005 突破
「こんなところにいたのか」
喫茶店からそう離れていない路地裏に、彼女はいた。
雨のなか、傘も差さず。
メイド服にふんだんの雨水をこしらえた紫色の髪の彼女は、俺にそうしていたようにしゃがみ込んで猫と対峙していた。
「………」
「シャァァァッ」
絶対に触れてみたい彼女VS絶対に触れられたくない猫の、なんとも愛らしい光景が路地裏で広がっていた。
「猫、好きなのか?」
「あ……」
俺が話しかけた瞬間、猫は踵を返して路地の奥へと走り去ってしまった。
若干の罪悪感。
しゃがみ込んでいた少女は、何事もなかったかのように俺と視線を合わせた。
「ユウキ」
「おう。そういや、きみの名前はまだ聞いてなかったな。教えてくれるか?」
「名前?」
小首を傾ける少女。
まさかまさかとは思うがこの子、
「記憶喪失……なん?」
「喪失……そうなのかもしれない」
「うそん」
記憶喪失なのか?
だから言葉もなんだかたどたどしいのか?
いや、もっと根本的なところに原因がありそうな感じがする。
そう思うのは、きっと俺だけじゃないはず。
派手なチャラ男……ウユカの言葉がよみがえる。
『そこの嬢ちゃんは人間かどうかも疑わしい』
防御貫通効果を持つ、大鎌の少女。
到底ふつうとは言えない成りの彼女に、俺はどう接していいのか急にわからなくなった。
「――急げ! 防衛ラインが突破されそうだ! 応援をもっと呼べ!!」
少女と見つめあったまま、どうするか考えあぐねていた俺の耳に大人たちの声がかすった。
「あの冒険者でもダメなのか!?」
「数が多すぎる! それにB級の魔物までいるそうだぞ!」
「B級!? どうしてこの町に……!」
「ともかく人手が必要だ! 万が一も考えて、冒険者へ救難要請も頼む!」
「わかった! 町長を叩き起こしてくる!」
「頼むぜブラザー!」
慌ただしく大通りを駆けていく衛兵たち。
窓からは、心配そうにこの町の行く末を見守る住人たちが覗いていた。
「楽しそう」
ぽつりと、駆ける雨音に混じって少女が言った。
「武器は、必要?」
「……ああ」
彼女に指摘された通り、俺の口許は歪に沿っていた。
妙な高揚感。
あの時のように姿形を霧へと溶かした少女が、俺に絡まるように蠢いた。
そして形成されるのは、漆黒の大鎌。
禍々しく紫色に光る刃にうっすらと絡みつく、魔霧。
触れれば問答無用に犯し殺し尽くす猛毒。
どうして俺が触れても無事なのか。おそらく主人公だからだろうと結論付けて、俺は路地を出た。
「……俺、こんな速く走れたっけ?」
いつもと風を切る感覚が違う。
森の中を逃げていた時よりも明らかに、走る速度が違っていた。
しかも、まだ全力じゃない。
「レベルか。たしか俺は28なんだっけか」
視界の隅にあるちいさな《+》ボタンを注視する。
視界の高さに現れたステータス画面には、現在の俺のステータスが表記されていた。
レベルが上がるたびに各種パラメーターが上昇するのは従来のRPGと同じで、ほかにもスキルとそれを獲得するであろうスキルポイントも表記されている。
「だいぶ溜まってるな、スキルポイント」
戦闘に赴く前にスキルを獲得しておいた方がいいだろうか。
いや、実戦で付け焼き刃の技術を扱うのは危険かな。
「そんなこと言ったら、コイツもそうなんだが」
握った大鎌の感触を確かめる。
日常生活で、こんなサイズの鎌握ったことすらなければ振り回すことなんてない。ましてや、命を刈り獲るなんて普通に生きていれば経験することでもない。
戦うなら、己が拳で。
鍛え、研ぎ澄ましてきた拳で。
自分より格上の敵を幾度となく沈めてきた、最強を自負する拳で。
「……っ」
けれど、己が一番信頼できる
『ギが嗚呼ああ―――っ!!』
「サイクロプスが突破してきたぞぉッ!!」
「く、くそぉぉぉぉっ!?」
人間より一回りも二回りもおおきな一つ目の巨人が、
飛散する
「が、が、が……」
「……っ」
「だ、ず……、……――」
複雑骨折なんて呼べないほどぐちゃぐちゃになった衛兵は、数秒前まで右腕だったそれを俺へと伸ばし、力尽きる。
その間も前方から阿鼻叫喚の乱舞が響き渡り、雨に混じって血飛沫が周囲を染め上げていく。
「これが、異世界」
これが、死か。
これが殺し合いか。
日本では経験することのなかった命のやりとりが、目の前で行われている。
『ああ、嗚呼ああ義ぎぐ』
「―――」
ソレら恐ろしい血の匂いをまとう怪物たちの行手を阻むように、俺が立っている。
「最悪だ」
突いて出た言葉とは裏腹に、闘争心だけは湧いてきて。
「なにがすぐに終わらせるだよ、あの女」
大鎌を、先頭を歩むサイクロプスへ
「……行こうか」
『――御ゴごゴ』
震える声音で呟いて、目前に迫ったサイクロプスへ踏み込んだ。
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