第12話 我が師


 気が遠くなる、というのはこういうことを言うのかもしれない。

 ジルの娯楽室で、机に肘をつきながら顔を手で覆う。脳裏に浮かぶのは、昨日見た光景。


 馬車に乗って塔に向かっていると、家が見えた。一昨日までは何もなかった場所に。

 しかも、塔から五分もしない距離に。


「おや、私の可愛い弟子はどうしたのかな?」


 なんであんなところに、と遠のきかけていた意識が戻る。ジルののんびりした声に、覆っていた顔をそちらに向けると、金色の瞳と視線がかち合う。

 面白がっているのが一瞬でわかった。何しろ、顔がにやにやと歪んでいる。


「わかって言ってますよね」

「さあ、どうかな。だって私は可愛い弟子から何も言われていないからね。ああ、悲しいな。私には何も言ってくれないなんて」


 悲劇を演じる役者のように、床に膝をつき目尻に指を這わせるジル。

 この人がわかっていないはずがない。ジルはほとんどの時間を塔で過ごしている。必要ないからと家を持たないぐらい、ここに入り浸っている。

 そんな人が、徒歩五分の距離に家が建って気づいていないはずがない。なんなら、手を貸したまである。


「我が師ジル。このたび、魔術師フロランの弟子である魔術師ノエルと、結婚を前提としたお付き合いをはじめることになりました」

「それはとてもおめでたい話だね。結婚祝いは何がいいかな。ああそうだ、君たちの子供のために家を増やしておこうか」

「部屋を増やすノリで家を増やさないでください。……そしてやはり、ジルも力を貸したんですね」


 家は一日で建たない。そんな無理を通せるのは、魔術師しかいない。

 だけど魔術師一人が家を建てられるほど、家というものは容易くない。土地の購入に材料の調達、そして設計と組み立て。

 大雑把に見てもこれだけの工程が必要になる。細分化すればさらに多岐に渡るこれらを一人で成し遂げられるほど、魔術師は器用ではない。まず、土地の購入の段階でつまずく人が多い。

 ノエルの器用さがどこまでかは知らないけど、さすがに一人では無理だと思う。


「私が? いやまさか。彼の名誉のために言うと、彼はある程度まで自らの手で進めていたよ。何しろ記念すべき新居なのだからね。満足のいく出来を目指すためには、余計な横槍はないほうがいい。だから私はちょっとばかし手を貸しただけだよ」

「貸しているじゃないですか」

「このあたりの土地はさほど高くないと話しただけさ。塔の周囲は何が起きるかわからないからね。ほら、ひと月前にも爆発が起きたばかりだろう? まあ起こしたのは私だけど。そういうことがよくあるから、このあたりの土地を持っている人は何かを建てるわけにもいかないし、売りたくてしかたないと思っている。そう話したのと、あとは魔力を少し貸しただけだよ」

「貸しているじゃないですか」

 煙に巻くように長々と喋っているが、最終的に貸した話になっているので意味がない。

 隠す気がまったくないのか、隠し事が下手なだけなのかわからない師匠をじっとりと見つめる。


「おや、そんな熱い視線を向けられると照れてしまうね。私の可愛い弟子は今日も私に夢中なようで、君の恋人に申し訳なくなるよ」

「ええ、そうですね。私は今日も師匠に夢中ですよ。どうしたらフロラン様のところに行ってくれるのか、考え続けているぐらいには」


 結局、ジルは昨日もフロランの研究室に行かなかった。縄で縛ってでも連れて行けばよかったのかもしれないけど、私は私で夜会に向けた準備があったので塔に出向くことはせず、お目付け役がアンリ殿下しかいなかったジルは当然のごとく自由に過ごしていたらしい。


「……そういえば、アンリ殿下は今日はいないんですか?」

「ああ、彼ならちょっとした後始末、と言うべきかな。確認してもらった目撃情報の話、覚えているかい? 討伐に赴いた兵が少しヘマをしてしまったようでね。一匹取り逃した魔物の追跡に出向いたよ」

「そうなんですね。そうすると……今日は私一人ですか」

「おや、そんなに眉間に皺を作ったら可愛い顔が台無しだよ」

「誰のせいですか」

「君の恋人かな? 家が気に食わなかったのだろう?」


 机に手を置き、ジルが覗き込むように私を見る。濃紺の髪が触れるほど近く、金色の瞳には私しか映っていない。

 真意を探るような眼差しに、私は深いため息を返した。


「ノエルのせいではありませんよ。間違いなく。家が気に食わない理由があるとすれば、近くだからと、ところ構わず呼び出しそうな師匠がいるからです」

「新婚夫婦の邪魔をするほど私は野暮ではないよ」

「新婚じゃなくなったらするんですね」

「倦怠期には刺激も必要だろう?」


 新婚じゃなくなったら即倦怠期とは、ジルの結婚観はどうなっているんだ。

 ジルは今のところ独身で、恋人もいない。彼の恋人になる人は大変そうだ。


「……別に、家が不満というわけではありません。あまりにも近すぎるのはどうかと思いますが……それよりも、彼が消費しただけの魔力や時間に見合うだけのお返しができていないのが、不満なんです」


