第3話 夢喰いとの遭遇
「はぁぁ……」
…こうして最っっ悪な相手と、共同任務を任された______いや、まだそれは置いといて_____俺は今絶体絶命のピンチにさらされていた。
「忘れて、た…っっ」
忘れてた_____任務地が沖合だってこと。
当然、そこまで船で移動する必要があるということを。
いやいや、それまではまだいいんだ。
だが……。
…だが、よりにもよって。
「なんで、手漕ぎなんですか凪さぁぁぁぁんっ!?」
俺は必死にオールで漕ぎながら叫んだ。
当然その叫びが彼に届くことはない。
だけど_____だけど、叫ばずいられるかぁっ!
用意されたのは小さなボート一台のみ。
しかも、沖合はかなり波が荒いことで有名なのだ。
小さな頃から様々な“教養”を身につけてきた俺だったが、流石にボートの漕ぎ方は教わらなかった。
……っていうかオールの正しい持ち方すら分からねぇ。
……知らねぇだろ、ボートの漕ぎ方なんて普通……!
「…右」
シオンがぽつり、と呟いた。
無感情な声だったが、それは確かにオールを漕ぐ方向の指示だった。
普段だったらシオンの指示なんて、絶対に素直に従うわけない…けど、そんなこと考えてる場合じゃねえだろ、俺!
少なくとも、シオンは俺よりかはボート慣れしているように見える。
しかも冷静(?)だから、今の俺よりかは状況判断できているのだろう。
俺は右のオールを必死にかき回す。
多少だが、水を掻く感覚は手に伝わった。
……一応、漕げてるのか?
ボートの進路が微かに変わる。
その直後、波の底から一瞬だけ岩礁の頭が覗いた。
それが有する、無慈悲な鋭さ。
…これ…当たってたら、座礁してたんじゃ…?
血の気が引くのがわかる。
それを見たシオンは、そっとオールを握る手に力を込めた。
彼の低い呟きがもう一度聞こえる。
「…揺れる」
そう彼が言った瞬間、ボートが激しく揺れた。
身体が一瞬浮き上がり、船底に叩きつけられる。
「うわわわわわわわっ!?」
俺は船のへりに必死にしがみつく。
頭が激しく揺さぶられた。
ゴオオオオオ______
不気味な音と色をした波が、船を玩具のように弄ぶ。
小さなボートは、軽々と波間を飛んだ。
俺は、何故凪さんがこんな小さなボートを選んだのかを悟る…否、悟ってしまう。
もっと大きな船だったら、確実にひっくり返るだろうからな、これ…!
強すぎる波に揉まれ、胃の中がかき混ぜられるような錯覚に陥る。
その感覚は、あまりに俗的で___あまりに最悪なものだった。
…そう、それは……船酔い。
やばい、しかも結構吐きそうなとこまで来てるぞ!?
「こんなこと、聞いてないですよおおおおおお…!?」
俺は、思わず凪さんを恨んだ。
「はぁ…っ、は、あ…っ…。
つ、着い、た…」
俺は島に降り立った。
そのまま砂場に倒れ込む。
「吐く…」
気持ち悪ぃ…マジで気持ち悪ぃ。
頭がガンガンする。
そんな状態の俺にとって、この島の澄んだ風と鬱蒼とした緑は心地よかった。
______だけど、なぜか。
俺は流石にもぞもぞと身を起こした。
ぼうっと、島の奥の方に目をやる。
______なぜか…不気味だ、この島は。
それは……夢喰いがいるからか?
それだけが理由だとは思えないほど、この島には不気味さが蔓延していた。
そんな気持ちを振り払い、とりあえず深呼吸する。
先程よりかは…ほんの少しだが、気分が楽になってきた、ような気がする。
そんな俺の横を、人影が黙って通り過ぎた。
シオンが、さっさと森の奥の方に歩いて行こうとする。
「ま、待てよっ!
お前一人じゃ危ねぇって凪さんも言ってただろ!?
勝手に行動するな!」
その声に反応し、彼はゆっくりと振り返った。
「…どうでもいい」
俺は、そう言い放った彼の目にぞっとした。
彼の目は、色相的には淡い水色のはずだ。
しかし、それは昏く、深く濁っていた。
…死んだ魚のような目。
否、死にゆく魚のような目。
戦慄して固まった俺を置いて、彼はサッサと歩き出した。
歩き方は淡々としていて、何の感情も読み取れない。
「…っ!あの馬鹿!」
俺は彼の後を追って走り出した。
今の彼を放っておいちゃいけない。
そう、彼はきっと________。
俺たちはしばらく、自然の中を進んだ。
その中で、俺はなんとなく不気味さの正体を悟りつつあった。
この島は、確かに自然豊かだ。
所狭しと生えた植物、色彩豊かな虫や小動物。
「楽園」という言葉が似合いそうなほどに、ここの生態系は豊かだ。
______だけど、それと同時に、不気味なほど静か。
皆、何かを畏れるかのように目立つのを避けている。
まるで、忌むべきものを避けるかのように。
…ガサッ
小さな音がしたのは、その時だった。
誰かが、草むらを動くような物音。
音の方向的に、俺かシオンが出したものではないことは明らかだった。
「…っ」
前を行くシオンが、弾かれたように顔を上げる。
俺は慌てて彼の側に寄り、彼の視線の先を辿った。
草むらの向こうに、しゃがみ込む人影。
ボロボロのスーツを身につけ、地面に手をついていた。
「…なんだ、人いるじゃねえか_____」
俺が小さく呟いた時、彼が立ち上がる。
その途端、腐臭が鼻をついた。
それが血の匂いだと気づいた時、人影と目があってしまう。
赫い眼。
_________夢喰いだ。
その眼は虚に俺たちを映していた。
意志の感じられない____ただ、本能だけを生きる赫い眼。
シオンのそれと色の似た金髪には、眼と同じような色の血がところどころにこびりついていた。
俺は、反射的にシオンの前に立ち塞がる。
「シオン、下がれ!」
鎖鎌を取り出す。
その先を回し、夢喰いに向けた。
その時だった______シオンが動いたのは。
虚な彼の眼は、夢喰いだけを映していた。
「______良かった」
シオンは、笑っていた。
笑って、そう言った。
夢喰いの持っている短刀の先が、シオンの胸に迫る。
…そうか。
俺は腑に落ちてしまった。
赫い血が飛び散るのを、スローモーションのように感じる。
シオンがなんで入隊したのか。
なぜあんなに昏い目をしていたのか。
なぜ俺たちにあんなに冷たかったのか。
…全部、理由は一つだった。
シオンが望んでいたこと、それは_______
_______夢喰いに殺してもらうことだったんだ。
4話に続く
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