第2話 JAPAN e-Portfolio騒動


 いわゆる大学受験における「主体性評価」のために活用が予定されていたJAPAN e-Portfolioは、試行期間後、運用団体が期待していたようには利用料金を徴収できなかったため資金難から活動を停止し、事実上実施されないこととなった。この他にも、共通テストでの筆記試験や、いわゆる英語4技能の民間試験の活用が見送りになるなどの混乱が続いた。


 高校生活の活動記録が大学入試に活用されると聞いたとき、自分ならやるせない気持ちになっただろう。もしあの当時、大人から「身の丈」にあった準備をしなさいといわれたら、どんな気持ちになっただろうか。母親を失なった自分の身の丈はそうでない人達よりもいくらか劣っていて当然だろうか。教育は既定路線からの脱出のための手段じゃなかったのか。


 真面目に高校生活を送っている生徒が報われる仕組みは必要だし、主体性評価の理由に掲げられた「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」を育むことはこれからの社会を動かしていく人達に間違いなく必要な能力だ。


 しかし、若さから18歳までの人生を刹那的に過ごすしかなかった者たち、様々な理由で充実した10代後半の生活を送ることが難しかった者たち、人間としての望ましい態度を成人後の人生で育んだ者たちのように、18歳までの競争に背を向けた者たちは、どのようにしてその人生を上向きにすることができるだろう。


 頓挫したからいいものの、JAPAN e-Portfolioの構想が実現していれば弱い者たちをさらに追い詰める効果を生んだと思う。自己責任を当然と考える人達にとっては、そんな挫折した人達より、頑張っている若者達を応援するのだ、という考え方があるかもしれない。それは自然なことにも聞こえる。ただ少子化によってより多くの人達が参加しなければ、この社会は維持できなくなりつつある。いまではより多くの人達を参加させるために非正規労働者を増加させることで格差が広がり、固定化している。ドロップアウトにより社会から見放されたように感じた若者が犯罪に躊躇なく加担してるのではないだろうか。


 主体性評価は成功事例を書かせるものではなく、失敗を含む体験から何を学んだかを自覚させ、言語化させる意図があることは理解しているつもりだ。しかし、真面目に高校生活を送っている者にそんなことに考えをめぐらせる時間はあるだろうか。また、他人に伝えられない罪や恥といった意識を持った若者はそこから得られた知見を、どのように論理的に清々と他者に伝えることができるだろう。


 真に人生に影響を与えた経験を言語化するという作業を強いることは、他人を傷つけた経験や親の虐待といった、自身や他者の犯罪の告白を強いるような厳しい作業に成り得る可能性がある。過酷な経験から得られた何かを言語化できるまでには、相当な年月が必要になる場合もあるだろう。


 主体性を自己申告させようとしても、そこに記録された内容の多くは、読み手を強く意識した、表面的で受験のために取り繕われた何か浅い洞察が多く含まれることになっただろう。いたずらに資格を取得する者が増えたとして、その目的をどうやって把握し評価するのだろう。そもそも主体性はエビデンスを元にした記述によって評価ができるのだろうか。ほとんどの大学が期待する学生の資質は、自ら自己実現に取り組める能力ではないだろうか。それを確認するための良い試験とは何だろう。


 僕が最初に入社した会社の最終選考は7名程度のチームでの共同作業だった。これは入社後の環境に適応できない者を排除するため、協働する能力をみる試験だという説明があった。積極的な発言は必要なものの、発言の回数が多ければいいというわけでもない。自分の意見に固執してチームとしての成果に貢献できなければ、それもまた評価されないだろう。少し残酷かもしれないが目的に適った良い試験だったと思う。


 集団面接で3分間の自己紹介といわれて延々と自己アピールをしていた彼等はその後どうなっただろう。


 入学前の高校生活の実績から何かを期待することは危険だと思う。従来の学力試験にも問題があったとは思うが、学力に配慮しない試験にも危険はある。主体的に学ぶ力の本質は本人の意欲だろう。意欲は内面的なもので測定可能だと思えない。一定の低いハードルを準備した上で、可能性のある若者に十分な環境とチャンスを与えて信じて待つ以外に何ができるだろうか。客観的な基準を設けることは公平性の観点で必要なことだ。その上で何を求めるべきなのだろう。少なくとも自己申告書を要求して測定できるのは事務書類の作成能力程度なのではないだろうか。


「受験までに何か資格を取得した方がいいですか?」


 こんな言葉を高校生から聞きいてきた。社会の要求に惑わされ、時間を浪費することで将来の可能性を奪っているのでないだろうか。技術系の有資格者に問われる質問は、「その能力をどう発揮しましたか?」だ。資格を持つだけで実践が伴っていない場合は、「どうして資格を取ろうと思いましたか?」と次の問いが待っている。何も問い詰めているわけではない。ただ相手を理解したいだけだ。それでも主体的な態度を持たない場合は嘘をつくか抽象的な返答をするほかないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る