016 迷宮

 見渡す限りに広がる木々の群れ。


 三メートルは有を超えて咲き誇る大自然の荘厳は、とてもダンジョン内——ましてや、地下に広がっているとは思えなかった。


 愕然とする俺をよそに、同伴者であるユズキはすたすたと進んでいく。



「《森林遺跡ティール・タリンギル》——〝約束の地〟って意味らしいけど、どういった伝承があるのかまでは覚えてないな」


「光ってるのはあれ……虫か? うようよいるな」



 見上げるほど大きな木々に実った人間大相当の果実。それらに群がっているのは、全身を黄金色に発光させた虫の大群だった。



「高度と糖分を好む〝光金虫〟と呼ばれる原生生物です。糖質をエネルギーに発光しているそうで、あれのおかげでわたしたちはこのダンジョンを歩むことができるの。ちなみに両性具有だから、どっちもイケるユウキくんとお似合いだよ」


「いけねえよ」


「ちなみに、人間に一切興味を示さないから、襲われる心配はないよ。ただ、一つだけ——」



 目の前で、人間大ほどの果実が降ってきた。四散する果肉と汁。一瞬、学校の屋上から飛び降りた同級生を思い出した。



「あれに直撃すると、運が良くて死にます」


「最悪、植物人間だな」


「まあ、異世界転生をワンチャン狙いましょう」



 狙いたくないワンチャンだが、あれには十分注意しよう。



「ユウキくん、さっそくゴブリンが現れたよ。先手必殺、やっちゃおう」


「おう」



 木々の隙間から現れた三体のゴブリン。小学生並の大きさに醜悪な貌など、想像通りの出立ちで手には錆びた凶器を握っていた。


 こちらにはまだ気付いておらず、落ちた果実に夢中のようだ。



「ゴブリンはゴキブリと一緒で、一匹いたらその十倍はいると考えて。繁殖力が他の魔物と一線を画しているの」


「ゴブリン殺しのアニメでもそんなこと言ってたな」


「他種族と交配を重ねたゴブリンは強いらしいよ。あれは、ノーマルのゴブリンだから取るに足らないと思うけど」


「まあ、油断しないに越したことはないだろ。ユズキはそこで見ていてくれ、俺が倒す」


「はぁい」



 言って、俺はゴブリンに向かって歩を進める。

 

 三匹のゴブリンが俺の気配に気付いた。



「いくぞ、シス」


『ん。好きに使って』



 呼応して、俺の右腕から紫色の霧が溢れ出す。それはやがて大鎌を形成し、重厚感ある黒を両手で握りしめた。


 刹那、俺は疾走をはじめた。


 

「ギ——」


「——っ」



 目が合うよりも速く、俺は三匹のゴブリンの間を抜けていた。


 背後で崩れ落ちる肉片。


 イメージ通りの動きには、まだ程遠い。



「は……速っ……あの一瞬でゴブリンが細切れに……! レベルアップによる身体機能の上昇に加えて、熟練度500のスキル《宿地》で間合いを、あの華麗な鎌捌きは熟練度600の《鎌術》で……いや、でもそれだけじゃない」


「流石に経験値は少ねえか。無いよりはマシだが、もっと狩らないと——ユズキ、魔物はどこにいる?」


「え、あ、うんいま索敵する。——南西にゴブリンの気配、複数」


「よし、いくぞ。ギリギリまで手は出すなよ」


「あのあの、ユズキだってレベル上げしたいな?」


「後輩に譲れよ先輩」


「ちょ、あなたの方が年上でしょうっ」



 ユズキの叫びを無視して、俺はゴブリンの群れへ特攻を仕掛ける。


 こちらの存在に気付かれるその前に、五体のゴブリンを刎ねて、勢い殺さず疾走。


 微々たる経験値。


 次の標的はどこだ?


 木々を抜けた先にいた新たなゴブリンを真っ二つに切り裂いて、次を探す。



「俺も索敵スキル取るか……——って、借金返すまでスキル獲得できねえじゃん」



 スキル習得画面は、エラーの文字の名の下に操作不能となっていた。


 

「スキルポイントの借入れ上限とか上げてくれねえかな……」


「なぁにクソみたいなことぼやいてんの。わたしからの借金も忘れないでよ?」


「いいから索敵しろ」


「そういう乱暴なところも結構好きよ。ユウキくん♪」


「彼氏持ちだということを自覚せんかい」


「えへっ」



 それから、順調に俺たちは下の階層まで進んで行った。


 初心者向けのダンジョンということもあり、その後も強い魔物と遭遇することはなく雀の涙ほどの経験値を稼いで、一日を終えた。



 ダンジョン攻略二日目。全七階層のうち、四階層までやってきた俺たちは、開始一時間で五階層へつづく階段を見つけた。



「——どうかした、ユウキくん?」



 異変は、四階層の終盤から起こっていた。



「……いや」


「また、誰かにつけられている感覚?」


「ああ……本当に、周囲に誰もいないのか?」



 誰かに後をつけられている感覚。


 ねっとりと絡みつくような、隠すこともない不快な視線。


 ひた、ひたと茂みの奥からかすかに聞こえてくる足音。


 俺は、その異様な追跡者に、なぜだか不安を隠せなかった。



「索敵の結果は同じ。周囲に人の気配どころか、魔物の気配もないよ。それか、わたしの《索敵》スキルよりも高い熟練度を持つ《気配遮断》の持ち主ならば、あるいは」


「いや、俺も見つけることはできなかったし、多分気のせい……なんだと思う」



 冷汗を拭う。


 この視線に気付いてから、俺はその主を探し回った。


 けれど、見つけることはできなかった。


 変わらず視線は俺を射抜いたままで、どちらが追いかけている側なのかわからなくなるほど。


 この気配はなんなんだ?


 本当に、気のせいなのか?


 それとも——



「とにかく、進もっか」


「……そうだな」



 腕を引っ張られるようにして、俺たちは五階層へ降りた。





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