037 合流地点

「つっぁ、チ、クショ……! あの野郎、ぶっ殺す……!」



 宿の一室から殴り飛ばされ、裏街に転がり込んだ獣人種ビーストの名は、ニコラ。


 ユウキを旅荘で引っ掛けたクロナの姉であり、この街、この国の裏側で根を張るマフィア「ロートリンゲン・ファミリー」の幹部を務める女。


 種族の特性上、背は小さく頑丈でありながら敏捷性が高く、また血の気が多い。それゆえ男女問わず多くの獣人種は傭兵や冒険者稼業を生業にし、またその腕っぷしを買われ裏社会に身を投じる者も多い。

 彼女ニコラは後者であり、幹部という地位に就いていることからその実力は語るまでもない。


 レベルは320。加えて獣人種ビーストの中でも攻守ともに優れ戦闘力が高い獅子型タイプ・レオ

 生まれながらに戦闘特化であり、そこに驕ることなく鍛錬を重ねてきた彼女は今、不可解な出来事に見舞われていた。



「ぐ、ぅそ……い、ってぇ……!」



 痛い。身体が痛い。ヤツの拳を見舞われた腹部が、尋常ではない痛みに襲われている。


 前述した通り、獣人種は防御力が高い。タイプにもよるが一般的な人間種の数十倍は堅牢。たとえレベル差が100あるオーガに殴られようとも、腕の一本折れる程度で済む軽傷だ。

 だというのに、



「立てよ。こっちはもうすっかり冴えちまってんだ。久々に拳が疼いてやがる。てめえの持ってる拳、俺に魅せてくれや」

「なめ、るなよ人間……ッ! 一発、入れた程度で……!」

「その一発でへばってんなよ。獣人は頑丈なんだろ?」

「……っ!!」



 膝をついて荒い呼吸を繰り返すニコラ。

 そんな彼女を見下すこの人間は、いったい何者なのだ?

 冷汗が額を濡らす。

 まさかこの人間種は、美人局つつもたせなんぞに引っかかるこの人間種は、自分よりも格上だというのか?

 

 否。断じて否。たとえそうであっても認めたくはない。

 この男にだけは、絶対に負けたくはない——!



「そうだ、それでいい。立てよ。こっから先は大真面目だ」

「はぁ……っ、はぁ、う――ぉぉぉぉぉッ!!」



 全身に脈打つ痛みを気合で掻き消すように、ニコラは吼えた。吼えて、地面を蹴り上げる。硬く拳を握りしめ、見たことのない構えで拳を握る人間へ肉薄する。


 力強く地面を踏み込み、拳を振るう瞬間――ニコラの眼に見えたのは、大きく顎門アギトをチラつかせた竜の姿。


 ――え。


 それはほぼ反射の域で、ニコラは身体を数ミリ引いた。

 幸か不幸か、その咄嗟の反射がなければ、この勝負はその一撃で終わっていただろう。



「――ぶぁ――らぁッ」

「ほええぇ、獣人ってのは受けも上手なんだな!」

「―――」



 気がつくとニコラは数メートル後方まで地面を引きずっていた。ぐらぐらと廻る視界が落ち着くまもなく、今度は人間の方から距離を詰めてくる。



「くっ――」

「どうしたどうした、反撃して来いよ。マグロは御免だぜ?」



 軽薄な口調とは裏腹に、芯を的確に狙った拳がニコラに打ち込まれていく。

 廻る視界が邪魔をして防御は意味をなさず、反撃しようにもその間がない。苦悶を上げながら後退り、ただただヤツの拳を受け続けなければならない屈辱たるや、肉体よりも精神が抉られていくようだった。 


 そこでふと——気がつく。

 と。


 獣人種ビーストは生まれついての頑丈さゆえに、その戦闘スタイルは攻勢の二文字。

 常に攻めあるのみ。攻撃は最大の防御という言葉を、種全体を通して証明してきたはずなのに。

 

 これではまるで、逆ではないか。

 


「―――」

「気が緩んだぜ」



 意識の縫い目に、男の鋭い声が差し込む。

 この数十秒で数え切れないほど喰らった牽制ジャブが、その質を変える。

 速さはさることながら、しかしその一発が牽制とは思えない威力でニコラのガードをこじ開けた。


 一瞬だけ開いた道筋。

 無論、その隙を逃すほど目前の男には容赦のカケラもない。

 吸い込まれるようにして、ニコラの顔面を拳が打ち抜いた。



「がっ、ほ――っ」



 顔面の骨が折れる音。

 両の膝が、地面に落ちる。

 平衡感覚すら失った視界の向こう側で、男が笑った。



「ちょうどいい位置に堕ちたな、お姉様」

「―――」



 最後の最後まで容赦なく拳を浴びせられて、ニコラはついに意識を失った。





「ふぅ……久々に全力でぶん殴ると気持ちいいなあ。しかも、こんな幼気な美少女が相手なら尚更」

『ユウキ。今の発言で周囲の人間が超絶にドン引きしてる』

「はっ、少女ガキが大の男に殴られてんのに黙って見てた輩共だぜ? 俺からしてみりゃ、そっちの方がドン引きだ」



 実力が拮抗した男同士のタイマンならまだしも、こうも一方的な仕合だと誰かが止めに入るもんだろう。


 俺を取り囲むようにして、しかし逃げ場を塞いでいるものの戦意を喪失させているゴロツキの群れを見渡す。

 よく憶えてないが、ロートなんとかファミリーがどうとか言ってたな。マフィアみたいなもんか、こいつら。



「じゃあ、その幹部ってところかね。このお姉様は」

「う、ぅ……」



 足元で呻くお姉様。もう意識を取り戻したようだ。

 


