第6話 人生に必要なことはインターネットから学んだ《1》
僕がインターネットに触れたのは、1995年に大学に入学した時だ。インプレス社からインターネット マガジンが創刊されたのが1994年で、受験勉強をしない浪人を決め込んで時間があった僕はその創刊号を手にしていた。同時期にSoftware Designも新潟駅の本屋に並ぶものを定期的に購入していた。連載記事からUNIXとその思想、オブジェクト指向、NeXTとインタフェースビルダーなどについて知った。
90年代はまだ情報を入手するために本屋を中心とする情報の流通経路を利用することが一般的だった。メーカーに直接、切手を貼った返信用封筒を送り、カタログや資料の送付を依頼することもしていた。
当時はまだインターネットよりも、パソコン通信と呼ばれるホストコンピュータに電話回線を使って接続する中央集権型の通信環境が一般的だったらしい。個人でもホストとなるためISDNなどを利用して複数電話回線を契約していた人もいたようだ。こちらの世界ではハンドルと呼ばれるニックネームによるメッセージのやり取りが一般的だったはずだ。コンピュータを持っていなかった僕は雑誌からこういった情報を得ていた。
1995年当時のインターネットは既に世界規模のネットワークであったし、大学や研究所を中心に利用されていたこともあって、実名性が重視され、相互扶助の精神を前提とした運用が行われていた。徐々にパソコン通信などの文化が輸入され、匿名性に支配されていったことは残念だった。参加者も多くなると実名性の弊害が広がり、次第に自分の身分を秘匿することが一般的になった。
1995年に出版された「fjの歩き方」という本の初版が手元にある。fj.* (From Japan)はいわゆる電子掲示板に相当するWeb以前の世界規模のシステム(NetNews)上に登録された日本語でのコミュニケーションを行う場所だ。
NetNewsではホストシステムは存在せず、組織間で相互にデータを持ち合うことで維持されていた。実名投稿を前提とするfjでは、暴言を書き込む人達もいたが、少なくとも自分の発言に責任を持つ合意があった。文字によるコミュニケーションの難しさや、他人の主張を受け入ない人の存在、根本的な価値観の相違によって合意が形成できないことがあることはfjから学んだ。自分の言葉が他人に誤解を与えること、言葉を尽しても相手の脳内では異なる意味体系に展開され解釈されることを学んだ。
NetNewsはシステムとそれを運営するボランティアによって成立していた。ボランティアが去ると、NetNewsは緩やかに衰退した。
そして現代のインターネットへと成熟していった。
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