第14話 書道ガール

 今回の話のだいたいの感じ

 ・「発展」という文字のふた文字にさしかかるあたりで、大きい筆で書くパフォーマンスをしている女の子に異変が起こる

 ・それがすなわち……


 きょうは日々練習を重ねてきたことを目いっぱい発揮する日。うまくいきますように――。


 わたし、潮干狩ひかり。書道にいそしむ、いたってふつうの学生。名前はよくいじられるからあまり言わないでほしい。


 大きな半紙の上に立つわたし。いまからここで大勢の人の前でのパフォーマンス。


 ひかり「うまくいきますように……」


 胸の上で十字を切る。親がそういう信仰なので、つい癖でやってしまってる。わたしはそういうのあまりないほうなんだけど……。


 ひかり「よし、なんとかやっていけそう……」


 みんなのほうを見渡してみる。やっぱり緊張するなぁ……。


 ひかり「うぅっ、あと寒い……これこのままやっていいのかな……」


 派手にやるにはあまりに寒い。それがわかっているだけになおさらやりづらい。


 ひかり「それでもやらないと……ここに紙を置いた意味がなくなっちゃう……」


 それがべつの意味に変わってしまうことに気づいたのはやってしまったあと――。


 ♦


 ひかり「それではみなさん、よろしくお願いします!」


 集まってくれた観客に一礼する。あいさつは基本だって口酸っぱく言われてるし。

 拍手が起こり、いよいよやっていこうとしたそのとき。


 ひかり「んっ?!」


 ちょっと大きめの声が出てしまった。気づく人には気づかれるくらいのそれが。


 ひかり「これ、全部書ききれるかな……」


 大きな習字用紙に書く文字は決まっていて、「あしたへの発展」だった。


 ひかり「絶対にあそこで失敗はだめ……恥ずかしいことになっちゃう……」


 なんだか自分の未来が見えるみたいで怖くなった。それでもやるしかない。


 ひかり「大丈夫、これまでしっかり乗り越えてきたしっ」


 なんとか気丈にふるまって、大きな筆に墨汁をつけた。


 ♦


 ひかり「よしっ、できる……」


 呼吸を整え、本日の文字を書く態勢に入った。


 ひかり「あそこで失敗はだめ、あそこで失敗はだめっ……」


 思えば思うほど、そうなる未来しか見えない。どうしよう……。

 問題の部分にさしかかったとき。


 ひかり「あっ!」


 部首でいうとしかばね(尸)のところ。そこにわたしが立ったときだった。


 ひかり(これ、もう間に合わないかも……)


 そう思ったときにはもう遅く、動きが止まっていた。


 ひかり(みんな、見ないで……)


 そう思ってもずっと注目されてるし、最後の方なのに……。


 ひかり(もうだめ、でちゃう……)


 ぴちゃぴちゃ……。


 ひかり(あれ……?)


 そのとき、偶然にも雨が降り出した。


 ひかり(今日降るって予報なかったのに……なんで?)


 屋外でやっていたので、その可能性はじゅうぶんあったんだけど……。


 女性「あら、雨かしら?」

 男性「こりゃ長引きそうだ。悪いけど俺はここで帰らせてもらうよ」

 女性「ちょっと! まだパフォーマンスしてる最中じゃないの!」

 男性「知らんよそんなの。とにかく俺は行く。いいよな?」

 女性「なんなのよもう……あとちょっとなのに……でもたしかにそうね、きょう雨が降るなんて思ってなかったし……ってあなた、傘!」

 男性「お?」

 女性「ちょうど持ってきてたの。これでいい?」

 男性「おーありがたい。あの子にも差してあげたいけどなぁ……」

 女性「それはもうしょうがないんじゃない……ずぶ濡れでもやるだろうし」

 男性「よく見たらあの子、何か我慢してるように見えるけど……」

 女性「気のせいよ、パフォーマンスに集中して」


 ただ、たしかにこのままだと紙にせっかく書いた文字がにじんでいってしまう。まだ乾ききってないし、ここで引き上げたほうがよさそう。


 ひかり(でも、もう一歩も動けない……ここで出しちゃうかも……)


 そして何もできないまま時間は過ぎていき、その液体は流れ出ていった。


 ひかり(これ、もしかしたらはっきり「尿」の概念が描かれてるって笑われてたかも……雨降ってくれてよかった……)


 しかばねという部首の開いた部分に水があるからそうなる。少し頭をひねったらすぐたどり着きそうなことだった。


 ひかり(でもやっぱりちょっと恥ずかしい……まだ見てくれてる人がいるし……)


 なにしろ雨が引いたら……考えたくもない。


 ひかり(結局作品にならなさそうな気がしてくるのは、きっと気のせいじゃないはず……わたしがこの格好してる意味もわからなくなっちゃう……)


 いくら雨でごまかせてるとはいえ、おしっこくさくなってるはずだし……。


 ひかり(これを作品って言っていいのかどうか……未完成の完成はあるけど……)


 正直この上に書いたとしても恥ずかしいだけ。ここは素直にいこう。


 ひかり「えっと、みなさん……雨も降り始めたので、すみませんがここでやめさせていただきます!」


 少しの驚きとともに、それもしかたないといった雰囲気につつまれる。


 ひかり「最後まで書けませんでしたが、精一杯やれてよかったです!」


 傘を差した観客から拍手が送られる。ここで降りるべきだった。


 ひかり「はぁ……終わった……」


 下は散々なことになっていて、とても残せそうにない。


 ひかり(まぁ、わたしとしてはそっちのほうがいいんだけど……)