「随分と早い目覚めだな。あと一時間は伸びてると思ったが」

「……っ、く、そ……」

「まあ、よく頑張ったよ。互いに本気じゃなかったとはいえ、なかなか楽しかったぜ」



 最初の一撃をモロに喰らっていなかったら、もう少し善戦できたはず。

 生憎と俺のコンディションが最悪で最高だったせいで、ユズキなら三回は死んだであろう一撃が飛び出てしまった。

 生きているだけですごい。



「これでクロナちゃんからは手を引いてやる。これで懲りたらおまえ、もう美人局なんかやめろよ」

「ま、て……! 逃す、かよ……ここで殺す……おまえだけは……!」

「どうしてこう、俺は行く先々で敵意を向けられるんだろうな……」

『自業自得だけど、ユウキだから仕方がない』



 それはそれで辛辣だな、シス。

 


「お、おまえら……こいつを逃すな……っ!」



 呻くように発せられたお姉様の命令に、周囲の輩たちが我を取り戻し、各々の得物をこちらに向けた。


 

「いやいやいや、どうして女が拳で戦ってんのに男のおまえらは武器使ってんだよ」

「き、綺麗事抜かすな! 戦に男も女もクソもねえんだよ!!」

「まあ、その通りですわ」



 俺だって本気でそんなこと言ったわけじゃないけどさ。

 拳でこの場を切り抜けるのはちょっと痛そうだな。



『私が出る?』



 そうしたいのは山々中山だけど、魔素のコントロールができない以上、変に被害増やすのは避けたい。



「……仕方ない。アレを出そう」

『まさか、アレを?』



 こんなゴロツキ相手に初披露するのはもったいない気もするが、切り抜けるためには仕方がないだろう。



「概算して三〇人。強くも弱くもないが、そこそこ数が多いし。一点突破してみんなと合流しようぜ」

『わかった。――コード・001の使用許可を申請中』

「いや誰にだよ。まあそのほうが雰囲気は出るか?」

「お、オイオイオイ、てめえさっきから何ぶつぶつ喋ってんだよ……?」

「ももしかして、お嬢のダメージが今ごろまわってきてるんじゃ……」

「つ、つまりよォ……」

「ああ……」

「今が……」

「勝機ってワケじゃあねェのかよ、テメェらッ――ぶぼらゥ!?」

「「「ま、マルコさんッ!?」」」

 


 今まさに、俺たちの新武装がお披露目になるという寸前で、ゴロツキの後方から悲鳴が上がった。


 

『この気配は……』

「ああ、あいつらが来た」



 次々と吹き飛ばされ、宙を舞っていくゴロツキ。あっという間に一本の道が切り開かれ、その空間から見覚えのある連中がやってきた。



「ユウキくんっ! そこの獣人種ビーストを渡して! そいつ殺さなきゃ!」

「落ち着けユズキ。流石の我でもそれは引くぞ」

「あまり心配していませんでしたが、中々に厄介な状況ですね。ユウキ様」

「おう、おまえら悪かったな! ちょっとツツモタされたわ!」

「ううん、ユウキくんは悪くないの。全部あの獣人が悪いんだよねっ!?」

「貴様はそのヤンデレムーブをいい加減やめんか」



 殺意ダダ漏れなユズキから察するに、どうやら諸々の事情は収集済みのようだった。

 しかし、それにしても……



「おまえら、なんかかっけえな」

「む? ――気が付いたか、ユウキ。この我の新武装にッ」

「ユウキくん、どうかな? ちょっと背伸びしてるみたいで恥ずかしいけど、えへへっ」



 恐らく部屋に用意されていた新衣装だろう。聖十郎は小汚い邪教信者というイメージから昇華され、獣狩りの悪夢に囚われた狩人のように、機能性を鑑みないお洒落重視な衣装だった。相変わらずペストマスクで素顔は不明だが。


 続いてユズキは……



「うん、いいんじゃね?」

「待って。待ってほしい。おかしいよ、何その扱い?」

「え?」

「わたしメインヒロインだよね? メインヒロインが衣装替えしたのにその描写ないってどういうことっ!?」

「いやおまえサブだし」

「いつ降格したのっ!?」

「さっき」

「勝手に降ろさないで!」

「いやでも、うちはもうクロナちゃんとシスの二人でやっていくことにしたので」



 それに伴って、タイトル名も変わります。



「わかったよ。とりあえずクロナちゃんって女殺せばユズキがメインに返り咲けるんだね?」

「そんな展開になったら、いよいよ最終章突入だぜ。俺はおまえを、絶対に許さない――的な」

「――お二人とも。一旦その話は置いていただけますか」



 筆舌に尽くし難い表情で対峙する俺とユズキの光景をそっと振り払うように、ルミカが言った。



「増援です」


 

 

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