038 虚空のルミカ

 ルミカの言った通り、俺たちの背後から大勢の気配を感じ取った。

 その数、概算して百。

 俺とお姉様の騒ぎを聞きつけて、ゴロツキたちが集まっているようだ。



「は、はは……、おい、変態野郎。もう終わりだ……! この数相手に、逃げられると思うなよ……っ」



 部下に肩を貸してもらいながら立ち上がったお姉様が、威勢よく咆える。



「なにあの獣人。ちょっと可愛いからってちょーし乗ってない? 穿つよ?」

「もう我からは何も言うまい。好きに暴れているといいさ」



 お手上げだといわんばかりに聖十郎がユズキから距離をとって、俺の隣に肩を並べる。

 ペストマスクで隠してはいるが、こいつの表情は手に取るようにわかる。


 

「なんだかんだ言って、おまえが一番やる気じゃねえの?」

「ふっ。わかるか、友よ」



 腰元にく二本の剣に手を添えながら、闇の狩人ペストは酔い気味に笑った。



「いい夜だ。騒がしくも空は静謐な明月めいげつ。狩りに相応しい、素敵な夜だ。血が騒ぐ」



 相当自分に酔ってるのだろう。だがわかるぞ、聖十郎。それほどまでにおまえの衣装は、とてつもなくこの夜に似合っていた。



「あー、だからさっき満月の類語教えてくれとかルミカさんに訊いてたんだ」

「―――」

「道中もボソボソとなんか呟いてたけど、もしかしてずっと考えてたの? ちょーダサいしイタいけど」

「――貴様から片してやろうか、オイ」



 ペスト越しにユズキを睨みつけている聖十郎。対する黒白の魔女は飄々とパーティドレスを翻し、俺の左隣に立つ。



「ユウキくん。付き合う相手は選んだ方がいいよ」

「おまえはマルフォイか」

「せめてハーマイオニーがいいなっ」

「せめての意味がわからん」

「まあいいよ、なんでも。とにかく、ユウキくん。もうわたしの……ユズキのそばから離れないで?」



 いやに真面目な顔で、真剣なトーンでいうユズキに、俺も同じく真顔で返した。



「嫌だ」

「なんでよ!?」



 涙目で駄々をこねるユズキ。そうこうしているうちに、奥から歩いてきた百の増援がお姉様と合流してしまった。

 全員が全員、やる気に満ち満ちている。

 仲間が幾人もやられているからだろうか。タダでは帰さんし、なんなら永遠に帰さないと言わんばかりに、みな武器を携えていた。



「む……後ろからもだ」

「はい。御三方がお戯れになっている間に、囲まれてしまいました」



 皮肉混じりな声音のルミカは、危機感もなく口許を綻ばせた。



「我らがロートリンゲン・ファミリーを侮辱したこと……後悔させてやるからな……っ!」



 お姉様が鼻息荒くまくし立てる。その大型弩砲バリスタがごとく鋭く突き刺さる視線を、俺は左へいなす。



「おい誰だ、我らがファミリーを侮辱した輩は? おまえか、ユズキ」

「聖十郎じゃないの? ユズキ、知らなーい」

「ふん。我は存じぬぞ。ルミカ殿なら知っていることもあるのでは?」

「すごいですね。皆さんの責任をまとめて私に擦りつけてきました」

 


 苦笑するルミカは続けて、唇を震わせる。



「しかし、この場から逃げおおせるのは簡単なことですが、観光中に襲われでもしたら面倒ですよね」

「そうだな。だから手っ取り早いのは、今夜中にファミリーを潰しちまうことだと思うんだが」

「あまりロートリンゲン・ファミリーを舐めない方がよろしいです、ユウキ様。向こうには、フーゴ様も目をつけている手練れが一人いるのです」

「へえ」



 四凶が認める猛者ってことか。

 それは少しだけ興味があるな。



「それで、穏便に済ますには俺の首が必要です、みたいな顔してるけど。俺、死んだ方がいい?」

「いいえ、その必要はありません」

「そんなことする必要あるなら、ユズキが王都ごと滅ぼしてあげる」

「そこまで行かなくとも、今この場でファミリーを潰しましょう。ユウキ様のお命と等価ではありません」

「ルミカさん。わたしと話し合いそうですねっ」

「いえ、私は――……そうですね。まあ、そういうことでもいいでしょう」



 なにか気になる間があったが、それ以上は続けることもなくルミカは俺たちの前に一歩出ると、



「ここは私にお任せください。あまり貴方様方のお手を煩わせるわけにはいきませんし、なにせ」



 徐にかぶっていたフードを取り払う。



「大切なフーゴ様の賓客ひんきゃくなのですから」



 瞬間、



『―――』



 俺は全力で歯を食いしばり、その重圧に耐えた。


 重くのしかかってくる、なんてレベルじゃない。まるで巨大な怪物の口腔に取り残されてしまったかのような恐怖感が、俺を地面にへばりつかせようとしていた。


 それを感じているのはどうやら俺だけではなく、両隣を見ると同じように聖十郎とユズキがなにかに耐えていた。無論、肩や頭上になにかへばりついているわけではない。


 これは、この強烈な存在感は、なんだ――?



