018 果実

『お、おおお、悪怨おおおお怨おお……ぉぉ……ぉぉぉぉおお』



 もぞ、もぞと倒れていた巨体が起き上がる。


 いくつもの致命傷を抱え、血を流し、到底動けるような肉体ではないはずの魔物が、怨嗟の叫びを湛えて活動を再開した。


 

「なぜだ? 殺したはず——」



 困惑するペスト野郎。それ以上に、俺は驚愕していた。


 

「この気配……この視線……この感覚……ッ」



 こいつだと、俺は確信していた。


 こいつこそが、俺の背後あとをずっとつけていた気持ち悪いストーカーなのだと。


 

「——死ぃねぇッ!!」



 考えるよりも先に、手が、足が動いていた。 

 

 こいつは今ここで、殺さないといけない。


 なぜだかそう強く感じたのは、俺だけではなかったようで——



「よくわからんが、危険だ。貴様もそう感じているのだろう」



 大鎌と双剣が魔物を斬り裂く。緑黄色の血飛沫に濡れることなどお構いなしに、更なる連撃を叩き込む。


 すでにボロクズ同然の死骸である食人樹エントは、どういうワケか俺とペスト野郎の猛攻を受けながら死ぬ気配がない。



『お、おおお、悪怨おおおお怨おお……ぉぉ……ぉぉぉぉおお』



 まるで死体を殴っているかのような気味の悪い感触と、叫声。


 

「どうなってんだこいつ、効いてねえのか!?」


「これまで殺してきたヤツとは別物だな」


「退いて、二人とも!」



 背後から轟くユズキの声に従って、俺とペスト野郎は左右に飛ぶ。瞬間、黒白に流転したレーザーが食人樹エストを穿つ。


 ジュワッと超高熱に炙られ、死骸の四分の三を光線が飲み込み掻き消した。


 確実に死んだ。容赦のない、まさに必殺の威力を込められたそれを受けて、



「「「——っ!?」」」


『お、おおお、悪怨おおおお怨おお……ぉぉ……ぉぉぉぉおお』



 わずかに残った肉体。かつて体があったそこから蛆虫のように、無数もの夥しい触手が溢れ出した。


 それは濁流のように膨れ上がり、ペスト野郎が積み上げた同種の死骸を飲み込み、床も壁も天井も飲み込まんと迫る。



「や、やべえ、んだこれはどうなってやがる!?」


「とりあえず外——逃げるよ!!」


「うむ」



 ユズキの切羽詰まった声に従い、俺たちは一目散に逃げ出した。


 ボス部屋の重厚で巨大な扉を蹴り破り、抜けた瞬間に広がる大量の魔物に顔を引き攣らせる。


 

