第11話 二人の時間

 さて、どうしましょうか、とノエルが外を見ながら呟くように言う。

 馬車にはめ込まれた窓ガラスの向こうは暗く、ぽつぽつとある街灯と月明かりが道を照らしている。

 人の通りはなく、馬車もこの時間には走っていない。夜会が終わればいくつもの馬車が行き交うとは思うけど、まだはじまったばっかりだ。


「この時間では開いている店もありませんし……家まで送りますか?」

「……それは……」


 今の時間は、屋敷には使用人しかいないだろう。アニエスが夜会にいたということは、お父様もお母様もあの場にいたはず。

 早々に部屋にこもっても、帰ってきた三人に、何があったのか、あれはどういうことかと問い詰められるだろう。

 はらはらと涙を流し、私が負ったかもしれない心の傷を心配するアニエスに、両親は何も言わないながらにどうにかならないのかと、目で訴えてくる。

 そんな光景が、容易に想像できる。


「帰りたくは、ありません」


 重々しく言うと、ノエルの視線がちらりとこちらに向く。

 真っ直ぐな眼差しに、ぴくりとも動かない表情。お付き合いを申し出た日から――いや、初めて塔で会った時からずっと、ノエルが笑ったり怒ったりしたところを見たことがない。

 発せられる言葉から、呆れているのかなと思ったことはあるけど。


「なるほど、それでは僕の家にでも来ますか?」

「え?」

「冗談です。未婚女性を連れ込んだとバレたらフロランが怒りますので、僕の家に招くのは結婚してからにしましょう」


 淡々と言ってのけるので、本当に冗談なのか、冗談を装った本気なのかわかりずらい。

 でもノエルが冗談だと言うのなら、冗談として受け止めよう。


「ノエルも冗談とか言うんですね」

「人間ですから、冗談も言いますし、嘘もつきますよ」

「それもそうですけど……ノエルは嘘なのか冗談なのか本当なのかわかりにくいですから」

「よく言われます」

「皆、思うことは同じなんですね」


 ふふ、と微笑むとノエルの頭が小さく横に傾く。そのわずかな仕草に、どうしたのだろうと目を瞬かせる。

 ノエルの心情を表情から察するのは難しく、言動や、今のようなちょっとした仕草、態度から推測するしかない。


「どうかされましたか?」

「……本日は塔に送ります。ですが、その前に少々お付き合いいただけますか?」

「もちろん付き合いますが……この時間では開いているお店がないのでは?」


 夜深くまで営業しているお店のほとんどは大衆的なお酒を扱う場所だ。

 でもノエルは開いていないと言っていたから、てっきり候補には入れていないのだと思っていた。

「店ではないので、時間は取らせません。見せたいものがあったのを思い出しました」

「見せたいもの、ですか」

「はい。詳しくはまたのちほどに」


 ガタン、と馬車の揺れがわずかに大きくなる。進路を変更したからか、あるいは手綱の動かし方を変えるために少しだけ魔力に綻びが生まれたのか。

 もしも後者であれば、綻びを直すための魔力を練り直さないといけないので、多少なりとも術者に負担がかかる。


 ノエルの顔色からはわからないけど。


「私では代われないので、もしも疲れたらいつでも休憩してくださいね」

「馬車を止めるほど、ではありませんが……肩をお借りしても?」

「え? はい、構いませんが」


 言い終わるが早いか、ノエルはさっと私の隣に移動して寄りかかってきた。

 だけどあまり重さを感じない。きっとこちらに気を遣って、なるべく体重をかけないようにしているのだろう。

 そのなんともいえない重みと肩から伝わる温もりに、隣に座るノエルの顔が見られない。


 ノエルの顔はいつも通りだと思うからこそ、余計に。



 しばらくして、馬車が止まった。ノエルの後に続いて外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。

 足元に広がるのは、絨毯のように敷き詰められた緑。開けた場所で、少し遠くに城下町の灯りがぽつぽつと見えた。

 多分、王都の近くにある丘だろう。春になれば色とりどりの花が咲き、ちょっとした遠出に利用されることが多い。

 どうしてそんなところに、と思いながらノエルを見上げる。

 

「僕ではなく、空を見ていただけますか?」


 ノエルの言葉に従い、顔をもっと上に向けると、夜空に丸い月が浮かび、いくつもの星が瞬いていた。

 そのうちのひとつが夜空を駆け、またひとつ、またひとつ、といくつもの星が空を流れていく。


 圧倒されるような光景に、言葉も忘れて見入ってしまう。


「……あなたの結婚祝いにお見せするつもりだったのですが、残念なことになってしまったので……結婚ではなく僕たちが付き合うことになったお祝いにしてみました」

「魔術、ですか?」

「はい。ああ、もちろん実際に星を落としているわけではありませんよ。空の下――視界に入る範囲に幕を広げ、そこに光を走らせているだけです」


 さらりと言ってのけているけど、視界に入る範囲だけでもだいぶ範囲が広い。

 視線を落とせば城下町が見えるし、横を見ればノエルがいる。ということは、視界に近い狭い範囲だけを覆っているのではなく、できるかぎり空に近い場所で光を走らせているということで。

