第4話 短日の 黒字と赤字 これにあり
未咲「ねぇ玲香ちゃん」
玲香「何よ」
未咲「あのね、この前おもしろいことに気づいたんだー」
玲香「何かしら? それってちゃんと意味があることよね?」
未咲「もちろんだよ! えっとね、外歩いてるとよく看板を見るんだけど、肝心の赤い部分が消えてよく読めなくなってて、目立つ色なのになんでかなって……」
玲香「目立つからこそ消える、ということはあるかもしれないわよ」
未咲「えっ、どういうこと?」
玲香「さぁ、わたしもわからないわ」
未咲「玲香ちゃん……」
めずらしく適当に答える玲香ちゃん。わたしは次に続くことばをずっと考えていた。
玲香「黒字と赤字ってあるわよね」
未咲「うん……それがどうしたの?」
玲香「黒字のほうがうれしいじゃない。赤字は消えたほうが気持ちが楽でしょ」
未咲「そうだけど……なんだか適当だね……」
玲香「そうかしら? わたしはいいと思ったんだけど……」
もっと消える理由とか知りたかったな……思ってたものじゃなくてがっかり。
玲香「嫌になったことがあるの」
未咲「?」
玲香「音楽の話。ピアノを教わってた頃のこと思い出したのよ、ふとさっき」
あれは嫌だった。ピアノの先生に指遣いを矯正されたときのこと。
先生「違う! ここはこう! 指痛めちゃうでしょ!」
玲香「やだ、わたしこう弾きたい!」
先生「ほんと聞かない子ね……わたしがどれだけの思いであなたにつきあってると思ってるの!」
玲香「そんなのわたしにぶつけられてもわかんない! もういい! やめる!」
そこまでいきそうになってしまった。あとから思い直してやろうとは思ったけど。
玲香「直るまで本当に時間がかかったわ……あのときはほんとうに……」
自分なりのやりかたを見つけたと思ったけど、教える側にはそんなの関係ない。そのときにはじめて知った気がする。
玲香「おたがい熱が入ると見えなくなるものね……大変だったわ……」
黒鍵が目に浮かぶ。赤い鍵盤なんてものはないけど。
玲香「未咲が言わなかったほうの話をしてごめんなさい、つい思い出したの……」
未咲「いいよいいよ、話したかったんだよね」
玲香「そうね、話せてすっきりしたわ」
鍵盤を叩きそうになることもあった。実際あったかもしれない。
玲香「いまとなっては遠い話のようだけど、ふとしたときに思い出すものね……」
少し先を見る。うっすらとかかる雲とよくなじんだ空にかつてのわたしを見る。
玲香「ちょっと疲れたわ……横になっていいかしら?」
未咲「玲香ちゃん? ここ外だよ?」
玲香「わかってるわよ……その上で言ってるの」
そうして着いたのが砂浜。やっぱりここだった。
玲香「早いうちにここに来たほうがよかったわね……日が暮れちゃうわ」
未咲「そうだね……なんたってここは冬だもん……」
そう言ってわたしも寝た。玲香ちゃん見てると眠くなっちゃって……。
玲香「いや、わたし眠気とかはもよおしてないんだけど……」
未咲「ぐーすかぴー……」
このいびきの仕方……恥ずかしくなるからやめてほしいんだけど……。
玲香「はぁ……わたしも寝ようかしら……」
正直に言ってかなり無防備。人が寄ってくる気配もないし、いいと思った。
??「?」
遠くから気配がする。未咲はまったく気づいてない。
玲香(どうしよう……ヘンな人じゃないといいけど……)
怖くて動けない。さらに近づいてくる。
??「えいっ」
玲香「うっ?!」
何かが刺さったような感覚……がしたような気がした。
??「えっへへ、びっくりした?」
玲香「血は出てないようね……これは一体どういうことかしら……」
目を見開いたのも一瞬のことで、真上を見るとわたしを狙った人物が立っていた。
子ども「これね、試してみようと思って!」
玲香「これって……ナイフのおもちゃ……?」
子ども「そ! なんかおねーちゃんさしたらおもしろいかなーって思って……」
なんとも無邪気……とも言いがたい。ここはしっかり叱っておかないと……。
玲香「あのね、こういうことは……」
子ども「えーいっ!」
未咲「ぐはっ!」
気づくとその子どもは横で寝ていた幼馴染を狙っていた。これはさすがに……。
玲香「やめなさい!」
子ども「えっ? なんで?」
玲香「なんでも何も……確かにそれは、警戒せず寝てたわたしたちにも原因はないとは言えないけど……」
子ども「だよね! だったら狙ってもいいでしょ?」