 うれしいやら悲しいやら……きょうはついてない。


 ひかり「さて、帰ろっと……」


 道具をしまってパフォーマンスを終わろうとする。


 男性「ちょっといいですか?」

 ひかり「あっ、あなたはさっきの……」

 男性「いいパフォーマンスでした。ところで下に広がってる水たまりって……」

 ひかり「えっ? あの、これはもちろん雨のですけど……」

 男性「だといいんですが……こちらから見るとちょっと何かを我慢してるように見えまして……この寒い中ですし大丈夫かなと……」

 ひかり「ご心配ありがとうございます……えっと、ほんとに大丈夫なので!」

 男性「わかってますよ、ちょっと気になっただけですから」


 そう言って男性は去っていった。ほんとにばれてないよね……?


 ひかり「よかった……雨でなんとかごまかせたかも……」


 勘のさえた人だったらいまごろ……考えるのはやめておこう。


 ひかり「よし、今度こそ……」

 男性2「ねぇ君」

 ひかり「何ですか?」


 今度は別の男性が声をかけてきた。これ、もしかするとまずいかな……。


 男性2「もしかしてさっき、おもらしした?」

 ひかり「な、なんでわかったんですか……?」


 あと少しだったプライドが崩壊して、思わず声が震えてしまった。


 男性2「そりゃわかるよ、あれだけ震えられちゃ」

 ひかり「すみません、お見苦しいところをお見せしてしまって……」

 男性2「いやいいんだよ。むしろそんな中でよくやってるなって感心したんだよ」

 ひかり「そ、そうなんですか?」

 男性2「そりゃそうだよ。オレだったらブルッて逃げ出してもおかしくなかった」

 ひかり「さすがに途中で投げ出すわけにもいかなかったので……」

 男性2「そこでなんだけど……さっきみたいな感じでオレだけに見せるってことできたりしないかな~って……」

 ひかり「!」


 ぼっと顔が赤くなる。いくら見せちゃったからって、こんなにストレートに言ってくる人がいるなんて……!


 ひかり「お、お断りします!」

 男性2「ほぅ、だったらこの動画、ばらまかれちゃってもいいの?」

 ひかり「もしかして脅しですか?! そんなのには屈しませんよ!」

 男性2「ははは、安心してくれ。いまちゃんと消したから。頑張ってる中でこんなアクシデント起こされたらさすがにこっちも消さなきゃまずいだろ?」

 ひかり「ほんとでしょうね……ちょっと確かめさせていただいても?」

 男性2「いいよ、はい。バックアップも何もしてない、正真正銘のシロだぞ」


 やけに余裕そうな男の人。余計にあやしくうつるのは気のせいかな……。


 ひかり「確かに消したようですね、このスマホからは」

 男性2「まだ疑ってる? よしてくれよ、オレこう見えて貧乏なんだからさ」

 ひかり「まだ信用なりませんね……もしかしてもうあげてしまって、こっちからは見えることがないように消したのでは……」

 男性2「そう思うのなら調べてみるといいよ。さっきのパフォーマンスを撮ってたのはオレだけじゃないから、もはや誰があげてるかなんて……」

 ひかり「警察の力、借りさせていただいてよろしいでしょうか?」

 男性2「うーん、証明のしようがないなぁ、オレがこんなことしたばっかりに……とにかく本当にやってないからね? 突き出してもいいけど、何も出てこないよ?」

 ひかり「疑わしきは、ですもんね……もしほんとに消したというのなら、あなたの要望に応えていいでしょう。いいえ、どちらにしても間に合いません……」

 男性2「いいねぇ、その苦悶に満ちた表情……それが見たかったんだよ……」

 ひかり「許しませんよ……あなたと話さなければ、いまごろ間に合ってたかもしれないのに……」

 男性2「それは悪かった。オレのことは気にせず行ってくれ」

 ひかり「無理だって言ってるじゃないですか……あぁっだめっ、でちゃう……」


 しゃがんだときに見える純白のパンツに、オレはばっちり目を奪われてしまった。


 ひかり「んきゅぅっ!」


 その場所に追い打ちをかけるように、わたしは快感を伴いながら出していった。


 男性2「おーこれはすごい、オレの前でしてくれてるとは思えないほどだな……」

 ひかり「見ないでください、恥ずかしいですから……」

 男性2「そうはいっても、こうあけっぴろげにされちゃ見ないわけにも……」

 ひかり「そこは見ないのが人としてやってほしいところです!」

 男性2「うん、そうだね、こっちが悪かった……じゃ、オレはここで」


 そこから先は何も言わずに去っていった。ほんとにばらまかれてないよね……?


 ひかり「心配だけど信じるしかなさそう……ちゃんと消えてはいたから……」


 もやもやは残るけど、とにかく終わってよかった。


 ひかり「次こそ帰る……きゃっ!」


 帰ろうとした途端、前のめりになって派手に転んでしまった。


 ひかり「いった~……ここおしっこしちゃったところなのに……」


 よりくさくなって帰ってきてしまった。恥ずかしくてとても前を向けない。


 ひかり「ただいま~……」


 

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