029 矜持

 最期まで、お母様は私が騎士になるのを反対していたっけ。



「シェディ。あなたが戦う必要はないの。剣をらなくとも、お役に立てる事ならたくさんあるんだから」


「ううん。わたしは騎士になるの。ディアリス様のように、カッコよくてうつくしい!」



 ディアリス様は私の憧れだった。


 とても強く、壮麗で、永い時のなかを曇ることなく国を守り続ける騎士王。

 英雄譚やおとぎな話、その類を今も体現し続けているかの王に、私は惚れていた。


 一目見る機会に恵まれて、声をかけてくださった時には感涙すぎて何も答えることができなくて。

 

 この幼心に芽吹く春風に名をつけるのならば、そう。きっと恋。


 だから、私は追いかけ続けた。

 女の身で戦場を渡る。それが一体、どういったものなのか。

 まだ幼い私は知らなくて、でも覚悟だけはできていて。



「いいじゃないか。好きにやらせるといい」


「うん。強くなったらお父様のことも守ってあげるからね」


「それは、ははは。お父さんも頑張らないとな」


「貴方も、本当に親馬鹿なんだから……」



 お母様が名高い騎士だと知ったのは、お母様が病死した一ヶ月後のことだった。

 


「キミは……そうか。マーシャルの娘は、成長が早いな」



 十歳を過ぎたばかりの私には、母親の死は重すぎた。

 毎日、へばりつくようにお母様のお墓に通っていた。雨の日も、とても寒い冬の夜も。

 仕事終わりにお父様が私をおぶってくれるまで、私はそこにいた。


 その日は、ちょうどお母様が亡くなって一ヶ月が経った頃だった。


 魔王ディアリス様が戦場から帰還し、国中が勝利を謳い迎えた夜明け。

 いつものようにそこへ訪れた私は、先客の姿に驚いた。

 

 騎士礼装に身を包んだ、男装の麗人。

 たった一人。お母様が好きだった種の花束を墓石に飾ったその人は、私に微笑みかけた。



「あ、あ……で、ディアリス……さま」


「憶えていてくれてありがとう。昔会ったよね。随分とおおきくなってしまって。——ああ、こっちにおいで。礼式とか要らないから。一緒に、弔おう」



 畏れ多くも、私はディアリス様の隣でお母様と向き合った。


 ディアリス様は、懐から何かを取り出すと、それを唇にくわえ火をつけた。甘く、けれど良い匂いとは決して言えない煙が漂って、私は顔をしかめた。


 それは、お父様がよく吸っている細葉巻と同じものだった。


 まさか、ディアリス様もお吸いになられているなんて。——そんな私の心情を察したのかはわからないが、しばらくしてディアリス様は紫煙を空に向けて吐いたあと、静かに唇を震わせた。



「私の住んでいた国には、線香と言ってね。まあなんだ、葉巻とは違った煙を供える宗教というか伝統というか、そういったものがあるんだよ。この世界には、線香がないから。代わりに私は、仲間の命日にはこれを吸うようにしている」



 慣れたものだよ。まったく。そう自嘲気味に笑い、ディアリス様はもう一本葉巻を取り出して、それを花束の横に立てた。



「人は死ぬと天国に行くんだ。そこへ行くまでの道のりはとても長いから、お腹が空いてしまう。とは言っても、お空にパンやスープはないからね。だから代わりに、煙を食べて、お腹を満たすんだ。ふふ、こんな上品のカケラもない香りで腹を満たしたくはないと思うけど、これは罰だ」


「……罰、ですか?」


「そう。私を悲しませた罰。喫煙させた罰。葉巻はすぐ匂いがつくからね。彼女たちが会いに来たらすぐわかるように、この質の悪い煙を食べさてるんだ。——そうそう、みんなには内緒だよ? 私が葉巻を吸ってるなんて知られたら、怒られてしまう」


「わ、わかりました!」



 悪戯を楽しむ子どものような笑顔。けれど、その瞳は真っ赤に潤んでいて。

 ああ、この方は。

 本当の意味で、この人々から愛されているのだと、私は知った。

 


「私はこれで行くよ。シェディ」


「はい……ありがとうございました!」


「こちらこそ。ああ、そういえばキミは騎士になりたいんだったね」



 ディアリス様の口からその言葉が出てきたことに、私は驚いた。

 その夢は、お父様とお母様しか知らないはずで。



「なら、次会う時は叙任式かな」


「え——」


「立派な騎士となったキミにつるぎを授けるその日を、楽しみに待ってるよ」

 

 

 その無邪気にはにかむ姿を、私は今でも憶えてる。


 紆余曲折のすえ騎士となった私は、事あるごとにその日のことを思い出す。


 完全無欠の英雄でも、涙は流れる。

 私はそのことを知っている。

 だから私は、貴方を泣かせたくない。

 私ごときがディアリス様の親しい人物などと豪語するわけではないが。

 

 いつか、彼女の涙を拭えるように。

 その瞳から、涙の色を消せるように。


 私は誓ったのだ。彼女の騎士になると。

 故に、負けない。

 生きて、彼女に尽くす。


 それが、私の戦うたった一つの理由願いだから。







「なあ、人間。最期に一つだけ、頼みがある」



 果たして、どれくらいの時が流れただろうか。

 焚き火はとうの昔に消えて、静謐せいひつとした水の流れる音だけが世界の全てだった。


 けれど、どんなものにも終わりがやってくる。

 永遠など存在しない——そう証明するかのように、エミネミは緩慢な動きで立ち上がった。


 手には魔剣。

 薄氷のように消えそうな彼女は、俺に背を向けたまま言った。



「私は、騎士として死にたい。一人の女ではなく、敬愛する主人に仕える一人の騎士として。主のために戦って、主のために殉職する。そういう騎士に私は憧れているんだ。それはきっと、今も変わらないから」



 そう言い聞かせる。わずかに震える身体を、言葉という縄で縛り上げるように。



「だから、最期は貴様がいい。貴様なら、いい。私の最期を飾るのに、まあ少々不相応極まりないが。仕方ない、役者がいないのだから。貴様で満足してやる。喜べよ、人間種ベスティエ



 こちらを一瞥するエミネミの瞳は、暗闇の中でもわかるほど赤く潤んでいた。

 目の下をなぞる雫の跡。

 触れれば壊れてしまう、危うさと儚さを併せ持った少女が、そこにいた。


 一人の騎士ではなく、一人のか弱い少女で。

 死にゆく恐怖に怯えるだけの、ただの少女で。


 だからこそ、俺はそんな彼女を救いたかった。

 覆る運命ではないのなら。

 俺は、せめてもの道化を演じてやることにした。

 


「言ってくれるな。ああ、いいぜ。決着を付けようか。黒騎士」



 誇り高い騎士としての死。

 それを望むのなら、俺は——。



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