「夜に誰かがやってきました」

 明けて翌日からも、アプリコット達は見習い聖女としての修行を積むべく、精力的に奉仕活動を行った。


 と言っても、初日の孤児院のように二人一緒にというわけではない。アプリコットは庭の草むしりや買い出しの手伝い、壊れた屋根の応急修理など、通常の見習い聖女がやりたがらないようなパワー系の案件を率先して受けていき、逆にレーナは教会に残って怪我人の治癒を手伝ったり、あるいは料理や裁縫など、こちらは見習い聖女らしい仕事をこなしていく。


 そうして一日が終わると、二人で顔を合わせて今日はどんなことをしたかを互いに笑顔で話し合い、明日はどんなことをしようかとワクワクしながら眠りにつく。そんな健全な修行と奉仕の日々は穏やかに続いていき……そして四日目。本日も仕事を終えて美味しく食事をモグっているアプリコットを、不意にこの教会に所属している神子みこ……聖女のように神の奇跡は使えないものの、神の信徒として活動している一般女性……が呼びにきた。


「あの、アプリコットさん? ちょっとよろしいでしょうか?」


「もぎゅ? はい、何でしょう?」


「その、アプリコットさんに会いたいという子供が、教会の入り口に来てまして……」


「子供? こんな時間にですか?」


 時刻は既に、七の半鐘を回っている。如何に夏節とはいえ既に日は落ちており、子供が出歩くような時間ではない。とは言え自分を名指しされて無視するようなら、見習い聖女などやっていない。口の中のパンをゴクンと飲み込み、アプリコットが教会の入り口へと向かうと、そこでは聞き覚えのある声が騒いでいた。


「だから、早くアプリコットって聖女を呼んでくれよ!」


「今呼びに行きましたから、もう少しお待ちください」


「急いでるんだよ! 頼むよ!」


「ですから……」


「おや、ベン君じゃないですか!」


「っ!?」


 見知った顔に声をかけると、ベンがすぐにアプリコットの方へと駆け寄ってくる。そうしてあと少しのところまでくると、ベンがいきなり深々と頭を下げた。


「頼む! 助けてくれ!」


「わかりました。私は何をすればいいんですか?」


「調子のいいこと言ってるのはわかってるよ! でも、俺……え、今なんて?」


「だから、助けますので何をして欲しいのかって聞いたんです」


「……な、何で?」


 あまりに複雑な感情が入り交じりすぎて、幼いベンの口からはそんな言葉しか出てこない。だがアプリコットはこっそりとつま先立ちして身長差を埋めると、ベンの頭を優しく撫でてニッコリと微笑む。


「本当に困っている人を、見習い聖女は見捨てたりしないんです。さあ、何があったのか教えてください。私にできる限りの手助けはします」


「お、おぅ。実は……」


 何も言う前から「助ける」と約束してもらったことで、ベンの頭に少しだけ冷静さが戻ってきた。そうして説明された内容を纏めると、こうだ。


 孤児院の子供達は、当然ながらいつまでも孤児院にいるわけではない。成人すれば出て行かなければならず、そのためには手に職をつけなければならない。


 なので孤児院は、町に住む職人や商人などと伝手がある。一三歳になった子供はそういう職場に通って仕事を覚えることで、成人してからも安定した収入を得られるようにするためだ。


 が、世の中というのは当然善意だけでは回っていない。子供達がどんな環境で働くのかを知るために、院長であるハンナは定期的にそれらの仕事先に顔を出し、自分の身で体験することで確認していたのだが……


「それが、今日は帰ってこない、と」


「そうなんだよ。いつもなら六の鐘が鳴る頃には帰ってくるのに、今日はまだ帰ってこなくて……でも今日先生が行ったのは狩人の人のところだから、俺が探しに行くわけにもいかなくて……」


「狩人? ということは、森に入ったのですか?」


「……多分。流石に狩りはしないって言ってたけど、キノコとか山菜とかは採ってくるって言ってたから」


「ふむ、それは確かに心配ですね」


 日の落ちた森が危険なことなど、子供にでもわかることだ。狩人一人、あるいは連れも狩人ということであれば、思わぬ大物を見つけた結果、リスクとリターンを天秤にかけて獲物を追う選択をする可能性も否定はしないが、素人の女性であるハンナを引き連れたままそんな判断をするとは思えない。


