019 八層
ユズキの転移魔法で跳んだ先は、先程のボス部屋だった。
「お、おいユズキ、ここは外じゃねえぞ?」
「うむ。我の自宅だ」
「それは知らねえけどよ……。つーか触手がいなくてよかったぜ、ホント。転移した途端に、触手に飲み込まれまたしたって洒落にならねえぞ」
「まったくだ。ユズキとやら、なぜここに転移した?」
俺とペスト野郎の非難を浴びたユズキは、意に介さず飄々とボス部屋の奥へ進んで行った。
「ユウキくん。今回のダンジョン攻略にはね、一つ目的があったんだ」
「あ? 目的?」
「うん。見てほしいものがあったの。ついてきて」
見てほしいもの、ね。
ダンジョンを出るよりも優先したんだ。それなりに重要なものなのかもしれない。
『この先……』
脳裏でシスフェリアが呟く。
(来たことがあるのか?)
『ううん。同じ匂いがする』
匂い?
『行って、ユウキ。私も気になる』
珍しく興味を示したシスフェリア。彼女のためにも、この先へ進んだ方がよさそうだ。
意を決してユズキの後を追いかけた俺は、さらに地下へと続く階段を降りていった。
淡い紫色の光が漏れる先。
俺は、出口に立って息を呑んだ。
「これは——」
ボス部屋の奥、階段を降りた先に広がる階層。
いわば第八階層と呼べるそのフロアは、紫色の霧で満たされていた。
禍々しく、そして幻妖的でいて美しく、既視感あふれたそれは一定の場所で固まっている。まるで壁のように、ここから先へは行かせないと言わんばかりに分厚い層となって道を塞いでいた。
「これは、シスフェリアと同じ……!」
「魔素」
ユズキは言った。
「魔素と呼ばれるこの霧が、各ダンジョンの八階層を封鎖しているの」
「各……ってことは、他のダンジョンでもこうなのか?」
「うん、そうみたい。実際に見たことはないけど冒険者の間ではよく聞く話だよ。他にも魔素が立ち込めて入れない地域や場所がある」
「やっぱり、この先には行けないのか?」
「数メートルなら入れるぞ。それ以上は、流石にキツかった」
横からペスト野郎が割って入ってきた。それを聞いて、ユズキが頬を引き攣らせた。
「よく入ったわね……無知って怖い」
「フン……」
「褒められてないぞ。ちょっと照れるな」
「話し戻してもいい? ここからが重要なんだから」
「おう、頼むぜ」
万が一、触手が戻ってきたら厄介だからな。早めにダンジョンを脱出したい。
「魔素は有毒なの。許容量を越えて取り込めば秒速で死に至らしめる猛毒。一度罹ってしまえば対処法はなく、人それぞれに許容量があるから測ることも難しい。でもわかっていることが幾つかあって、わたしたち
「あ……」
そこまで聞いて、俺はなんとなくユズキの言わんとしていることがわかった。
「異世界人は魔素の許容量が極端に少ない。一般人なら、この部屋に入っただけで体内から崩れていく。一メートル圏内に近づいて生きていられる異世界人は、そう多くはない。仮に、もしこれを扱うことができたなら……」
「それが、シスフェリアの正体……」
武器を重ねただけで死に崩れた魔人を思い出す。
腐食する体。断末魔。
魔人だけじゃない。魔物だって、彼女の毒霧にあてられて死滅した。
転じて、武器を重ね合わせても死なないペスト野郎に、それを扱っても生きている俺。そのすぐ近くにいるユズキ。
彼女の情報通り、異世界人は毒霧……魔素に対しての許容量は多いのだろう。だが、裏を返すとそれは……
「いつか、許容量に達してしまうことがあるのか……?」
「ユウキくんは、あのオーガについてどう思う?」
どうして今、ヤツが出てくるのだろう。
「あのオーガは、ユウキくんの攻撃を喰らっても毒で死ぬことはなかったよね?」
「ああ……。あいつは、彼女と同じように魔素を纏っていた」
「そう。とても強い耐性を持っているの。〝
また新しい単語が登場したが、俺は黙ってユズキの話に耳を傾ける。
「許容量を越えて魔素を取り込めば死ぬ。それは魔物も例外じゃないんだけど、稀に死なず適応する個体が現れる。それは得てして魔素を体内から撒き散らし、許容量を度外視して猛毒を生成する災害となる——」
つい昨日、シスフェリアが零した言葉を思い出す。
『一緒にいると、また危険な目に遭う』
『呼び寄せるから。一緒にいると不幸になる』
『魔素は〝
もしかして、彼女は——いや、まさかそんなはず。
「良くて毒死。最悪、人間を辞めることになるよ」
「———」
「もしかしたら、あのオーガも……元は人間だったのかも。あるいは、ただの魔物だったのかは知らないけど。ともかく、魔素の過剰摂取には気をつけたほうがいいよ。いくら耐性があったとしても、ね。だから——」
ユズキの冷めた瞳が大鎌を見つめる。
「早くそれ、手放した方がいいよ。その子に殺されてしまう前に」
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