「お空は気持ちよかったです!」
「なあ、本当にやるのか?」
「勿論! バッチ来いです!」
向かい合って立つアプリコットとベン。しかしやる気満々なアプリコットに対し、ベンの方は何とも渋い表情を浮かべている。
だが、それも無理はない。ベンはいたずらっ子ではあっても、いじめっ子ではないのだ。いくら本人が大丈夫だと言ったところで、自分より小さな女の子と力比べをするというのは、どうにもこうにも気が進まなかった。
「ほらほら、早く始めましょう?」
「お、おい!?」
そんなベンの態度に業を煮やし、アプリコットがベンの方に歩み寄っていく。そうしてその手を無理矢理に掴むと、指を絡ませガッチリとホールドした。
「さあ、思いっきり押してみてください!」
「あー、くそっ! 転んでも知らねーからな!」
プニッとした柔らかい感触にドギマギしつつ、半ば自棄になってベンが両手に力を込める。だが……
「ふふーん、この程度ですか?」
「え、嘘だろ!?」
身長差もあり、上から押し込む形になっているベンの方が、圧倒的に有利。だというのにどれだけ力を込めても、小さなアプリコットの体は小揺るぎもしない。
「まだまだ平気ですよ? もっともっと、全力できちゃってください!」
「ふんっ! ぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅぅぅ……っ!」
顔を真っ赤にし、腕をプルプルさせながら、ベンはアプリコットを押し倒すべく両の腕に全力を込める。だがそこまでしてなお、アプリコットは平然と微笑んだまま。しかもその状態で顔を逸らし、子供達に向かって話までし始めた。
「どうですか? これが私の<筋肉の奇跡>です! 凄いでしょう?」
「う、うーん。凄いとは思うけど……」
「うん。凄いんだろうけど……」
「むぅ、今ひとつ反応が良くありませんね」
神の奇跡を目の当たりにした子供達は、「思っていたのと違う」という感情をそのまま顔に出している。凄いことは理解できても、子供の興味を引くにはあまりにも地味すぎるせいだろう。
「くはっ! ハァ、ハァ……だ、駄目だ……」
「おや、もういいんですか?」
「いいよもう…………てか、どうなってんだよ……?」
「だから、これが神の奇跡というやつです! とは言えこれだと他の子達は納得してくれないみたいなので、もうちょっとだけお付き合いしてもらえますか?」
「えぇ? これ以上俺に何をしろって……お、おい!?」
アプリコットの小さな手が、ベンの脇の下へと差し入れられる。ベンの生存本能が猛烈な警戒を訴えるも、時既に遅し。
「せーのっ! たかいたかーい!」
「うっひゃぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
ベンの体が、宙を舞う。それは孤児院の屋根を越えてなお上がり、おおよそ五メートルほどを超えたところで止まる。だが止まると言うことは、そこから落ちるということでもある。
「うわぁぁぁ! し、死ぬぅぅぅぅぅ!?」
「ほいっと!」
泣き叫ぶベンの体が地面にグシャリと落下する寸前、アプリコットの両手がしっかりとベンの腰を掴んで受け止めた。なお身長差があるので、ベンの足は地面に着く寸前である。
「ふふふ、どうですかこのパワー! これぞ正に<筋肉の奇跡>なのです!」
「あぅあぅあぅあぅ…………」
「……えっと、大丈夫ですか?」
焦点の定まらぬ目をしてあうあうとしか言わなくなったベンの頬を、アプリコットがペチペチと叩く。すると正気に戻ったベンは割と強引にアプリコットの手の中から逃げ出し、五歩ほど離れたところで腕組みをしてニヤリと笑った。
「ぜ、全然大丈夫だし! こんなの全然怖くねーし!」
叫ぶベンの足は生まれたての子鹿よりプルプルしていたし、何ならズボンの前にちょっとだけ染みらしきものが見えていたが、誰もそれには触れなかった。孤児院のいる子供達は、血は繋がらずとも全員家族。多少問題を起こす子であったとしても、そのくらいの気遣いは――
