第32話:塞翁失馬1

「ライアン宰相閣下、ダウンシャー王国がフェリラン王国に攻め込んできたというのは本当ですか?」


 徐々に情報収集能力を高めているクリスティーナ宮中伯が聞いてきた。

 アンネリーゼ殿下に仕える人間達がそういう姿を度々見るようになっている。


 殿下を助けた女傑という評判だけでなく、情報収集能力も政治力もある存在として認められつつある。


「はい、彼らは亡命してきたチャーリー王子にフェリラン王国国王を名乗らせ、忘恩に叛臣を討つという名目で攻め込みました」


「どうするのですか?

 チャーリー王子はライアン宰相閣下を恨んでいるのでしょう?

 アンネリーゼ殿下に忠誠を誓った者達を攻めるのではありませんか?」


「確かに、その可能性はあるでしょう。

 ですが、可能性としては低いと思っています」


「何故ですか?

 どうして低いと思われたのですか?」


「私に聞く前に、自分で考えてみてください。

 チャーリー王子としてだけでなく、チャーリー王子に味方した、ダウンシャー王国の国王や宰相に成った気分で」


「ダウンシャー王国の国王や宰相の気分でですか?」


「はい」


 俺達の会話を、行儀見習いとして国内外の貴族家からやってきた、侍従や侍女が興味津々に聞いている。


 クリスティーナ宮中伯が人材を育てる為に迎え入れた者達だ。

 戦国日本の大名家が集めていた近習達と同じだ。

 人質であると同時に、将来の重臣候補だ。


 いずれはこの国を去る俺から言いだすわけにはいかなかったので、クリスティーナ辺境伯が、気が付いて実行してくれたのはありがたい。


「1国の王や宰相が、単なる同情で軍を出すはずがありません。

 何かダウンシャー王国の利があるのでしょう?」


「その通りです。

 その利を考えてみてください」


「軍を動員するのに必要な費用や食糧は絶対に支払ってもらわなければいけません。

 死傷した将兵に対する補償もです」


「クリスティーナ宮中殿は、それだけの利で殿下から預かった大切な軍を他国に派兵しますか?」


「絶対にしません!

 将兵が行うであろう略奪や殺傷は不問にさせます。

 それに、領地は絶対にもらわなければなりません。

 手柄を立てた将兵に領地を与えなければいけませんから」


「そうですね、それは当然の事ですか、同じように大切な事がありませんか?」


「同じくらい大切な事ですか?」


「はい、同じくらい大切な事です。

 クリスティーナ辺境伯殿が宰相で、アンネリーゼ殿下から軍を預かっていて、フェリラン王国を攻め込むときに気を付ける事です」


「あっ?!」


「分かりましたか?」


「たぶん、分かったと思います。

 絶対にライアン宰相閣下の竜がいる場所には近づきません。

 アンネリーゼ殿下からお預かりした大切な軍を、絶対に無駄死にさせるわけにはいきません!」


「ようやく分かりましたか?」


「はい、愚かな事を申してしまいました。

 ダウンシャー王国軍が、アンネリーゼ殿下に忠誠を誓う者を襲う事は、絶対にないのですね」


「世の中に、信じられないほど愚かな者もいれば、欲に目がくらんで正しい判断ができない者もいます。

 そのような者ならば、殿下の家臣を襲う事もあるでしょう。

 ですがその時は、竜達が思い知らせてくれます。

 私がフェリラン王国に行く必要などありません」


「では、何故ダウンシャー王国は攻め込んできたのでしょう?

 アンネリーゼ殿下に忠誠を誓う者とライアン宰相閣下が攻め取った領地を併せると、既にフェリラン王国の2/3は手出しできない場所になっています。

 その程度の領地しか手に入らないのに、大切が軍を出した理由が分かりません」


「軍をどれほど大切に思うかは、人それぞれです。

 私やクリスティーナ宮中伯殿のように、とても大切に思う者もいれば、自分の利の為なら平気で使い潰せる者もいます」


「ダウンシャー王国の国王や宰相は、そのような者だと申されるのですか?」


「そこまでは申しませんが、大切に扱えない可能性はあります。

 ダウンシャー王国では、人が余っているのです。

 国土で採れる食料に比べて民が多いのです。

 特に支配者である貴族士族の数が多過ぎます。

 次男以下は、冒険者となって命懸けで富を得るか、平民となって親兄弟に仕えて農地を耕すしかないのです。

 それも、今まで仕えてくれていた農民を追い出してです」


「何処の国も同じなのですね。

 我が国も、ライアン宰相閣下が竜を狩りオアシスを造ってくださるまでは、同じような状態でした」


「ダウンシャー王国の状況が分かったので、改めて考えてもらいましょう。

 ダウンシャー王国は何故軍を派遣したのでしょうか?」


「貴族士族の次男以下に、領地を得る機会を与える為なのですね。

 たとえ死ぬ事になろうとも、冒険者として命を賭けるよりは価値があるのですね」


「はい、その通りです。

 ですが、それだけですか?

 他に何かありませんか?」


「ライアン宰相閣下が聞かれると言う事は、何かあるのですね。

 そうですね、あ、領地を与えられるほどの手柄を立てられなくても、それなりの財貨を奪えればいいのですね!」


「はい、貴族士族の城砦を襲い、一生安楽に暮らせるくらいの財貨を手に入れられれば、貴族士族になれなくても、命懸けの冒険者を一生続けるよりは安全です。

 たった1度、城を落として略奪に加われたらいいのですから」


「だとすると、ダウンシャー王国軍は勝てる相手としか戦わないのですね!

 絶対勝てる相手とだけ戦い、安全に略奪の限りを尽くすのですね!」


「恐らくはその通りでしょう。

 勝てない相手が現れたら、奪った城に籠るか、自国に逃げこみます。

 隙を見つけるたびに、叛臣を討つという名目で、チャーリー王子を前面に押し立てて攻め込むつもりでしょう」


「……フェリラン王国の民は不幸ですね」


「愚かな王を仰ぐしかない民は不幸です。

 愚かな王を育てた者の罪はとても重いのです。

 クリスティーナ宮中伯殿や侍従侍女の責任はとても重いのですよ」


「他人事のように言わないでください!

 ライアン宰相閣下にも同じ責任があるのですよ!」


「私は元々フェリラン王国人です。

 殿下とクリスティーナ宮中伯殿に、殺されそうだから助けて欲しいと頼まれたから、一時的に手助けしているだけに過ぎません。

 殿下やクリスティーナ宮中伯殿、ジェラルド王国の方々が、私にだけ責任を押し付けて楽をしていると思ったら何時でも出て行きますから、その心算で居てください」

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