玲香「どうしたものかしら……」
そのまま強気でいけばよかったけど、自分たちにも非があると思ってしまった。
玲香「とにかくこういうことはだめ。お姉ちゃんたちびっくりしちゃうから」
子ども「わかった……とでも思った?」
そういって取り出したのは……。
未咲「えっ、これって……」
子ども「本物のナイフだよ。これでびっくりしなくなる?」
玲香「それをいますぐこちらに渡しなさい! そんな危険なものあなたが持っていいものじゃない!」
子ども「危険なもの? それってお姉ちゃんたちが勝手に思ってるだけだよね?」
玲香「そうやってまた強がって……」
子ども「これ使うことでお姉ちゃんたちの血の色が知れる……赤かな、それとも……」
玲香「やめなさいって言ってるでしょ!」
子ども「やめないよ。だって怖くないもん」
玲香「怖いか怖くないかの話じゃないわ! 未咲も何か言って!」
未咲「えっと……お姉ちゃんのおしっこ見る?」
子ども「そんなの興味ない。なんで見せたがってるの? 頭おかしいの?」
未咲「ぐはっ!」
刺されてもないのにそんな反応してる場合じゃないでしょ……本当にどうにかしたい。
子ども「おしっこの色なんて知ってるもん。ぼくが見たいとでも思った?」
未咲「うん、ちょっとだけね……」
玲香「ああもういいわ未咲、ちょっと口閉じておいてくれると助かるんだけど」
未咲「了解でーす……」
子ども「ふたりとも油断しすぎ……こんなに近くにいるのに逃げなくていいの?」
玲香「逃げられないのよ……あなたがそんな目で見てくるから……」
子ども「ぼくのことが怖いの? なんで?」
玲香「そりゃ、その手に持ってるもののせいよ……」
子ども「他には?」
玲香「他にって……それくらいしかないわね」
子ども「嘘。ふたりともこの季節が終わらないって思いつづけてる。そのせいでぼくのことを怖がってる」
玲香「それが嫌なの? だったらなんでこんなこと……」
子ども「こんな季節が終わったら、みんなぼくにやさしくしてくれる」
玲香「そうかもしれないけど……」
子ども「なんとかできないの。ぼく、もうこんなところまできちゃった……」
そう言ってナイフを地面に落とす。そして次の瞬間……。
子ども「うっ、うぅっ……」
失禁が始まった。ここまで緊迫したところで見るのははじめてかもしれない。
子ども「手がかじかんできた……なんで……ころしたいのに……ふたりをころして、いっぱい血が見たいのに……」
なにかこの子の中で抱えてる思いがあるかもしれない。このままじっくり聞こう。
子ども「できなくなっちゃった……あったかいのは血だけでいいのに……」
どんな人生を歩んできたんだろう。夢であってほしい。
♦
未咲「えへへ……男の子のおもらし……」
玲香「あれ、いつの間にわたし眠ってたのかしら……」
海の音が聞こえる。もっと別の音も聞こえる気がするけど……。
玲香「いい眠りだった……とはいいづらいわね……横ですごい音するし……」
未咲「えへへ……」
いい加減止めなさいよ……幼馴染として恥ずかしいんだけど……。
玲香「そういえばこんなときあったわね……まんまこの状況で……」
♦
みさき「れいかちゃーん! さっきね、こわい夢みたの!」
れいか「みさきちゃん?! あしがすっごくぬれてるよ?!」
抱きつかれたときに熱を感じたのは秘密。そのときもずっと出ていた。
みさき「あはーん!」
れいか「よーしよし、こわかったねー」
♦
玲香「いま思うとこんな感じに言ってたのね……ちょっと考えられないわ……」
思い出して、現在とのギャップに自分で驚いてしまっている。
玲香「ちょっと……いやかなり可愛かった、かも……」
未咲「えっ? どうしたの玲香ちゃん?」
玲香「何でもないわ! 聞こえてなかったわよね?」
未咲「ばーっちり聞こえてたよ♡」
玲香「いますぐ忘れて! いや、覚えててもいいけど今後いっさい口にしないこと、わかったわね?」
未咲「はーい♡」
あのときみたいに漏らして、笑顔までそっくり……そりゃ、本人だから面影くらいあるだろうけど……。
未咲「生きてる証拠だもん……おしっこくらいしたくなるよ……」
そんな未咲は自分のしたことを恥じている最中だった。背筋が凍る悪夢だった。
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