「そうだった、こいつらの数も尋常じゃねえんだった!」


「つべこべ言わず突破するしかないだろう」


「おう、そうだな——って、おまえ何しれっと着いてきてんだよ?!」


「逃げる方向が一緒なだけだ。安心しろ、これを乗り切ったらさっきの続きをしてやる。まあ、貴様が生きていればの話だが」


「クソ生意気だな。てめえこそ、触手に孕まされないよう気をつけろよ」


「……貴様。そういう目で我を見るな。不快だ、気色悪い」


「見てねえし望んでねえよ男の触手プレイなんてッ!!」


「ゆ、ユウキくん……流石にわたしもあれは無理……」


「いや、お似合いだぞユズキ」


「鬼畜……っ」


「鬼畜……」



 左右の二人から侮蔑の込められた視線を浴びせられるが、どうでもいい。まずは背後の触手から逃げ延びなければ。



「一体いったい相手にしてられないから、飛ぶよ二人とも!」


「「飛ぶ?」」


「——風よヴィント舞い上がれシュトゥルム



 高速で動く唇から漏れる聴き慣れない言葉。こちらの疑問に応えるようにして、ユズキは大地に手のひらを叩きつけた。



「——空高くシュタイゲン


「「!?」」



 瞬間、俺たちの体は天高く舞い上がった。


 上昇気流に乗せられたかのように上へうえへ、体を押し上げる突風に導かれ——



「ぶつかるぶつかるぶつかるってバカぁッ!!?」


「無念……ッ」



 宙を舞っている恐怖感ごと、俺とペスト野郎はダンジョンの天井に体を叩きつけられた。



「あ、ごめんごめん。わたし、風魔法苦手なんだよねえ。にゃはん♪」


「……いいから助けてくれ」


「……くっ」


「はぁい♡」



 壁に減り込んだ体をユズキに引き抜いてもらった後——。


 ユズキの魔法によって浮上しながら地上の様子を伺い、目を剥いた。


 ボス部屋から溢れ出した夥しい数の触手。もはや津波と形容してもいいそれらの群体は、ボス部屋の前で出待ちしていた魔物を一瞬にして飲み込み、地形を、自然を飲み込みながら広がっていた。


 止まることを知らぬ緑色の触手。このままでは、上の階に逃げることができなくなってしまう。



「どうする? あの触手が階段を塞ぐ前に逃げた方が良くないか?」


「意外かな。ユウキくんのことだから、あれをぶっ潰す方法を考えてたのかと思ってたけど……」



 どこか期待の込められた視線を受けて、俺は肩をすくめる。


 普段ならそうだったかもしれないが、今回はワケが違う。



「アレに触れるのはやめた方がいい。嫌な匂いがする」


「嫌な、匂い?」



 俺もひしひしとその予感を感じていたが、どうやらペスト野郎も『匂い』で感じ取っていたようだった。


 ……ペストマスクつけているくせに、匂いを感じ取れるのかどうかはさておき。



「同感だ。見ろよ、あの触手……魔物とか木とか関係なく取り込んでやがる。貪るように、栄養補給してやがるんだ」


「……っ、本当だ」


「おそらく、あれが本体」



 俺の指さした方向、触手の海の真ん中に実った超巨大な果実。


 七階層を埋め尽くさんと溢れるその触手の根にはそれがあり、ストローで無理やりタピオカを吸い込もうとするがごとく、触手の膨れ上がった腹が上へうえへと実に向かっている。


 栄養補給——直感的にそう感じたのは、間違いではないだろう。


 まるで女性器のような形の木の実。卑猥で禍々しい小陰唇のような様相は、何かを産み出すための機関に他ならない。



「今アレに触れると、これから出てくるであろうやべえヤツの栄養にされちまう。それに……」



 あの奥で胎動をはじめてやがる気配は、俺のストーカーで間違いない。



「どっちにしろ手出しできねえんだ。なら、どんな面なのか拝んでからぶっ潰してやってもいいだろ」


「孵化まで長いこと時間がかかるだろう。とても楽しみだな。ああ、それまでの暇潰しを考えなくては」



 いったいどんなのが産まれてくるのかは知らねえが、戦う場所を選ばないとまたとんでもないことになりそうだ。


 できればダンジョン内がいいが、狭い空間であの触手から逃げるのは至難の技だろう。



「ふぅん……。魔素も孕んでるなあ。〝歪みモノ〟の一種かな。大気中の魔力も吸い込んでる感じだし、わたしの魔法じゃお手上げかも。——よし、じゃあとっとと逃げちゃおっか」


 

 ぶつぶつと何事か呟いていたユズキは、考えがまとまったのかそう結論付けた。



「んじゃとっとと脱出しようぜ。早くしねえと触手に階段塞がれちまう」


「そう急がなくても、わたしが一瞬で転移させてあげるから」


「転移? ——ああ、そういえばおまえ、そんな便利魔法使えたんだったな。すっかり忘れてたぜ」


「転移魔法を扱えるのか? 僥倖、我も乗せてもらうぞ」


「当たり前でしょう。同じ異崩人エトランゼなんだから、助け合うのは当然」


「……エトランゼ?」



 首を捻るペスト野郎。おいおいまさか、一年以上もこの世界にいやがるくせに、その名称を知らないってのか?



「詳しくは後で。ともかく跳ぶよ!」



 そして、ユズキは魔力を胎動させた。

 




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