 そうとうな魔力と集中力が必要なはず。それをたかが、お付き合いの記念程度で発揮するなんて。


「……これを、私のために、ですか?」

「はい。僕一人ではこの程度しかできませんが……他の魔術師の力を借りれば、国中にこの光景を見せることも可能でしょう」

「それはやめておいたほうがいいと思います」


 使い方によっては、昼を夜に、夜を昼に変えることもできる。人の営みを簡単に覆すことのできる魔術は、大々的に披露すべきではない。

 考えることすらせず即座に返すと、ノエルは「わかりました」と素直に応じた。


「……もちろん、ノエルが私のために考えてくれたのは嬉しいですし、とても綺麗で感動しました。ありがとうございます」

「気に入っていただけましたか」


 ひょいとノエルが指を振ると流れる星が消え、月の周りで星が瞬いているだけの夜に変わる。

 用事がこれだけなら、終わった以上戻るべきだろう。だけど若干の名残惜しさを感じて、ノエルの袖を小さく引く。


「馬車の操作に今の魔術も使って……お疲れでしょうから、少し休んでから戻りませんか?」

「そこまでではありませんが……そうですね。僕としてもあなたと一緒にいられる時間は多いに越したことはありませんし、少し休みましょうか」


 言って、ノエルは草の上に座ると上着を脱ぎ、自身の横に置いた。

 さあどうぞ、と手で上着を示される。そこに座れ、ということなのだろう。だけど確か、その上着には魔術師であることを示すブローチが着いていたはず。


「畏れ多くて無理です」

「では僕の膝に座りますか? 僕としてはどちらでも構いませんよ」

「私も草の上に、という選択肢はないのですか……?」


 私が普通の貴族令嬢であれば、草の上に座るなんて論外だっただろう。だけど私は魔術師の弟子を三年も続けている。

 草どころか土の上に座らざるを得ない機会なんていくらでもあった。ジルが新種の蛙を見たような気がすると言い出した日は、沼地の周りで蛙を探し続けたりもした。

 だから今さら、地面に座るぐらいなんてことはない。


「それでは恋人というよりも、友人のようだとは思いませんか?」

「……なら、上着をお借りします」


 ノエルの愛ある恋人観はわからないけど、とりあえず草の上で二人並ぶのは恋人ではないらしい。

 約束を遵守すると言った手前、大人しく引き下がる。

 ブローチを下敷きにしていないことを祈ろう。


「……そういえば、ノエルの家はどんな家なんですか?」


 二人で並び、なんてことのない空を見上げる。そこでふと、馬車の中でした話を思い出す。

 ノエルは僕の家、と言っていた。ノエルに自分の家があることは当たり前だけど、どんな私生活を送っているのかまったく想像できない。

 本を読むのが好きだと言っていたから、本棚ぐらいはあるだろう。だけどそれ以外は――

 机と椅子は、さすがにあると思う。食器や調理器具はどうだろうか。料理をするのかどうか、私は知らない。


 私のことを慕っていたということも、魔術師であることも、私の結婚式のために魔術を用意していたことも、私は知らなかった。


 結婚を前提とした契約がこれからも撤回されないのなら、ノエルのことをより深く知っておくべきだろう。

 ノエルの言う、愛ある恋人を演じるのならなおさら。


「新しく建てたばかりなので、面白味も何もない家ですよ」


 あれこれと考えを巡らしていると、いつものように淡々と、なんてことのないように言われた。


「ああ、なるほど。新しく……え? 新しく、ですか?」

「はい。僕は元々フロランと暮らしていたのですが、結婚するのなら別の家が必要だと思い、建てました」

「えっと、お付き合いを申し込んだのって、昨日、でしたよね? あ、それとも、別の方と結婚する予定が前にもあった、とか、ですか?」


 それならまあ、話の辻褄が合う。

 前から慕っていたとは言ったが、それからずっととは言っていない。

 諦めていたとアニエスに話していたから、別の人に心が向いて、結婚を誓い、家を用意したけどご破算になったとかなら、時系列も合う。


「あなた以外と結婚の約束をしたことはありませんよ」

「……なら、いつ建てたんですか」

「今朝です」


 なるほど。こちらがあれこれとドレスを選んでいる間に、ノエルはあれこれと家を選んでいたわけか。

 規模が違いすぎるうえに結婚に向けた準備が迅速すぎる。

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