「が、は……ぁっ」

「……!」



 そんな呻き声が耳を掠めて、俺は前方に目を向けた。

 向けて、息を呑む。

 


「申し訳ございません。久々の使用ですからうまく調整コントロールできませんでした」



 前方、俺たちの行手を阻んでいたゴロツキ連中が、たったの数人を残して意識を手放していた。前だけじゃない、後ろを囲んでいた輩も全滅している。

 


「しかし、流石は御三方。私の『威圧』を耐え忍びましたか」



 フードから溢れた金髪が虚空を舞う。まるで星空のように煌めいたそれを片手で押さえながら、想像以上に美しい容姿のルミカに目が釘付けとなる。



「それでこそ、フーゴ様の刃に相応しい」



 こんな異様な状況を作り上げた本人は、飄々とこちらに笑顔を向けた。

 三日月のように釣り上がった口角。

 これぐらいなんてことはない、これぐらいのことは誰でもできると言わんばかりに、彼女は笑う。


 いや、見せつけている。 

 


「ではしばらく、そのままお待ちください。あとは私が」



 言って、エロ漫画でよくオーガに乱暴されていそうな神官じみた雰囲気のルミカは、ゆっくりと首を前方に移した。



「お久しぶりですね。ニコラ」

「て、め……ルミカ……っ! なんで、こんなところにいやがる……!?」



 さすがお姉様というべきか。地面にへばりついて気絶しているその他大勢とは違い、片膝だけで耐えたお姉様がルミカの顔を見て驚愕に染める。



「お姉様と知り合いか?」

「だ、だから、てめえ……お姉様って呼ぶんじゃねえ!」

「彼女とは以前、フーゴ様と共に一度お会いになっているのです」

「へえ」

「無視してんじゃねえ!」



 騒ぐお姉様をよそに、周囲の意識あるゴロツキが怯えた表情でルミカを見やった。



「る、ルミカ……!? あの虚空のルミカ!?」

「きゅ、旧四凶のルミカが、なぜここに……!?」

「旧四凶?」



 盛大にビビり散らかすゴロツキの言葉に、俺も眉根を寄せてルミカを見た。

 旧四凶?

 ルミカが?



「おまえ……めちゃくちゃ強えとは思ってたけど、まさか四凶だったのか?」

「ふふ、五年も前のことです。フーゴ様に敗れた今では、ただの……主君に仕えるだけのルミカでございます」

「ちなみにレベルなんぼ?」

「700以上、とだけ言っておきましょう」



 その軽く飛び出てきた言葉に、俺は思わず頬が釣り上がった。

 道理で、底が見えないわけだ。



「だからわたしの『鑑定』が弾かれたんだ……」

「レベル差がありすぎると鑑定できんのか。初めて知ったぞ」

「めっちゃスキル構成気になるぅ」

「700越えか……道理で、我の剣が届かぬわけだ」



 鑑定持ちのユズキと聖十郎がこそこそ話しているのをよそめに、ルミカはお姉様に向き直る。



「私の顔に免じ退いていただけないでしょうか。あと二日もすれば私たちは国を出ます。それまでの間、不干渉を願いたいのですが」

「チッ……。どういうわけかは知らねえけど、その変態に旧四凶がついてるとなっちゃ、わっちの独断で動けねえ。いいぜ、言われた通り一旦退いてやる」



 苦々しく顔を歪めさせて、立ち上がったニコラは周囲で寝ているゴロツキたちを蹴り上げた。

 いつの間にか、俺たちを圧していた力は消えていた。問題なく、体が言うことを聞く。



「おい、いつまで寝てやがる。とっとと起きろッ」

「う、うげ……っ」

「おい、マルコ。てめえ、クロナをしっかり守りやがれや、クソ」

「ひ、ひぃぃッ」



 あのマルコって男、なんだかずっと理不尽な目に遭わされているのは気のせいか。



「これでひとまずは安心ですね。一日、二日は安全に過ごせると思います」



 潮が引いていくようにファミリーの連中はこの裏街から消えていった。

 

 


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