バレンタインデー
恋が破れる音がした。
いや、恋というには大げさだったかもしれない。叶わないとはわかっていたから。
30歳少し手前、まわりが続々と結婚していく中で取り残され続けると、否が応でも焦ってしまう。手近なところでなんとかしたいと思っても、身近にいる同年代は皆結婚しているか相手がいるものだ。
それでも、同期が言っていた「あいつ、最近彼氏と別れたらしい」ということばに、わずかな期待をかけている自分がいた。人間、都合のいいことだけは、信じてみたくなる生き物である。
「私、最近引っ越したんですよね」
バレンタインデーだというのにお互い遅い時間までの残業になってしまった夜に、突然、彼女がそう口を開いた。嫌な予感がした。
「結婚でもするの?」
そう聞くと、一瞬だけばつの悪い表情を浮かべた彼女から、まだそこまでではないんですけど、同棲みたいな感じですね、という答えが返ってきた。へえ、じゃあいまどこに住んでるの、そこだったら通勤が大変そうねなどと、奥底にある気持ちをおくびにもださないように話をしてしまう自分に嫌気がさす。
なんとか表情や声のトーンを崩さないように努めて、オフィスを出る。新橋の駅までの通い慣れた道を、いつもよりとぼとぼと歩いてしまう。こういうときの感情は、何度同じ目にあっても、うまく処理できない。しかも、バレンタインデーにこんなことになるなんて。
ふと立ち止まって、歩いてきた道を振り返った。小さい紙袋を手にしたカップルが、訝しげな目をこちらに向けているのがわかった。
視界に入りきらないほど高い汐留のビルの明かりは、滲んではっきりと見えなかった。
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