第2話 ときに玲香
今後どうしよう……そう思っていたとき、真琴から連絡がきた。
真琴「玲香、いま話しても大丈夫だろうか?!」
玲香「ええ、いいわよ……それにしても相変わらずの話しかたね」
真琴「仕方ないだろう?! わたしは昔からこうなのだから!」
玲香「そうね……指摘したわたしこそ野暮だったわ、ごめんなさい」
真琴「いいのだが……最近の玲香は大丈夫だろうか? ふと心配になって連絡してみたはいいものの、なんというかこう……こういうときにどう話していいかわからなくてだな……健康に関する話ならすっと出てくるのは自分でもわかってて……」
玲香「はいはいそうね、できれば心に関しても知っておいてくれたら助かったわ」
そのままフェードアウトしていきそうな雰囲気。なんとかして止めたい。
真琴「ときに玲香、最近寝不足などは……」
玲香「ないわね、まったく問題ないわ」
真琴「そうか、運動に関しては……」
玲香「毎日買い物に行くくらいなら」
真琴「そう、だよな……ここでもない……とすると……」
玲香「何が知りたいのかしら? わたしそろそろ寝る時間なのよ……ふぁ」
めずらしく玲香のあくびが聞けた……いやいやそのことはいいんだけど……。
真琴「そうだ! 未咲との関係は……」
玲香「あのね、あの子とわたしはもうなんでもない関係よ」
真琴「えっ、そうだったのか……だったらこの前見かけた未咲の楽しそうな顔は……」
玲香「同棲してる彼氏のことでも考えてたんじゃないかしら」
真琴「そう、か……それははじめて知った、ような……」
そういや伝えてなかったわね……そこまで深いつきあいがあるわけじゃないからつい忘れてたけど。
真琴「……まぁ、それはそれでめでたいことではないか? 素直に祝福しようではないか!」
玲香「はいはい、そっちでやってて……電話切るわね」
真琴「待て待て待て! これからそちらに訊ねた……」
切られてしまった。その雰囲気はずっと感じてはいたものの。
玲香「はぁ……」
寝る、とは言ったけどまだ練習したい欲がないわけではない。わたしはこういうときついやりたくなってしまう。
玲香「でもこういうときこそ休みどきなのよね……それはわかってるんだけど……」
どうしても指が動いてしまう。それくらいのものだった。
玲香「あと真琴と話してて思い出したことがあるのよね……これまでの自分のふるまいを顧みたときにどうしても納得がいかない部分があったというか……」
それは自分が巨万の富を手にしたときのこと。考えるだけでも恐ろしい。
玲香「嫌な顔されても気づけなかったかもしれないわね……いまにして思えばお金だけで人を動かしていた気がするわ……」
いろいろやってきた。自己実現のために。さまざまな無理はそのご褒美だとも。
玲香「もっと大切なことが見えていたらよかったわね……そうしたらあの子たちともいまごろ良好な関係を……」
つくづくそのあたりの関係は難しいと感じる。若気の至りともいうべきか。
玲香「手にするには早かったということかもしれないわ……見えてからでも遅くはなかったはず……」
そうすれば、いまほどのことにはなっていなかったと思う。
玲香「少なくともわたしの考える範囲でだけどね……さて、寝ましょうか」
自分なりにまとまったところでベッドに就く。やっぱり落ち着かない。
玲香「自分の身体をなでると落ち着くって聞いたことがあるわね……試してみようかしら……」
さながら冷えた身体をあたためるように、あるいはほんとうに身体の芯をあっためるようなしぐさを寝る前にしていた。
玲香「さっきと比べると、だいぶましになった気がする……」
天井をあおぐわたしの寝姿を見届けてくれる人はいない。両親とも疎遠になりつつある。
玲香「自立できてるって勝手に思ってたけど……いろいろ失くすと気づくことってこんなにもある……」
涙があふれそうになる。頼れるものを探すほうが困難になっていきそうだった。
玲香「大丈夫、わたしはわたしだから……」