 ノエルは私のためにあれこれと考えて、祝うための魔術だけでなく家まで用意した。

 だけどそれに対して、私は何も返していない。アニエスとのことも含めて、申し訳なくなてしかたなくなる。


「おや、私にそんなことを言うなんて……可愛い弟子はずいぶんとまいっているようだね。私が百戦錬磨の手練れに見えるかい?」

「見えません」

「そうだね、可愛い弟子の相談とならば乗るしかないね。百戦錬磨の手練れかもしれない私から君に、リボンをプレゼントしよう」


 すい、と棚の引き出しが開き、その中からピンク色のリボンが現れて宙に浮く。ジルの頭の天辺から床まである、とても長いリボンが。


「ほら、これを巻いて恋人のもとに行くといい。それだけで彼は満足すると思うよ」

「冗談に付き合えるほどの余裕が今はないので、他の方にお願いします」


 くるくると私の周りを泳ぐリボンを払うと、ジルが自らの顎に指を添えた。

 珍しく何かを考えているような素振りを見せるジルに、背筋が冷たくなる。


 ジルは性格がねじ曲がっているので、師匠として崇められるよりも多少ぞんざいに扱われるのを好んでいる。だけど、ぞんざいさにも許容できる範囲と許容できない範囲があるようで、許容範囲を超えると途端に不機嫌になる。

 厄介なのは、その許容範囲がジルのその日の気分で変わることだ。


 どうやら今日のジルは、本気を冗談と捉えられるのを嫌う日だったようだ。ちなみに、本気を本気と捉えられるのを嫌う日もある。


「えーと、ジル、今のは……ひゃっ」


 慌てて弁明しようと口を開くが、体が椅子から浮き、おかしな声が出た。

 一応、弟子という関係なので呪われたりはしないだろう。死ぬような目にも合わないはずだ。


 だからこそ何をされるかわからず、ジルの金色の眼を見つめる。


「ああ、悲しいね」


 すい、と浮いたままの体が宙を流れ、空いた椅子にジルが座る。そしてくるりと旋回した私の体がその上――ジルの膝の上に落ちた。


「冗談ではないよ。私の可愛い弟子。彼は君を好んでいる。こうして膝の上にでも乗って、手を伸ばし、愛の言葉でも囁けばきっと喜ぶだろう。口づけのひとつでもくれてやれば、天にも昇るのではないかな」


 ジルの指が私の銀色の髪をいじる。指先に巻きつけたり引っ張ったり、まるで猫の子を弄ぶように。

 それに対して文句のひとつも言えないのは、彼が不機嫌だとわかっているからだ。ここで余計なことを言えば、もっと機嫌を損ねるだろう。


「時間や魔力を消費しても構わないほどの価値を、彼は君に見出している。なら君も、彼に見出しただけの価値を返せばいい。それとも君は、自分自身ほどの価値が彼にはないと思っているのかな?」


 ジルはささいなことで人を呪い、長年魔術師でいならが見出した弟子はアンリ殿下だけ。

 それぐらい、彼は人のことを好んでいない。人間一人分に対する価値が低い。


 ジルにとって、私の発言は同じ魔術師に対する侮辱に等しかったのだろう。たかが人間、弟子一人分の価値もないと、捉えたのだろう。


「……違います、ジル。私が言いたいのは……私自身では彼の価値に及ばない、ということです。与えられたものに対する対価が見合っていないと言っているのです」

「価値を積むのは欲する者の役目で、君じゃない。積まれたものを勝手に取り払うのは侮辱だとは思わないかい?」

「その価値が、過ぎたるものだとしても?」

「それだけの価値があると判断したのなら、それが妥当だということだよ。その人にとってはね」


 ちゃんと会話が成立しているということは、ジルの不機嫌度はそこまで高くない。

 なら少しすればいつも通りになるはず。今日のジルは本気には本気を、冗談には冗談を返してほしい日だということはわかったが、それ以外については不明のまま。だけど、当たり障りのない会話をしていれば問題ないだろう。


 危うい会話さえ避ければ、なんとかなる。


「―――何をしているんですか?」


 綱渡りに踏み出そうとした瞬間、扉が開かれ、一拍遅れて淡々とした声が室内に響く。

 くるりとそちらを見れば、首を傾げたノエルが立っていた。水色の双眸が向けられているのは、部屋の主であるジルと私。


 何をしているのかと問われると少し困る。

 家についての話をして、ジルの行いに苦言を漏らして、ノエルの過大すぎる献身の話をした。

 つまり総括すると――


「恋愛相談です」


 そういうことになると思う。多分。

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