第二章 受胎する果実

011 不穏

 《フィーナ》から歩いて五分。周囲一帯を見渡すことができる小高い丘に、彼女はいた。


 相変わらずのメイド服姿に大人びた顔立ちで、けれど深淵に続く穴が広がっているような、どうしようもない不安を引き寄せる彼女は、そっけなく俺を一瞥した。



「こんなところで何してるんだ? 見たところ、猫はいなさそうだけど」


「………」



 体育座りをして、呆と虚空を見つめていた少女に話しかける。


 まさかとは思うが、この二週間……ここでずっと、そうやって体育座りしていたとは言わねえよな?


 清涼な風が少女の髪を撫でる。日本では一度も見たことがない、きれいな紫色の髪。


 どこか危うげで甘い匂いを発する少女の隣に、俺は腰掛けた。



「考えたんだけどさ」


「……?」


「〝シスフェリア〟って名前……どうだろう?」


「……?」


 

 首をひねる少女。それも当然だと思いながら、若干のこそばゆさに頭を掻きながら言った。



「名前、ないんだろ? 忘れたんだっけ? ――まあともかく、きみとか彼女とか、呼び方困るし紹介のしようもないだろ?」


「……だから、シスフェリア?」


「おう。むかし、シスフェリアっていうヒロインに憧れてたんだ。きれいで、カッコいい。けど孤独を感じさせる瞳が、きみに似てる」



 将来、女の子が産まれたらつける名前ランキング一位の名を、俺は彼女に使ってほしかった。



「……ふぅん」


「どうだろう?」


「………」


「………」



 しばらくの沈黙。


 もし断られたら俺、すっげえ恥ずかしい。



「……ん。シスフェリアでいい」


「そっか。それはよかった」



 本当に。マジでよかった。恥をかかずに済んだ。



「よろしくな、シスフェリア」


「………」



 差し出した握手は、しかし拒否された。


 シスフェリアは、静かに首を横に振る。



「一緒にいると、また危険な目に遭う」


「……。……それは……あの魔人のことを言ってるのか?」


「それもある」



 それもある……彼女が要因で危険な目に遭ったのは、あの一回きりだったはずだが。



「呼び寄せるから。一緒にいると不幸になる」



 呼び寄せる――不幸になる。

 

 なんとなく、心当たりはあった。


 あまり考えないようにしてはいたが……。



「オーガは、きみとおなじ霧をまとっていた」



 触れたものを必ず殺す、猛毒。


 敵味方関係なく犯し尽くすその匂いを、俺はあのオーガからも感じ取っていた。



「もしかして、シスフェリアみたいな体質……って呼ぶのかはわからないけど、それは魔物を引き寄せるのか?」



 もしそうなら、納得がいく。


 異世界初日で、俺は数え切れぬほどの魔物を殺した。加えて、明らかに序盤に出てきちゃいけないようなボスキャラともやり合った。


 何かに引き寄せられている――あるいは、あのオーガも引き寄せていたのかもしれないが。



「魔素は〝ひずみ〟を生み出す。魔素は毒。でも、魅力に溢れてる」


「どういう――」


「あなたも気をつけたほうがいい。もう、片足は浸かってる。一緒に、いるから」



 言って、立ち上がった彼女の手を俺は、強く握って引き寄せた。


 ぽふっと、俺の胸元にシスフェリアが埋まる。


 シスフェリアは、紫色の宝石を俺に向けた。



「俺と一緒に来い。頼まれたからとか、成り行きだからとかそんなのはどうでもいい。今決めた」


「……?」



 疑問符を浮かべるシスフェリア。


 理解が追いついていない彼女に、俺ははっきりと言った。



「率直に言うけど、俺――きみのことが好きなんだ」


「?」


「一目惚れ。タイプってワケじゃないけど、とにかく抱きたいって思った」



 我ながら何を真剣な表情で言ってんだよとツッコミたくなるが、俺は抱きしめる手は緩めなかった。


 抵抗してこないことをいいことに、俺は全身全霊で抱きしめた。


 甘く危ない匂いを血液に循環させる。



「引き寄せるなら、真っ向から叩いて潰そう。ちょうどいいんだよ。こんなことてめえの女に言うことじゃないけど……俺、めちゃめちゃ借金抱えててさ。むしろ魔物が寄ってきてくれるのはありがたいことだし」


「後悔するよ」


「ここできみを手放したほうが、きっと後悔するから」



 俺の言葉に、シスフェリアは困ったように眉根を下げた。



「―――」



 ノイズのような気配――



 ■■■■■。



「———」



 なん、だ……——




 ■ぃ■■た。



「———っ」


 

 得体の知れない泥中に呑まれたかのような感覚が、全身を刺す。


 ねっとりと絡み這う視線。一つの毛穴さえ見落とさないと言わんばかりに熱のこもったそれは、きみが悪いとか不快感と言った表現ですら生ぬるい。


 なんだ…………これ。


 冷汗が滝のように溢れる。


 どこからだ?


 この不快感極まる醜女しゅうじょの権化は、どこにいやがる?



「―――」


 

 呼吸すらままならない状態で、俺は首をわずかに後方へ動かした。


 視線の先、オーガと死闘を繰り広げた更地の、さらに奥――乱立する木々の隙間に、ソレはいた。


 十数キロ離れたその場所に隠れるソレを見つけ出せるほど、俺の視力はよくない。だが、わかる。不鮮明だがイメージがチラつく。


 先に醜女と……女と表現したのは間違いではなかった。ほぼ感覚的なところから出た言葉だが、醜いというのもあながち間違いではない。


 ただ――それは、あまりにも——



「どうかした?」


「……、あ、いや……」



 気配が消えた。と同時に、今しがた見たものが記憶の中からうっすらと溶けていく。


 味わったはずの忌避感さえも、気のせいだったかのように。


 ただ残っているのは、シスフェリアを抱く感触と。


 上着をべっちょりと濡らすほどの、冷汗だけ。



「……町に戻ろう」


「ん」



 そして俺は、シスフェリアの手を握りながら町へと戻った。


 町に到着する頃には、あの視線のことも気配のことも、すっかりと頭の中から消え失せていた。


 

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