010 前借

 結局のところ、俺とオーガの闘争に決着というものは着いていない。


 互いに全身全霊、死力の果てまで注ぎ込んだ結果を簡単に一言で説明すると、それは引き分けだろう。


 本来なら互角にも戦えるはずのない、圧倒的強者。


 嘘みたいな話だが、俺はヤツと引き分けたのだ。


 高層ビルとビルの間を繋ぐ鉄骨を渡るような、一つでも判断を間違えれば死に直結する綱渡りではあったのだが。

 

 針の穴に糸を通す繊細でいて慎重かつ緊張感あるところに拳を突っ込んだ俺は、功を奏して引き分けることができた。


 これ以上、多くは語らない。なにせ、ヤツとはまた会うのだから。必ず。


 決着がついていない。


 巡り会う理由は、それで十分だ。





 スキル《常在戦場》――戦闘を続行するために必要最低限の状態を整える、といった効果を持つ上位スキル。


 非常に習得条件の厳しいスキルで、まあその効力を考えれば相応のものなのだが、このスキルがなければ俺は正直、オーガと立ち会うことは不可能だった。


 ほかにもいくつか、習得していなければ引き分けまで持ち込めなかったであろうスキルもあるのだが、やはりこれが一番大きい。


 そして、お気づきのことだろう。異世界に転移してまだ初日の俺が、そんな超有能スキルをどうして習得しているのか。


 その答えは、言わずもがな――



「スキルポイントの前借り……?」


「おう。めちゃくちゃ借金した――んごっ」



 軽く言ってのけた俺の口に、ユズキは見舞いの品として持ってきたアップルをねじ込んできた。



「借金できるってことは知らなかったなあ。でもさあ、怖くなかったの?」


「なにが?」


「よくわからないシステムの言いなりになるってところ」



 言われてみれば、不鮮明なところがある。



「借金した分を返す……つまりレベルアップしてスキルポイントを獲得して、それを補填していくってことでしょ? それっていつまで? 利息はあるの? もし今後払う見込みがなくなってしまえば? 代償は、果たしてそれだけなのかな?」


「………」



 バカそうな見た目のくせに、案外しっかりしているようだ。



「契約書とかないの?」


「ない……と思う。朦朧としてたし、見落としたかもしれない」


「あー、それはマズいね。十一といちだったら笑えるねえ。楽しい異世界ライフもままならないよ」


「……まあ、なんとかなるだろ」



 ベッドに横たわり、窓の外に視線を投げる。


 あまり難しい話はしたくないし考えたくない。特に、金の話は苦手だ。



「そんな気楽でいていいのかなあ……」


「生きるために必要だったんだ。借金して生き延びたんなら、それで儲け物ってヤツだろ」


「んー。正直に言えばいいのにさあ――はい、あ~ん」


「んあ」



 差し出してきたアップルの欠片を咀嚼する。ユズキは、長いまつ毛を上下に揺らした。



「勝てなくて残念、引き分けなんて死んだも同然だ……って」


「………」


「そういうタイプでしょ、ユウキくんって。勝敗にこだわるっていうか、無理に引き分けで納得できるようなキャラじゃない。やるからには勝つ。引き分けのために頑張りましたって口上だけど、顔はそうじゃないよ」



 ここ二日間、変わるがわる訪れる来客との対話を聞いていたのだろう。ユズキは、椅子からベッドのふちに腰掛けた。



「ユウキくん。もっと強くなりたい?」


「近いぞ、ユズキ」


「あん」



 上半身を押し戻し、吐きそうになるため息を殺す。


 これだから距離感の近い女は困る。しかも彼氏持ちで、年下。


 こっちはここ一ヶ月以上も禁欲中だってのに。


 死んだ旦那の代わりにと礼を言いにきた親娘おやこにすらムラッとくるほど危険な状態だというのに、コイツは。



「なあに?」


「いや……おまえ、胸おおきいよな」


「んにゃ? セクハラだよ?」


「たまに当たるから気をつけろよ」


「わたしはあんまり気にしてないけどなあ」



 押し倒すぞコラ。



「そういえば、どれくらい借金あるの?」



 こっちの気も知らず、ユズキは呑気にもベッドの上にあがってきて女の子座りをかましやがった。


 いい具合に、もちろん見えそうで見えないという具合に、ふりっふりのミニスカートが広がり、太ももと太ももの間に両手をついた。


 ……こいつ。


 まさかとは思うが、襲って欲しいのだろうか。


 毛布の中で、俺の相棒が突撃命令を待ち侘びている。



「……はあ」


「どうしたん?」


「いや……」



 こいつに彼氏がいなければなあ。


 ……いやいや。


 禁欲生活が長すぎて、もはや誰でもよくなってねえか?