 つまり、何らかの理由で足止めされているか、あるいは既に……というよくない想像がアプリコットの頭を駆け巡り、それを敏感に感じ取ったベンがアプリコットの腕に縋り付く。


「だろ!? だから頼むよ! 俺、まだガキだから他に頼れる人も知らなくて、でもお前ならスゲー強かったから……だから…………」


「わかりました。なら私が様子を見てきます。どの辺の森に行ったのかはわかりますか?」


「えっと、町の西門を出てすぐのところだと思う」


「西門の先の森ですね。なら――」


「私も一緒に行きますわ!」


 と、その時アプリコットの背後から、今度も聞き慣れた声が聞こえた。振り返って見れば、そこは口の端にちょっとだけ赤いソースをつけたレーナが立っている。きっと話に加わるために、急いで食事を済ませたのだろう。


「レーナちゃん!? あの……」


「アプリコットさんが何と言っても、私も着いて行きますわよ! 危ないところに行くのであれば、一人より二人の方がいいでしょう?」


「それはそうなんですけど、そうじゃなくて……」


「確かに私達は見習い聖女ですけど、二人ならちゃんとした聖女様一人分くらいにはなりますわ! だから――」


「レーナちゃん!」


「……何ですの?」


 真剣に見つめるアプリコットを、レーナはまっすぐに見つめ返す。するとアプリコットがサッと歩み寄り、レーナの口元をキュッと自分の指先で拭った。


「口元にソースがついてました」


「…………あ、ありがとうございますわ」


 その指先をペロリと舐めたアプリコットに、レーナの顔がソースより真っ赤になる。だがそれを気にせず、アプリコットは更に言葉を続ける。


「で、レーナちゃん」


「……はい、何ですの?」


「ありがとうございます。一緒に行きましょう!」


「っ! 勿論ですわ!」


 パッと表情を輝かせたレーナの手を取るアプリコット。そんな二人が近くの神子さんに言づてを残して教会を出ようとすると、まだそこにいたベンが改めて声をかけてきた。


「なあ、本当に先生を助けてくれるのか? 俺、お金とか持ってなくて……で、でも! あと二年したら仕事の手伝いを回してもらえるし、成人したら真面目に働いて、ちゃんと金を払うから! 時間かかるかも知れねーけど……」


「ふむ……いいですかベン君。貴方は今日、二つの選択をしました。


 一つ目は、自分ではできないことをできないと認め、ちゃんと出来そうな人を頼ったことです。自分の無力を受け入れるのはとても勇気のいることですが、貴方はそれをきっちりと選ぶことができました。


 二つ目は、ちゃんとお礼をすると言ったことです。自分は弱者だから助けられて当然。見習い聖女は人を助けるのが仕事だから、無償で働くのが当たり前。そういう考えをする人もいるなか、貴方は何年かかってでもお礼をすると言ったんです。それもまたとても尊い、勇気ある選択です。


 貴方のその選択を、ちゃんと神様は見ています。貴方のその勇気は、ちゃんと私の中に伝わりました。だからあとは、その勇気と誠実さを胸に、先生の無事を祈っていてください。きっと私達が、その祈りを叶えてみせます!」


「チビ、お前……」


「むぅ、まだ言いますか? 帰ったら先生と一緒にお仕置きしちゃいますよ?」


「へ、へんっ! そんなの何にも怖くねーよ! 怖くねーから……ちゃんと二人、じゃない三人で帰ってこいよな!」


「勿論です! 神子さん、終導女様に言づてをお願いします! さ、レーナちゃん。少し急ぎますね」


「わかりました……わぁぁぁぁっ!?」


「…………頼むぜ、神様。アプリコット達を守ってやってくれよな」


 ひょいとレーナを抱え上げたアプリコットが、レーナの想像の三倍くらいの速度で暗い道を駆けていく。そしてそんな二人の背を見送り、ベンは生まれて初めて、心から神に祈りを捧げるのだった。

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