最後は自分を抱きしめるようにして眠りについた。これでよかったのかしら……。
♦
翌朝。昨夜と変わらないトーンで真琴が電話をかけてきた。
真琴「ゆうべはよく眠れただろうか?」
玲香「そうね、おかげさまで」
真琴「それはよかった。アドバイスはいらなかったということでよいか?」
玲香「そう捉えていただいて結構よ、ご心配ありがとう」
真琴「こうして話できてよかった……ところできのう聞きそびれたことが……」
玲香「きっとあのふたりのことでしょ……うまくいってると思うわ」
真琴「そういえばふたりでいるところを寝ている間に思い出したのだが……未咲の脚が濡れていたのにはなにか理由があってのことなんだろうか……?」
玲香「……それに関しては教えなくてもよさそうね」
やさしく電話を切る。少し不躾だと思いつつ、ヘンにつっこまれても困るので。
玲香「観察眼あるわね……あとは考えてほしいところだけど」
いまごろちょっと煩っていてもおかしくないとか考えながら練習にはげむ。
玲香「いろいろつっかえがとれたおかげで、ほんのわずかだけど指の運びがスムーズになった気がする……話せてよかったのかもしれないわね」
ここからどうなっていくか楽しみにしている自分がいた。そのためにやる。
玲香「心配かけたくないもの……やらなきゃねっ」
ちょっと楽しくなってる。誰にも見せることなかったかもしれない。
玲香「やだ、こんなところで出ちゃうなんて……でもやっと見えてきた気がするわ……ここで折れたら自分じゃないもの、やるしかないわ……」
正確さをあげていく。たいへんに思えたことも気持ち次第で変わっていく。
玲香「それがわかっただけで、わたしにとっては十分だわ」
言っている間に一曲が終わる。もとからそこまで長くなかったけど。
玲香「これでも序の口なのよね……山はどこまでも高くて届きそうにないわ……」
ここまでやってきた自分だから知っていること。完璧にやろうとするとむしろ足をすくわれる気がしてたまらない。
玲香「肩の力を抜くくらいがちょうどいいっていつか気づけてよかったわ……誰のおかげだったかしら……」
忘れるくらいの時間が経ってしまっている。と、ふと思い出したことがあった。
玲香「小学校の音楽の先生に山下先生っていたわね……とっても好きだった……」
胸に手を当てて思い出してみる。これがはじめての音楽体験だった。
玲香「それまで会った人の中で一番ピアノが上手で、はじめてしてみたいって思ったっけ……」
ただ、通いはじめたピアノ教室で事件は起きた。
玲香「みんながちゃがちゃしているようで音感がすぐれてる子ばかりだった……簡単に蹴落とされるってそのときはじめて気づいたような……」
あるときそれが恐怖に感じ、硬直したままおもらししてしまった。
玲香「全部見抜かれてて……すごくやめたいって思っちゃった……」
なんとか気持ちを取り戻してやってみるも、うまくいかない時期がずっと続いた。
玲香「始める時期じゃなくて自分の力量の問題だったかしら……とかいろいろ考えているうちにわけがわからなくなって、叫んで逃げ出したこともあったっけ……」
結果正解だったような気がしている。ひとりで打ち込むようになったから。
玲香「高いお金を出してくれた両親には感謝しかないわね、ほんとうに……」
あきらめたくなかった。それでよかった。
玲香「いまはこんな感じだけど……きっと思い出せるわよね……」
そう信じてやっていくしかない。わたしはそう決めたんだから。
玲香「ふぅっ……いろいろ考えたら疲れてきちゃった……」
落ち着くことも大切だと、きのうのことでよくわかった。
玲香「思い出すことはできたし、もうとらわれてるわけにはいかないわね……」
前を向きなおして鍵盤に向きあった。進める気がした。
玲香「ほんとにちょっとずつね……進んでるかどうかすら見えにくいけど……」
これでいいと思えるまでやっていく。そう誓った。
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