第2話

 リチラトゥーラの父であるスニェークノーチ国の現国王陛下は、大層穏やかな人物で有名であった。

 現在彼は国の政治はもちろんのこと、病により早くに亡くなったリチラトゥーラの母の代わりに、公務の忙しい中でも愛娘との触れ合いは欠かさないような人間であった。

 かと言って、お人好しかと問われれば、そうではないようだ。

 仮にも彼は国を統治する王、いわば国民にとって絶対的存在。それがくだすべき判断であるのなら、たとえその判断が厳しいものであったとしても下すような人物であった。ゆえに国民からの人望も厚く、ロウもそんな国王のことを気に入っていた。


「お父さま、どうなさいましたの?」

「おお、リチラトゥーラ。よく来たね。ロウもご苦労であった」

「……いえ」


 微笑んだ顔がリチラトゥーラによく似ていた。彼女はきっと父親似なのだろう。「娘が父親に似る」という傾向はどの国でも共通のようだとロウは心の中で呟いた。


「さあ可愛いリチ。こちらにおいで」

「もう、お父さまったら!わたくしももう十歳、立派なですのに」


 子ども扱いしないで、と口では語りつつも、彼女はまだ子ども。それも実の父親に「おいで」と言われてはその懐に入らざるを得ないのである。リチラトゥーラはとても嬉しそうにして国王の膝上に乗った。髪をかれながら足をぱたつかせているその姿はなんとも愛らしく思えた。

 国王が彼女を公務室に呼びつけるときは、決まってこの国の歴史を教授するための口実であった。

 リチラトゥーラはまだ幼いが自国への関心が高く、いわゆる『お勉強』の一環として父子おやこの交流を兼ねてこうした教授時間を設けるのだという。


「それでお父さま? リチに今日は何をお話してくださるのですか?」

「……そうだな。では今日は、この国に伝わる『春竜しゅんりゅう伝説』を教えてあげよう」


 リチラトゥーラは頭上に疑問符を浮かべながら、国王にその伝説がどういう話なのか早く聞きたいとをした。

 同時に部屋の隅で控えていたロウの顔色が変わった。しかし幸いにも彼の変化には誰も気づいていないようだ。

 国王は愛娘のおねだりを聞き入れ、伝説の物語について語り始めた。


 ❅


 その昔、太古の時代、スニェークノーチ国には「春を告げる竜」とわれている春竜しゅんりゅうという竜が存在した。

 現在では一年中が雪の降る寒い小さな国であるが、その時代には短い期間だけだけれども、春竜が運んでくる「春」という季節が存在した。

 暖色の花々が咲き誇り、中でも「桜」という花に関しては全国民が見惚れてしまい、すべての物事に手がつけられないほどの社会現象が毎年起きたという。


 あるとき、国王妃が不治の病に倒れた。

 国中が困り果て、何か良い策は無いかと思案していた頃、親交の深い春竜が国王らのもとに姿を現した。


 ――何用か?


 国王が尋ねると、春竜は体に生える花弁はなびらのような鱗を一枚千切ちぎり、何も言わずそれを国王へと渡した。


 ――これは……?

 ――それは、我ら、春竜族の生命力が篭った鱗である。その薄紅の鱗は、人間に与えればどんな病も傷もたちまち快復かいふくへと向かうであろう。


 春竜はそれだけを国王に告げると、花吹雪の風に身をゆだね、そのまま澄んだ青空の彼方へと姿を消した。


 春竜の残した言の葉を頼りに国王は国王妃のもとへと急いだ。そうして春竜よりたまわった薄紅の鱗を煎じ白湯に溶かしたものを早速国王妃へと与えた。するとたちまち彼女は快復の兆しを見せ、翌週には庭に外出し歩くこともできるようになったのである。これは奇跡であると国王らは喜んだ。


 それからというもの、「春竜は奇跡の鱗を持つ」という伝説が生まれたのである。


 いつしか伝説は現実となり、春竜の暮らす国に狩猟者が現れるようになった。密猟目的での侵攻は彼らにとって都合のいい儲け話だった。

 春竜の薄紅の鱗は不治の病すら怖るるに足らず。狩猟者たちがそう触れ回ることで国民たちも段々と目の色を変えていったのである。

 その一件があってからというもの、スニェークノーチ国に春竜が現れることはなくなった。春竜の国ももぬけの殻となり、春竜を密売目的で殺害を繰り返す大罪を犯したことで、その年多くの狩猟者たちが処刑された。

 文献には当時の様子が詳細に記載されており、事の悲惨を語った文面の生々しさに吐き気を催す者もいたという。


 春竜の国の滅亡。「春」の未訪。流行り病による死者の増加。

 それらすべては、己の欲に溺れた密猟者たちによる私欲が招いた結果だった。

 国王は「春」をもう二度と見られないことを心から哀しんだ。

 現在、春竜が存在しているかも定かではないが、たとえ春竜かれらを発見したとしても、接近した場合は薄紅の鱗目的によるものとし処罰対象となった。こうして春竜の一切の謁見行為を禁じたのである。


