第18話 あいさつの練習

 未咲「春泉ちゃんってどんなあいさつしてたっけ……はろー、あでゅー……?」


 とっさに「ハウディー」が出てこなくてびっくりした。わたし、こんなに春泉ちゃんから遠ざかってたんだ……。


 未咲(自分を責めちゃだめっ……向こうにいっちゃいそうだから……)


 いまのは単にド忘れしただけ……そう思いたい。


 未咲「でもほんとに最近春泉ちゃんの挨拶聞いてなかったから、すぐに出てくるわけないよ……」


 かなしみのさなかにまだあるのは確かだし、それもしかたない。


 未咲「ハウディー……いい響きだったなぁ」


 こちらが元気をもらえる魔法の呪文のような。それくらいのことは感じている。


 未咲「また聞きたいな……もう聞けないけど」


 思い出として撮ってある動画の中にあるかどうか……見て確かめてみよう。


 未咲「……ない」


 そこまで考えて撮ってこなかった。ほんとにかけがえない時間だったんだ……。


 未咲「記憶の中にしか残ってないってこと……? そんなのやだ……」


 後日、再び春泉ちゃんの両親のところに行く機会を得たので、そのときに訊いてみた。


 春泉母「あるわよ」

 未咲「ほんとですか?!」

 春泉母「ええ、だいぶ小さい頃のものにはなるけどいいかしら?」


 そこにはちいさな春泉ちゃんが懸命に英語でのあいさつ表現を覚えてるところが映っていた。


 春泉母「英語が得意になったっていうから頑張らせてたんだけど……今度は日本語がよくわからないってこちらに泣きついてきて……それでやめさせることにしたの」

 未咲「そうだったんですね……」

 春泉母「あいさつことばだけはよく覚えてたみたいで、それであなたたちにはこんなヘンなあいさつばかりして……ほんとごめんなさいね」

 未咲「いいんです、いいんです。むしろ心地よかったので」

 春泉母「そう? ならいいんだけど……」

 未咲「こんなあいさつするのって春泉ちゃんくらいしかいなくて、それがわたしたちにとってはよかったんです」

 春泉母「ありがとう、わざわざきょうもこちらに来てくれて……こんなに荷物毎回たいへんだから、今度からは最小限でいいわよ」

 未咲「いいんです、これも春泉ちゃんのためなので……」

 春泉母「ヘンなもの見せてごめんなさいね。これで春泉のことがよくわかったって思ってもらえるなら見せてよかった気はするけど……」

 未咲「もちろんです! いいもの見せていただきました!」

 春泉母「うふふ、ありがとう」


 春泉ちゃんのことが少しわかってよかった。これできょうも心置きなく帰れそう。


 未咲「ありがとうございました。また来ます」

 春泉母「はい、来れるときにいつでも連絡して」


 そういえば、春泉ちゃんのお母さんはいままで何してたんだろう。


 未咲「仕送りとかもあったはずだよね……そういうのぜんぜん見かけなかった気が……」


 わたしの中でまた謎が広がる。じっくり考えて結論が出るのに少し時間がかかる。


 未咲「あっ、そっか……」


 春泉ちゃんの家にまるでなかったということは、きっとそういうことだ……。


 未咲「自分第一でよかったはずなのに……もちろん自己中って意味じゃなくて……」


 悔やんでも悔やみきれない。そのことだけが頭にずしんと響く。


 未咲「そのへんの心配しなきゃだめだったかな……もう遅いよね……」


 春泉ちゃんのお母さんはきっと悪くない。春泉ちゃんは自分で死を選んだんだ。


 未咲「どうにもならなかった、のかな……本当に……」


 やっぱりいくら考えても、とてもいいようには考えられない。


 未咲「……行こう」


 冷たくなった春泉ちゃんの感覚を思い出しながら、海沿いの雪道を歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る