第9話 夜会
そして翌日、私は夜会に参加するためのドレスを選んでいた。
「お姉様にはこちらなんてどうかしら」
いや正確には、選ばれていた。
アニエスが選んだドレスを私に差し出してくる。私のドレスはもう何年も前から、アニエスが選んでいる。私が選ぶと、アニエスが「私もそっちがよかった」と言い出すのでいつからかそうなった。
アニエスが選んだのは、落ち着いたデザインのもの。そして彼女の手には華やかで可憐なドレスがかけられている。そちらが、アニエス用のものなのだろう。その差にため息が出そうになる。
私に可憐なドレスが似合わないことは、わかってる。だから両親も、アニエスの選んだものを身に着ければ問題ないと思っているわけで。
だけど私だって、たまには可愛いものを身につけたくなる。
「それにアクセサリーはこれで……お姉様ったら今日も綺麗」
ドレスと同じく、落ち着いた慎ましいネックレスを侍女が私の首にかけ、その出来を見てアニエスがふふ、と微笑む。
傍からは仲のいい姉妹にしか見えないだろう。 アニエスが自らの主張を通そうとするのは、家族や私の前でだけ。それ以外では、私を立てることを忘れない。
だからこそ、慎ましい淑女として知られているわけで。
「そういえば、お姉様。今日のパートナーはどうするの?」
微笑みながら聞いてくるアニエスに、意味ありげな笑みを返す。
「もちろん、いるわよ。これからその人のところに行くわ」
相手が誰かという追及がされる前に、選んだドレスを手に衣装部屋を出る。
これを着せてもらったら、さっさとノエルのところに行こう。
「そういえば、期間を決めていなかったわね」
結婚を前提としたお付き合いをはじめたけど、お付き合いをどのぐらい続けるかを話し合っていなかった。
ノエルは何ヶ月ほどで結婚することを望んでいるのか、そのあたりも詰めていかなくては。
――ということで、ノエルに会って開口一番、聞いてみた。
「結婚に至るまでの年月ですか……。希望とあらば明日でも構いませんが」
「さすがにそれは準備が追いつきません」
「なるほど。式もお望みだということですね。……となると、衣装の作成や会場の準備……一週間ほどでしょうか」
「早すぎませんか!?」
一週間で何を準備できるというのか。
いや、寝ず食わずならばできるかもしれないけど、過酷すぎる。
「せめて、半月……いえ、一ヶ月はいただきませんと、針子や使用人が倒れます」
布選びにデザイン選び。それから衣装に合わせた装飾品を選んだり。
花嫁衣裳だけでも様々な手順を踏む。それを他の作業も進めながら一週間となると、使用人を使い捨てないと追いつかない。
「……そういうものですか。針子が作ったドレスがお望みということでしたら、しかたありませんね。それでは時期に関しては一任します」
「え、ええ。……いえ、針子でなければどなたの手を借りるつもりだったのですか?」
「僕が仕事を頼める相手は魔術師しかいませんよ」
しれっと言っているが、一介の貴族の結婚式に魔術師の手を使わないでほしい。
たしかに彼らの手を借りれば一週間で準備できるかもしれないけど、面白がって変な工夫を凝らすに決まっている。
とくにジルが首を突っこんできたら最悪だ。ケーキから魔物が飛び出ても不思議じゃない。
「人選と準備は私に任せてください。ノエルは大船に乗ったつもりでお待ちいただければ」
「何を危惧しているのかはわかりませんが……弟子の結婚式に首を突っこまない師匠はいませんよ」
「何を危惧しているかわかってますよね、それ」
力なく苦笑して言うと、ノエルが小さく肩をすくめた。
馬車が止まり、ノエルの手を借りて王城の前に降り立つ。厳かな扉は平時では閉じられているけど、今日は客人を迎えるため開かれていて、儀礼用の鎧を着た騎士が二人、左右に立って守護している。
出迎えてくれた執事に名前を告げて、扉をくぐる。
そうしてたどり着いた王城のホールは、夜とは思えないほど眩かった。
光を灯す魔術が刻まれた魔道具が天井から吊るされ、煌めくような光を降り注いでいる。その下で、一瞬だけ沈黙が起きる。そして一拍置いて、ざわめきが。
彼らの視線はたった今入場してきたばかりの私たちに注がれている。正確に言えば、私ではなく、ノエルに。
普段は動きやすい服装のノエルだけど、王城の夜会に参加するからか仕立のよい紳士服を着ている。そしてその胸には、魔術師であることを示すリンゴに絡まる蛇の紋章が刻まれたブローチ。
普段は着けていないそれを身に着けているのは、魔術師としてあまり知られていないからだと思う。ジルなどの表立って動く魔術師は広く顔を知られているので、ブローチがなくてもなんとかなる。
だけど、ノエルはあまり知られていない。フロラン様のもとで苦情係をしているので弟子として知っている人はいるけど、魔術師としてはほとんど無名のはず。
だから自身が魔術師であると主張するために持ってきたのだと、門をくぐる前に言っていた。
ポケットから出したブローチを胸に着けながら。
「……これはめでたい。魔術師殿が足を運んでくださるとは」
恰幅のよい男性が声を上げてノエルを歓迎する。
辺境の地を守護する侯爵の弟で、文官として兄を支えている人だ。塔に依頼する可能性が高い人だからこそ、まず真っ先に歓迎の意を表したのだろう。
「たまには顔を見せるのもわるくないかと思いまして」
「いやはや、魔術師殿がいらっしゃるとわかっていたのなら何かしら用意していたのですが、残念なことに今日は手持ちがなく――」
これでもかと歓迎し続ける男性から視線を外す。
あまりにも強い、睨みつけてくるような眼差しを感じたからだ。
どこから、という答えはすぐにわかった。案の定とでも言えばいいのか、これでもかとこちらを睨みつけているアニエスを見つけた。
しかめられた顔では、誰もが絶賛する美貌も、淑女らしさもだいなしだ。
アニエスが普段では絶対しない形相に、その隣にいるクロードがおろおろと視線をさまよわせている。
「――それで、本日は恋人と一緒に来たのですが、紹介しても構いませんか?」
「ええ、それはもちろん!」
「クラリス。こちらに」
横から腰を抱かれ、顔をノエルと侯爵の弟に戻す。
愛ある恋人同士とでもいうような、柔らかな笑みを浮かべて。
「ご存じかと思いますが、ミュラトール伯のご息女であるクラリスです」
「もちろん、お噂はかねがね。いやあ、噂通りの美貌の方で」
まるで初対面かのような口振りだが、社交の場で顔を合わせたこともあれば挨拶をしたこともある。
まあ、彼の視線はアニエスに釘付けで、私的な会話をしたことはないけど。
「ちょっと、お姉様」
カツカツカツカツ、と荒ぶる気持ちを隠す気がないのか、踵を鳴らしてアニエスが近づいてきた。
「恋人、とか聞こえたのだけど、まさか……冗談よね?」
「冗談で恋人なんて作らないわ」
すまして返すと、アニエスの顔が強張った。だけどそれは一瞬で、悲しげに眉尻が下がる。
「魔術師様。何か勘違いされているとか……そういうことはありませんか? お姉様は傷心中の身でして、きっと思ってもいないことを口にされたのではないかと……。ああ、お姉様、本当にごめんなさい。私、そこまでお姉様のことを傷つけていたのね」
じわりと翡翠色の瞳に涙が浮かぶ。その哀れな姿に、侯爵の弟が胸打たれたようによろめいた。
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