 それ以来、スニェークノーチ国に春は訪れていない。


 ❅


 少しだけ、難しい話だった。

 しかし、子ども用に噛み砕いて話すのではなく、として彼女を認めているからこそ、国王はリチラトゥーラに原文のまま物語を語った。

 そして、それを理解しているリチラトゥーラはわがままを言うことはせず「お話とても面白かったわ!」と父に対して微笑んだ。


「今は難しいと感じるかもしれない。けれどね、リチ。お前はこの国を担う人間でもあるのだから、この国の歴史を今からでも学ばなければならないんだ。そのことは理解できるね?」

「はい、お父さま!」

「うん、いい返事だねリチ。流石は私の愛娘だ」


 そう言うと国王は父親の顔になり、リチラトゥーラの髪を優しいくくようにして撫でた。リチラトゥーラは気持ちよさそうにしていた。


「……とても大昔の話だから、実際に春竜さまがいたかどうかは私にも分からない。けれど、もし今もこの世界にいてくれたなら、私は先祖の非を春竜さまに詫びなければならないんだ」

「どうして? お父さまは春竜さまに何も悪いことをしていないわ? なのに謝りたいの?」

「そうだよ。実際に私が悪いことをしたわけじゃないけれど、私たちのおじいさまやおばあさまがそうしてきたように、春竜さまに祈ることが大切なんだ」


 そういうまっすぐな気持ちが、一番伝わるからね。国王は少しだけ寂しそうな表情をしてリチラトゥーラの頬を撫でる。

 もうすぐスニェークノーチ国内では春竜を祀る『ヴェスナー祭』という祭典が行われる。いつか春竜が戻られたとき、心からもてなしたいという王家先祖の習わしをもとに作られた祝日のことだ。

 この日ばかりは国民たちには有意義な休日を過ごしてもらうため、国中のありとあらゆる機関が休日扱いとなる。そうして夕方頃になると春竜が暮らしていたとされる国のあった西国に向かって祈りを捧げるのだ。


「じゃあ、わたくしも春竜さまにお祈りするわ! この国に、!」


 リチラトゥーラの言葉に、国王とその場に控えていたロウまでもが驚いた。


「それはどうしてかな? リチは春の花が見てみたいと、あんなに憧れていたじゃないか」


 国王が彼女に優しく語りかけると、リチラトゥーラは笑顔でこう答えた。


「だって、春竜さまが春を連れてくるのでしょう? いつも春を届けに来てくださっていたのに、悪いひとがいじめたのでしょう? だったらもう春竜さまが痛い思いをしなくてもいいように、春を届けなくてもいいの。そこまでしてわたくしは春を見たいと思わないもの!」


 少しだけ解釈が違うような気がしたが、それでもその答えこそ、彼女なりに精一杯考えた結果だった。国王はその考えをじっくりと噛み締めるようにして尊重しリチラトゥーラを優しく抱き締めた。


 ❅


 女中のひとりがリチラトゥーラに昼食の用意ができたと告げに来た。国王は彼女を見送ると、共に出ようとしていたロウを呼び止めた。ロウは訝しげに、しかし断ることもできないので、渋々公務室に残った。


「なんでしょうか、陛下」

「最近、リチの様子はどうだ」

「……変わらない、かと」


 どうしてそのようなことを聞くのか、ロウは不思議に思う。彼女の変わらなさを一番理解しているのは父親である国王だろう。なのに、何故。


「そうか……。それなら、いいんだが」


 国王が書棚から一冊の本を手に取った。書物にしては薄いその本には、リチラトゥーラの母であり国王妃の『イザベラーニャ』の名が刻まれていた。


「陛下、それは」

「我が妻の、残した日記だ。ここにはも記録されている」

「――⁉」

「イザベラーニャの患った病は遺伝性のものらしく、女性が患う確率が極めて高いそうだ。リチにもその兆候は見られた。最近は落ち着いているようにも見えるが……」


 国王は目を伏せた。それは、治療法が無いと言っているも同じであった。

 ロウは無意識に唇に犬歯を突き立てていた。血液特有の鉄の臭いが鼻腔を掠める。「失礼します」と怒りをこらえたような声音を発し、ロウは公務室を退室した。


 ❅


 その日、近年稀にみる大雪がスニェークノーチ国を襲った。

 その夜、リチラトゥーラに原因不明の病の発症が確認された。それは彼女の母が患ったとされる不治の病と酷似した病であり、国王やロウが恐れていたことが現実に起こってしまったのである。

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