第8話 当たり前などない

 僕が最初に就職した会社は外資系のコンピュータメーカーだった。就職氷河期と呼ばれた年だったが、逆張りに採用枠を拡大していたおかげで、2社しか訪問しない、いま考えるとふざけた就職活動をしていたのにどうにか滑り込むことができた。ただただ運が良かった。


 規模の大きな本物のシステムに触れてみたいという願いは叶えられ、自習のためなら自社のソフトウェア・研修教材が潤沢に利用できる恵まれた環境だったが、結婚を考えるようになると会津若松周辺に転職先を探すようになった。それから数年後、就職から8年目を向かえる矢先にようやく再就職先が決まると自己都合で退職した。その後の結婚までの道程はリーマンショック、東日本大震災などのため容易ではなかったが、これまでの道程には満足している。


「普通は女性が辞めるものなんじゃないですか?」


 それからずっと後、ある懇親会での世間話の中で東大の院生から発せられた言葉だった。似たような問いは性別を問わずこれまで数回、聞いたことがある。どちらの収入が多いかを考えれば、理解できるものの、そうだろうかといつも感じている。なにも専業主婦になれというわけではない。ただ、ようやく掴んだその仕事を辞めて自分の所に来てくれないか、それから新しい仕事を探せばいい、それだけのことだ。


 長期的に家庭を安定させるための経済的な基盤をどう作るかは大切なことだ。しかし、その役割をどちらが負うのかは個別の問題だ。そして、どちらか一方と決っているわけでもない。互いに助け合った方が安定する確率は上がるかもしれない。役割分担とは合理的な判断のようでもあるが、片方が働き、もう一方がそれを支えるという構図はリスクヘッジが十分できず危ういようにも思える。最善の選択肢は個別の状態によって違い、当たり前という正解はないはずだ。



 母親がなくなってしばらくしてから、自宅に60代くらいの女性が訊ねてきたことがあった。不思議なことにどうやってか住所を調べてやってくる人が時々いた。父親が不在だと告げると、自分の90代の母親が病院でなくなったことに納得していない、理由を知りたいということを話し出した。高齢の女性が亡くなったことは自分の身の上と比べれば随分と自然なことに思えた。しかし、その女性は他に理由があるはずだと考え、行動に移していた。本当に気の毒としかいいようがない。


 母親が亡くなった時に、父の同僚の診断が間違いではなかったのか、他の病院であれば治った可能性はなかったのか、あるいは少しでも長く生きることができなかったのか、考えなかったわけではない。何気ない世間話しの中でも、良い病院を知らないか、というフレーズにはよく遭遇する。良い病院を知ることは当然のことのようだ。偶然の誤診によって生死が左右されることはあると思う。発見が遅れることも十分に考えられる。ただ検査を経て確定した病巣の存在が否定されることはないだろう。


 人間の可能性は無限大だ。奇跡はある。それが自分にも訪れるはずだと考えたい心理には心が痛む。けれどそれはまずない。だから奇跡と呼ばれる。調べてみれば、鮫の軟骨を飲んで癌が消えた、などといった話しに辿り着くだろう。2つの間に因果関係があるかを丁寧に検証することはない。ただ飲んで消えたその事実が大事なのだ。


 母の命を救ってくれる良い病院があったのだとすれば本当に知りたいと思う。世間話を聴きながら毎回思うことだ。



 コンピュータの操作がいくらか得意な人達の中には、困ったことがあるとソフトウェアをダウンロードして使うという習慣があるようだ。Webページの更新に困った時に「WordPressって知っている?」といってきた人がいる。僕が知る限り、この世で最も邪悪な基盤の上に作られたソフトウェアの一つだ。植木に水をあげる如雨露を持つために重機を持ち出すようなことを、まったく無自覚にやってのける。そんな環境で動作するソフトウェアを僕は使いたくない。


 そして問題を解決するためにREST APIサーバーを構築し、Hugoからデータを元に定期的にWebページを更新する仕組みを作った。それが当たり前というものだろう。


 ソフトウェアを利用するためには、まず問題について考え、その問題を解決するための道具として適当かどうか検討するべきだ。要件を充足させるソフトウェアであれば使う価値があるだろう。困ったことがあれば、まずは何故そうなるのかを考えなければいけない。問題を解決させる方法ではなく、根本理由を問うことが解決に向かう大切な一歩だ。


 エンジニアとしてクライアントから何かを作るよう依頼されることがある。そしてクライアントからの依頼にそのまま対応してはいけない、とはよくいわれることだ。クライアントは問題の解決を望んでいるが、何によってそれが解決するのかは本当は知らない。エンジニアはクライアントの課題を理解し、最適な解決策を検討・提示することが本来の仕事なのだ。


 問題の答えだと思うとすぐに飛びつくことは、受験を前提とした教育システムに最適化した結果なのかもしれない。問題には必ず答えがあることが当たり前だと思っているようだ。



 工学分野で扱う問題の多くは現実の課題だ。その問いについて唯一の解答がある方がめずらしいのだ。工学的には我々の現在の知識と技術、環境の中での最善を選択することしかできない。自然科学的な問題であれば究極的には答えはあるだろう。ただそれを有限な脳という処理装置しか持たない人間に理解できるかどうかは別の問題だ。当然そうするべきだという状況はある。けれど最終的に選択肢を選ぶのは個々の人間だ。僕達は後悔が少なくなるように日々、一歩ずつ前進することしかできない。

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