「あーっ! ベンにいちゃ、おもらししてるー!」
残念ながら、最年少である三歳の幼女に気遣いを求めるのは無理だった。指摘されたベンは顔を真っ赤にして「ちげーし! これは……あれだよ。汗だし!」と叫んでからその場でスクワットを始めたが、膝がガクガクの状態ではそれも続かない。
僅か三回でその場に尻餅をつき、ベンがちょっと泣きそうな顔になったところで、気を利かせた……あるいはどうでも良くなったトリエラが、ベンを無視してアプリコットに話しかけた。
「ねえねえ、聖女様! それ、私もやって欲しい!」
「あ、アタシも! ベンよりは軽いと思うし、大丈夫かしら?」
「ええ、勿論大丈夫ですよ! じゃ、一人ずついきますね」
申し出た二人の少女を、アプリコットは順番に笑顔で空へと投げ飛ばす。すると少女達はキャアキャアと悲鳴をあげはしたが、ベンと違って着地後も楽しそうにはしゃいでいる。
「凄い凄い! 私屋根より高く飛んだ!」
「アタシも! すっごく気持ちよかったわ!」
「みゅーも! みゅーもやる!」
「ミュイは流石に無理よ……ですよね聖女様?」
「うーん、それならこうしましょう!」
ベンを地獄に突き落とした天衣無縫の三歳児を抱っこすると、アプリコットは自分の足に力を集中する。そうして乙女らしからぬ「ふんぬっ!」という気合いを込めれば、その体が今までの倍、一〇メートルほどの高さまで跳び上がった。
「きゃー! たかーい!」
「でしょう? さ、降りますよ」
ほんの一秒空に留まると、はしゃぐミュイを優しい目で見たアプリコットの体が落ちていく。その速度はかなりのものであったにも関わらず、アプリコットはトスンと小さな音を立てるのみで、楽々と着地を決めた。
「ふふふ、お空はどうでしたか、ミュイちゃん?」
「んーとねー、ピャッってしてた!」
「そうですか。楽しんでもらえて良かったです」
「うん! おねーちゃ、ありがとー! ねえ、みゅーもとんだ! みゅーもとんだよ!」
抱きかかえていた体をそっと降ろすと、ミュイは極上の笑顔でお礼を告げて、他の子供達のところへと走っていった。その後もアプリコットは希望者全員を空に投げ、そろそろ終わりかなと言ったところで、不意にベンがその側にやってきた。
「なあおい、チビすけ」
「むっ、まだ言いますか! 何ですか?」
「いや、その……何つーか……あれだよ。お前、スゲーんだな」
ふてくされたように俯きながら、それでもベンがアプリコットを認めるような事を言う。その子供らしい不器用さに、アプリコットの中にあった僅かな敵愾心が一瞬にして吹き飛んだ。
「ありがとうございます! まあ私が凄いというよりは、神様が凄いんですけどね。ほら、私の体は別にムキムキってわけじゃないですから」
「そうだよな。何でそんな細っこい腕で……それこそ神の奇跡ってことか?」
「ですね。あ、勿論奇跡に頼りっきりってわけじゃなくて、ちゃんと私自身も鍛えてますよ? 筋肉は日々の積み重ねによって育つのです!」
シュッシュッと、アプリコットが宙に向かって拳を突き出す。一見すると女の子が遊んでいるようにしか見えないが、見る者が見ればその動きが極めて洗練されているもだというのがわかる。
「……積み重ね、なぁ」
なお、ベンはただの子供なので、遊んでいるようにしか見えなかった。ゆったりしたローブに包まれているのでアプリコットの体は見えないし、その手もプニッとした女の子の手だったので尚更だ。
「…………ちょっと、俺も頑張ってみるかなぁ」
なので、男の自分が頑張れば、割と簡単に追いつけそうな気がしてしまった。これがベン少年の「筋肉の目覚め」となったのだが……それが成果を結ぶのは、まだずっと先の話である。
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