害報告を目の当たりにさせて、大変さを身にしみさせるためだ。

 被害報告の大半がジルの気まぐれによるものなので、同情の余地はない。


「師匠のためを語るなら、ジルも師匠のためになる行動をしてください」


 淡々とした声に、ジルはまた「まいったね」とぼやいた。

 ならしかたない、と腰を上げる気配はない。だけど私はそんなジルの態度を注意するよりも、聞き捨てならない言葉に目を丸くさせて、ノエルを見ていた。


「師匠?」

「はい。魔術師と認められるまでの半月だけですが」


 魔術師と認められるには、功績と、師匠がいる。

 功績は国に認められるため。

 師匠は他の魔術師に認められるため。


 魔術師の道理を知らないぽっと出が、と排斥されないように、期間は様々だが魔術師を志す者は師匠を得る。


 だから当然、魔術師の塔で魔術師と認められているジルにも師匠がいるはずで。


「じゃあつまり、フロラン様はジルの師匠で……ノエルは――」

「一応、私の弟弟子ということになるね」


 ノエルがジルの弟弟子。思いもよらなかった関係に、顔がひきつりそうになる。


「時期が被っていたわけではありませんし、功績を得たあとに形式上師弟の関係を結んだだけですので、あなたとアンリ殿下のような関係ではありませんよ」


 ノエルが注釈を入れるかのように言う。

 そういえばさっき、半月だけだと言っていた。フロランの弟子だったという衝撃で頭から飛びかけていたけど、たしかに聞いた。


「僕とジルは共に研磨し向上しあう関係ではありません。兄弟子と思ったこともありません」

「私の弟弟子は手厳しいね。私はちゃんと、フロランが弟子にした者を弟弟子だと思っているのに……困ったことに、誰も残っていないけど。そこの弟弟子以外は」


 そしてその弟弟子たちがやめる要因のほとんどは、ジルによるものだ。

 フロラン様の教える魔術は地味で、業務内容は事務。しかも苦情を聞くこともある。

 魔術師というものに憧れを抱いていた人は夢を砕かれ、なんとなく魔力があるから魔術師を目指してみようかと志願した人は、その忙しさに割りに合っていないとやめていく。


「それはともかく、師匠のためを語るのなら、まずはジルが手本となってみてはどうですか?」

「世の中にはね、反面教師という言葉があるんだよ」


 ノエルの淡々とした言葉を、のらりくらりと交わすジル。

 ちなみにそんなやり取りの間、私はジルの手をこれでもかと引っ張っているけどびくともしない。椅子に接着剤でもつけたのかと思うぐらいてこでも動かないから、どうにかして動かせないかと躍起になってしまう。


 のけぞるほどに引っ張って、全体重をかけて――ジルが動くよりも前に、手がすっぽ抜けた。

 バランスを崩した体があっけなく倒れそうになる。

 だけど床に体を打ち付けた衝撃はなく、代わりに温かいものが背中に触れた。


「あなたの可愛い弟子が困っていますよ」


 抑揚のない声が真後ろから聞こえる。少しだけ首を動かすと、ノエルの顔がすぐ近くにあった。

 支えてくれているのだと気づいたのは、一拍遅れてから。


「ありがとうございます」

「いえ。礼には及びません」


 そう言って、ノエルが私の肩に手を置く。


「愛する人を守るのが恋人の役目ですから」


 見上げる顔はいつも通りの無表情で、声にも感情はない。

 大量の書類を前に申し訳なくなっている私に「気にしないでください。これが僕の役目ですから」と言っていた時と、まったく変わらない調子。

 それなのに顔に熱が集まりそうになるのは、彼が私を慕っていたと知ったからだろうか。


「ああ、そういえば。魔術師ジル。このたび、あなたの弟子と結婚を前提とした付き合いをはじめることになりました」


 ノエルがふと、さも今思い出したかのようにジルに向けて言う。


「おや、それはめでたい報告をありがとう。私の可愛い弟子はいつ教えてくれるのかとやきもきしていたところだよ」

「知っていたじゃないですか」

「それでもね、可愛い弟子から直接聞きたいと思うものだろう?」

「それは……たしかに、配慮が足りませんでした。では改めて、我が師ジル。このたび、ノエルと結婚を前提に付き合うことになりました」


 居住まいを正し、改めて言う私にジルが満足そうに頷く。

 そして何か考えるように、顎に指をそえ、小さく首を傾げた。


「祝いの品は何がいいかな? 魔物の首とかはどうだい? 家に飾れば、来客を驚かせること間違いなしだ。それではさっそく、綺麗な毛色をしているものを捕まえて来るとしよう」


 一人で喋って、一人で結論付けて、立ち上がろうとするジルに制止の声をかけたのはノエルだった。


「それについては、フロランと話し合っていただけると助かります。フロランも何かしら結婚式に関わりたいと思っているそうで、贈り物が被るのはあなたもフロランも望んでいないでしょう」


 間違いなく、魔物の首は被らない。そんなものを贈り物にしようとするのはジルぐらいだ。

 だけどノエルの口上に、ジルは「それもそうだね」と頷いて、立ち上がった。


 あれほど行きたがらなかったフロラン様の研究室に向かうために。

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