 耐えろ、俺。


 普段通りの日常でなら、彼氏持ちかまわず遊ぶのだが。


 流石に異世界で、おなじ境遇の女に手を出すわけにはいかねえでしょう。


 というか、せっかくなら異世界人がいい。



「おーい? どしたん? もしかして、わたしに見惚れちゃってる?」


「日本に戻ったら、彼氏にチクってやるからな」


「えっ!? 何を?!」


「ボロクソに怒られろ。そして別れちまえ」


「なんだか理不尽だよ、急に!?」



 ベッドのうえで上下に喚くユズキを無視して、俺は借金の残高を確認した。



「777万だ」


「な……なな、百万……?!!?」


「本当なら15万いちごーでやめておこうと思ったんだが、数字のキリが悪くてな。ほかにも思いつくスキルを習得して、熟練度を上げて、キリのいいところを探して……」



 スキルの感覚を試すために、寄ってきた魔物を狩っているとレベルがおもしろいくらいにあがって、スキルポイントも増えて。



「776万だとキリ悪ぃから、途中でまた一万借金して……結果これだ」



 そんなこんなしているうちに、ユズキの助けに入るのが一分ほど遅れてしまったワケだが。


 結果的に助かったのだから問題ないだろう。


 

「いつになったらそんな数量、返済できるの……? キリ悪いからって借金するとかバカなの?」


「レベルアップしてたらそのうち完済してるだろ」


「利息とかあったら…………はあ。ユウキくんの彼女さんとかたいへんそー」


「そうだな。だから付き合う相手は頭のいい女って決めてるんだ」



 間違っても、おまえみたいな頭の悪そうで尻軽っぽい女とはお付き合いを考えたくない。



「ふぅん……あの子、そんな頭良さそうには見えないけど。ていうか、何も考えてなさそー」


「……どうだかな」



 あの子……身命を賭して共に戦ったというのに、彼女は一度もお見舞いに来てくれない。


 どこで何をしてるんだか。


 無事に退院することができたら、気配をたどってすぐに会いに行こう。


 まだこの町にいるようだし、彼女の特性から考えて敵――騎士甲冑の魔人には、そう簡単に連れていかれる心配はないだろう。


 ほかにもいろいろ、訊きたいことだってあるのだから。



「まあともかく、早く治るといいね。そしたらさ、一緒に冒険しようよっ」


「あー……考えとくわ」


「うん、絶対ねっ! じゃ、きょうはもう行くよ。しっかり休んでね~っ」


「ふぉーい」



 病室を出て行くユズキ。



「はあ……なんか、悪かったな。俺」



 随分と無茶してしまった肉体を見下ろす。


 《常在戦場》は、戦闘を行うために最低限必要なコンディションまでしか癒してくれない。


 外側から見れば、俺の体に異常はなさそうに見える。やろうと思えば、今からでも戦闘は可能だ。


 しかし、内側はボロボロでぐちゃぐちゃだった。骨と骨の繋ぎ目もノリでくっつけたかのように脆弱だし、鮮烈な痛みはまだ抜けない。


 痛み止めをユズキが処方してくれなければ、呑気にムスコをおったたせることもできなかった。


 ……いや、そこに関しては異議を唱えたいところだが。



「はあ……せっかくの異世界だってのに、満喫できねえなあ」



 エルフのお姉さんも獣人の年上ロリ奴隷も、貴族の未亡人も王様のセフレも誰も見舞いに来ねえ。


 ああでも、未亡人親娘は嬉しかったなあ。また来てくんねえかな。


 旦那さんの葬式で忙しいか。


 

「……ハーレムパーティとか憧れるよなあ……」



 できることなら、ユズキとは適当なタイミングでおさらばして。


 現地人だけで(もちろん全員美女)パーティを組みたい。宿も一室しか取りたくないし、全員孕ませたい。


 その後に、全員引き連れて日本に戻りたい。自慢したい。


 

「欲望が止まらねえ……あー、彼女ほしいー」



 脳裏で、いつか見た黒縞模様スカートの中身がチラついた。次に、ユズキの胸の感触と匂い。



「……寝よう」



 寝れないのはわかってる。が、寝る以外にすることもないしできないので、意識を呼吸に傾けて無理やり寝かしつける。


 母ちゃん……何してっかな。


 師匠オヤジは……怒ってそうだな。


 そんなことを考えながら、俺は二週間……つまらない平穏をベッドの上で過ごした。

 



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