誕生日
尾八原ジュージ
六月二十三日
玄さんから突然電話があったのは五月二十二日の午前零時すぎ、こんな時間にふざけんなよと思いつつも玄さんのことは嫌いではない、むしろ声が聞きたくなって出てしまう。
長い黒髪がよく似合うちょっと影のある美形のくせに、口調はあっけらかんと明るくそして胡散臭い関西弁、そのサッパリしたいい声で、玄さんは『おっ柴田くんチースチース、突然やけど俺明日死ぬねん』とほざいた。
玄さんは占い師である。長い髪をハーフアップにしてシルバーアクセサリーをごてごて指やら耳やらにつけ、うなじにはタトゥーが入ってるし変な柄のシャツ着てるし、どう見てもカタギではないのだが繁盛している。なんでもめちゃくちゃ当たるらしいのだ。
だから自分のことは見ーへんようにしてんねんコワイから――と言ってゲラゲラ笑っていた玄さんだが、その禁は果たしてどうしたのだろうか。
おれは飲んでいた缶チューハイを床の上においた。びっくりして、手が震えてしかたなかったのだ。
「なんすかそれ」
『俺死ぬねん、明日。五月二十三日午前一時ちょうど。せやからあっちこっちに電話かけてんねん』
「まじすか、何なんすかそれ」
『へへへ、なんや柴田くん、また飲んどるなぁ。占い師やのうてもわかるわ。まっそういうこっちゃ、でも俺柴田くんのこと柴犬みたいで好きやからな、柴田くんの誕生日になったらそっち行くわ』
言葉が切れ、フーッと息を吹くような音が聞こえた。玄さんがよく吸っていた煙草の、よそでは嗅いだことがない甘ったるい香りを思い出した。一服ふかした玄さんはあっけらかんと『じゃ、バイバイ』と言い、俺が何か言い返す前に通話が切れた。
「変なひとだな、まじで」
おれはそう独りごちたが、妙な胸騒ぎがした。電話をかけ直したが話し中になっていた。メッセージアプリにも返信がない。SNSは一年以上前のどうでもいいような投稿が最後で、おれは玄さんの自宅を知らない。朝が来るのを待って、玄さんの職場に押しかけてみた。本来ならおれも大学の講義に出なければならないのだが、それどころではない。玄さんが気になって仕方ない。
雑居ビルにある一室、昭和からタイムスリップしてきたんかと言いたくなるような古臭い「占」というプレートが貼られたドアは施錠されており、中には誰もいないようだった。おれは途方にくれて街中を彷徨った。玄さんの行きつけの中華料理屋だの本屋だの、一緒に缶チューハイを飲んだ公園だのバーだの駅近くの喫煙所だの、よく使っているというラブホテルまで巡回したが会えなかった。電話も何回もかけ直した。
気が気ではなかった。おれは玄さんのことが好きだった。たとえ玄さんがおれのことなんかなんとも思っていないにしても、大好きだった。玄さんはめちゃくちゃモテる男で、女とも男とも付き合っていたが、以前おれが「童貞なんすよ」と言ったら「じゃあするか卒業!」と言っていきなりラブホに引っ張り込まれた。そのあと無事に童貞を卒業させていただいたのだが、関係があったのはそれっきりで、正直思い出すと気が狂いそうになる。そのラブホにも足を運んで外からお城みたいな外装を見上げ、心臓が苦しくなってその場で吐きそうになった。童貞は卒業できたけれど、あれから彼女どころか好きな女の子のひとりすらできない。完全に玄さんのせいなのだ。
そんなことを考えているうちにまた頭がどうにかなりそうになって、おれは近くのコンビニに駆け込んで缶チューハイのロング缶を三本買い、べろべろになって気が付いたら自分のアパートの玄関で寝ていた。もう朝になっていた。
玄さんのSNSを見ると、新しい投稿があった。仕事仲間だという人の投稿で、玄さんの死を告げていた。深夜一時頃、自宅で突然胸を押さえて倒れ、救急搬送されたが亡くなったらしい。
まじか。口からぽろっと声が出た。その後玄さんの店のアカウントにも同じ旨のツイートがなされ、雑居ビルのあのドアからは古ぼけた「占」の看板が消えた。
うっすらと看板の跡が残るドアを見て、どうも玄さんは本当に死んだらしいとようやく腑に落ちた。おれは雑居ビルのエレベーターの中で、耐えきれず声を殺して泣いた。
玄さんが死んでしまってもおれの生活はそんなに変わらなかった。起きて大学に行って講義に出てバイト先に行って働いてアパートに帰って寝る。その間に飯食ったりトイレ行ったり風呂入ったりを挟んで、毎日をルーティンのように淡々と過ごした。ただし酒の量は増えた。
六月の半ば、バイト先のホームセンターで品出しをしていたら、綺麗なお姉さんに声をかけられた。以前会ったことのある、玄さんの何人目かの元カノだった。
「ねぇねぇ、玄ちゃんから死ぬ前に電話きた?」
笑みを含んだ声で、なんとかいうお姉さんはおれに尋ねた。おれが「ハイ」と答えると、お姉さんはきゃー! と言って笑った。
「玄ちゃん、ほんとに来たんだよ。あたしの誕生日にね。じゃキミの誕生日にも来るね、きっと」
まるであの電話の内容を全部知ってたみたいに、お姉さんは早口でまくしたてた。そしておれが何か言いかけるよりも早く、「あっきたきた、ばいばーい」と立ち去ってしまった。向こうの方で知らない男と合流するのが見えた。
誕生日。誕生日か。おれの誕生日。それからはもう、一週間先の誕生日のことしか考えられなくなってしまった。
六月二十二日、おれの誕生日の前日。おれはアパートでひとり缶チューハイを飲んでいた。あと数分経てば二十三日になる。
おれの誕生日だ。
酒を飲みながら、視線で壊せるんじゃないかってくらい時計を睨んだ。時間はゆっくりと過ぎた。あと三分、二分、一分、零時になった。
何も起きなかった。
考えてみればその通りで、玄さんが来るはずはないのだ。なにせあのひとは死んだのだから。おれは缶の中に残っていたチューハイを全部空けてしまうと、ベッドの上にひっくり返った。緊張が解けたせいかひどく眠くなってきたので、明かりを消してそのまま寝た。
しばらくして目が覚めた。
真っ暗な部屋の中に、バニラに似た甘い香りが漂っていた。
玄さんの煙草だ。気づいた瞬間、体が動かなくなった。
指先一本も動かせずにいると、おれが寝ているベッドのスプリングがギシ、と音をたててきしんだ。マットレスが沈む。目には見えないが、何かがそこにいる。
(玄さん)
声が出ない。
おれの頬に何かがふれた。冷たい金属と長い指の感触、おれの記憶が正しければそれは紛れもなく玄さんの手だった。ごつごつした冷たい手の甲が何度かおれの頬を撫でたあと、ふっと気配が消え、体が動くようになった。
おれは跳ね起きた。電気を点けた部屋の中はやっぱりいつもの小汚いワンルームで、玄さんどころかほかの誰の姿もなかった。
ただ、甘ったるい煙草の香りはまだ部屋の中に残っていて、たった今起こったことが夢ではなかったのだとおれは知った。
「玄さん」
呼んだが返事はなかった。いないのだ。もう死んでいるから。死んだくせに。わかっているのにクローゼットを開け、ベッドの下を覗き、玄さん玄さんと言いながら部屋の中を練り歩いたあと、急に具合が悪くなって、トイレでびしょびしょに泣きながら吐いた。
それ以来おれの胃はなぜかいつも缶チューハイを受けつけなくなり、おかげで酒の量がかなり減った。たぶん玄さんがおれの酒癖をあの世に持っていってしまったのだろう。起きて大学に行って講義に出てバイト先に行って働いてアパートに帰って寝て、その間に飯食ったりトイレ行ったり風呂入ったりを挟んで、おれはごく普通に生きている。
来年の誕生日、玄さんは来てくれるだろうか。
誕生日 尾八原ジュージ @zi-yon
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